2020年8月20日木曜日

サツマイモの蔓を食べる

猛暑にも関わらず、というか猛暑のおかげか、サツマイモに勢いがある。

2020-06-17
植えたばかりのころ
奥のトウモロコシの脇にも数株植えた。

2020-07-30
梅雨の最終日はまだ大したことがなかった。
右に大根が発芽している。

2020-08-08
梅雨明け1週間後。
サツマは落花生の左右に成長しつつある。
2020-08-19
猛暑が続いて落花生とともにあっという間に繁茂した。
敷石のほうまで進出し、歩くのが邪魔。蔓を踏んでしまう。

ここでふと、戦時中サツマイモの蔓を食べた話を思い出した。
今わが千駄木菜園は葉物がない。
2020-08-19
大根は子どもだし、

2020-08-08
小松菜は発芽するが何者か(地中に生息?)に食われてしまい
なかなか成長しないし、
2020-08-08
オクラは腹の足しにならないし、
ナス、ピーマンは抜いてしまったし。

すなわち、野菜不足である。
妻は自分だけ朝食にサニーレタスを挟んだサンドイッチを食べ、買ってきた小松菜でスムージーを作っている。
しかし私は意地でも食べない。
たまに春に冷凍したホウレンソウを解凍して一人食べているが、残り少ない。
2020-08-19
そこでサツマイモの蔓を食べることにした。
手でもポキンと折れ、やわらかそう。
乳白色の液が出て栄養もありそう。

ついでにスベリヒユも食べよう。
いよいよ食糧難のようだ。

サツマイモの蔓を生のまま口にするとまずかった。
特に先端の柔らかくて旨そうなところは、くせのある臭いで吐き出してしまった。

妻がいないので一人で茹でた。
2020-08-19 12:30
左からスベリヒユ、オクラ、サツマイモ

サツマイモは茹でても下の方は固く食べられなかった。
ぽきんと折れる先は柔らかだが、そのままだと臭い。
醤油をかけると何とか食べられるかな。

スベリヒユのほうがまあ、食べられる。
ちょっと酸味があるのはシュウ酸かな。2年前に食べたことがある。

一番うまかったのはオクラでした。
さすが栽培されるだけのことはある。

ミョウガも終わり、フキは固そうだし、今わが菜園はシソくらいしかなくなった。

戦時中をしのぶ気持ちなどもちろんない。
しかし、こうやって不味いものを食べれば、スーパーの普通の野菜が、ぐっと美味しく幸せに食べられるようになる。



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2020年8月19日水曜日

法真寺、桜木神社、本郷薬師と樋口一葉

赤門の向かいにある法真寺は入ったことがなかった。
2020-08-09 11:08
本郷赤門前霊園、回生看護婦家政婦紹介所、ゆき医院、
と入り口門柱の前も看板でにぎやか。

この寺は樋口一葉の「桜木の宿」で知られる。

一葉は貧窮の中24歳で亡くなり幸薄かったと思われるが、明治9年(満3歳)から5年間ほど、一家でここに住んだ。父が健在、家業も順調で、法真寺の東隣(手前)、230坪の敷地に45坪の屋敷が立ち、庭には桜があった。一葉は亡くなる年に
「かりに桜木の宿といわばや、忘れがたき昔の家にはいと大なるその木ありき。」
と少女時代を懐かしんでいる。

11:09
回生家政婦紹介所は看板も入り口も年季が入っている。


法真寺は本郷通りから奥まったところにある。
一葉旧居・桜木の宿は、寺に行く手前、左側にあったらしい。

11:10
ギフトショップのような建物あり。
「桜木の宿」と書かれていた。
一葉記念館と書かないのは、同名施設が台東区にあるからだろう。わずか10か月しかいなかった台東区龍泉寺に区立記念館ができたのに、大部分を過ごした文京区は何もせず、法真寺が私的に顕彰、毎年一葉忌を実施している。区の性格というのは確かにある。
しかし、なんとなく敷居が高く入らず。

西洋の噴水のよう、お寺らしくないところにブロンズ像。
顔とパラソルに一葉ってこんなんだっけ?と思ったら

慈愛の泉
妻らむに捧ぐ
寄贈 米田健三
とある。
ブロンズ像は米田らむ(1948-2014)さんだろうか?
米田健三(1947~)は元衆議院議員
この場所は良くない。

11:11
寺の境内に思えぬ池を渡った奥に本堂、一葉のブロンズ像があるようだ。
米田ラム像と場所を入れ替えたほうが良くないか?

