2018年2月3日土曜日

谷根千エリアの豆まき・諏訪神社、富士神社

今日は節分。

ふと豆まきを見に行こうと思った。
忙しいといって何もしないと、ただ年だけ取っていく。
ありふれたことでも、今まで見たことがないものを見に行く。

近くの豆まきを調べると
 日暮里・諏方神社 15:30
 根津神社  14時から16時まで 20分おき
 駒込・天祖神社 15,16,17時の3回
 音羽・護国寺 15:30
 湯島天神 15:30
 神田明神 14:00

下3つは自転車でないと行けない。土曜とはいえ、出勤なので、職場から都内に戻ってすぐ行けるところ、西日暮里駅からすぐ、ホームから社殿も見える諏訪神社にした。
現在、公式には「諏方」だそうだが、記録には混在しているらしい。
駅に降りると、塾の腕章の人がいる。ああ、開成の合格発表か。

15:11
撒く予定の20分前、まだ人はいない。
諏訪神社の境内からは東北線の線路がよく見える。
いつか孫ができたなら連れて来たいものだ。

本殿では、大勢の人がお祓いを受けていた。
この人たちが豆をまくようだ。
15:18
このあと弓矢を放つ儀式があったが、下で豆まきを待つ人々からは見えない。

15:27
寄付した人々だろうか。
順不同と書いてあるが、有名な野池幸三氏(谷中のアナゴ寿司)が最初にあるからには、ランダムではないと思う。

15:30
豆まき開始時刻になっても始