寺院というのは「関係者以外立ち入り禁止」としてひっそりした寺と、開かれ観光地化している寺とがある。境内の雰囲気から後者のように思えるが、行くのは遠慮し引き返す。

こちらが寺務所か。
シャッターに公式サイトのURLが書いてある。様々な企画をされおり、新しいタイプのお寺である。

ところで桜木の宿という単語は知っていたのだが、あまり考えたことはなく、春日通の桜木神社のあたりかと思っていた。

菊富士ホテル跡など(別ブログ)見た後、本妙寺坂を上がって春日通に出る。

2020-08-09 11:42
桜木神社
春日通で立ち止まりお参りしていく人が何人もいた。

提灯が梅であるように、祭神は菅原道真。
大田道灌が江戸城に京都北野から勧進したのを秀忠の時代に湯島に移し、綱吉の時代に昌平坂学問所を作るにあたり、現在の本郷に移設した。

幕末、桜木神社は「北ノ天神」と書かれている。
(湯島の北ということではなく北野だろう)
ちなみに法真寺は、喜福寺、本妙寺と地続きである。

本郷の古い家のような住居兼社務所

1987年のある昼、誰が言い出したか、生協ではなく春日通の2階にあったベトナム料理店まで食べに来たことがある。いまの「従業員も客も味もその国」という時代ではなく、おしゃれなエスニック料理として珍しかった時代。帰りはこの境内を通って近道した。
11:44 
薬師堂まで来て本郷通りが見えたとき、物理学科の博士課程からきていた秋葉俊彦さんと飯野正光先生(当時助手)がラップトップ型パソコンの話を始めた。新興メーカーのエプソンから発売されたばかり。
当時、筋肉の張力をAD変換し(n88basicでコードを書いて)パソコンで取り込み始めたが、パソコンといえば、たいていNECのタワー型パソコンPC9800シリーズだった。フロッピーは5インチ。
ブラウン管ではなく、本体と一体化した液晶画面が新鮮だったが、文字の見えやすさなどを心配していた。角ばっていたからまだノート型という言葉はなかった。

・・・
さて、樋口一葉。
彼女の時代、ここは富元山真光寺の境内であった。
この寺は戦災で焼け、世田谷に移転、桜木神社と薬師堂だけ残った。
(桜木神社も薬師堂も焼けたが戦後再建された)
本郷薬師
昔は8,12,22日の縁日には、植木、骨董、雑貨、飲食店が並んだ。
テレビなど娯楽もなかった時代は夕涼みをかねて人々は繰り出し、一葉も日記に書いている。

写真右に見えるホテル機山館は1937年創業。
本郷に多数あった旅館、ホテルが次々と廃業しマンションになる中、珍しい。

本郷通りに出たので、一葉が短い生涯でも長く住んだ菊坂の坂上入り口に行ってみる。
2020-08-09 11:46
菊坂入り口。
何十年も続いた「白糸」は中華料理店になっていた。
2018-10-08
2年前は本郷通りで続く数少ない店だったのに。
手前(昔パチンコ屋があった)がまだ工事中なのはなぜ?

一葉は母や妹くにと本郷薬師の縁日に来て、ときにこの左角にあった観工場をのぞいて坂を下りた。

11:50
かねやすも閉店して長いがシャッターがそのままということは、いつか復活するのだろうか?

11:52
本郷三丁目の駅のそば、葡萄亭は現存。
昔はおしゃれな店だった。

11:53
地下鉄駅の手前が、外貨交換、金券ショップ、ドラッグストア、スマホショップ、と40年前存在しないものばかりになっていた。


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2020年8月18日火曜日

フォレスト本郷から赤門アビタシオン

猛暑日、千駄木から歩いてきて本郷弥生の交差点を過ぎてすぐ、西側、本郷6丁目に入った。
ここは何回か自転車で通っているが写真を撮っていない。
東の根津弥生池之端と比べ、数十分の一しか来ていないだろう。
2020-08-09 10:44
鳳明館森川別館
本館、台町別館はどこかでブログに書いている。

南は更地になっていた。またマンションになるか。

撮らなかったが右斜め後ろに本郷館があった。
1905年に建てられた木造三階建ての下宿屋、敷地300坪、70室。
震災、戦災も免れたが、2011年解体され、同名のマンションが建った。

1987年、いとこの小林恒文が3年生になって相模原は遠いのでこのあたりに下宿した。
一度行ったがどこだったか不明。

10:45 求道会館
教会のように見えるが、1915年、浄土真宗の僧侶、近角常観(ちかずみじょうかん・1870~1941)が自身の説法場として建てたもの。都の登録有形文化財。

近角は三年にわたり欧米で宗教事情を視察、社会に根ざした多様な活動を行うキリスト教教会の姿に衝撃を受ける。帰国し本郷で活動、この集会所を建てた。

毎月第4土曜日13時~14時30分に内部が公開されるらしい。
設計は武田五一。のちに京大教授。
福山出身という縁で西片に住み、阿部伯爵邸も設計した。

まっすぐ南下すると5差路に出る。

 
2020-08-09 
北東角はホテル、フォレスト本郷
京都の森泰生夫妻はよく不忍池のほとりに泊まっておられたが、その後ここを気に入られた。

10:48
2016年7月22日夜、ここで森夫妻と食事した。
5分ほど遅れて駆けつけると私の席に次女が座って話が盛り上がっていた。
彼女は1歳のころから可愛がってもらっていたから大学を抜け出して顔だけ見に来たらしい。
焼き野菜が特徴的な料理は美味しかったが宿泊客は見えず、レストランも我々しかいなかった。
その夜は妻とゆっくり歩いて帰った。

この五差路、昔はもっと古い建物があった気がするのだが思い出せない。

10:49
五本のうち、南西の道を行く。

10:50 本郷らしい路地
まっすぐいくと右に保育園、石段の慈愛会坂にでる。

20200721 文京区と谷中の全228坂道ランキング

10:52
五差路からの南西の道をすすむと右に蓋平館(のち旅館大栄館)跡
石川啄木の歌碑。
なおもいくと新坂をおりて弥生通りに出るが、本郷の路地散策を続ける。

10:54
徳田秋声旧宅の斜め前も似たようなお宅

このあたりは昔と変わらない

10:55 徳田秋声旧宅
泉鏡花と同じく加賀の人。尾崎紅葉門下。読んだことはない。

まだどなたか住んでいらっしゃるようだ。
息子を命名するとき、ここで生まれた秋声長男、作家徳田一穂(1903- 1981)の存在を知らなかった。

本郷通りに出ようとすると私道の向こうに赤門アビタシオンがみえた。
10:59
お寺の境内のような石畳

11:01
赤門アビタシオンは1966年築。
40年前、高級マンションという認識しかなかったが、いま本郷通りの入り口に立つと曹洞宗喜福寿寺(地図は喜福寺)と石柱がある。マンションの壁にも変なマークがあった。

自転車と石像・石塔はお互いを邪魔に感じているのではなかろうか。

どうもアビタシオンは喜福寺と一体化しているようだ。

住宅情報を見れば、築54年の2LDK、54m^2で2800万円。

わだつみのこえ記念館もあるようだが入ったことはない。

ここは77年の秋、戸田艇庫の合宿所へ行く前に生協で夕食を食べ、地下鉄春日駅に行くときの近道だった。三田線西台から戸田橋を歩いて渡るのは大変で、78年は上野-川口の定期券を買い、バスで通った。
2020-08-09 11:03
1階にビストロ、モンバンMon Bancと看板を発見。
廃業した感じだが、検索すると同名店が通りに面した赤門ロイヤルハイツにある。

1979年3月卒業式の日、4年生5人が秋山先生にフランス料理のコースをごちそうになったのだが、赤門アビタシオンだった気がする。ここだったのだろうか。

・・・・

本郷通りは40年前からすっかり変わってしまった。
2年前にルオーでカレーを食べたが、残っている店はほんのわずか。

1980年、北川祥賢氏と池田さん、田村さんら、外からの卒研生の人とランチした。
鳥料理の店で、その場所を2年前に探したが見つからなかった。
今回また思い出した。
11:06 サトービル
ふとアビタシオンから本郷通りに出ると隣に古いビルが目についた。
近づくと奥の暗がり、左に何店舗かテナントがあった形跡。
そうだ、みんなで入った店はこんな感じだった。

コロナで大学が閉鎖され本郷通りの飲食店は苦しいだろうが、実はコロナ以前から閉鎖が多いところだ。特に古書店が壊滅的。
全部マンションになるのだろうか。
明治以降の本郷も忘れ去られるだろう。
(続く)



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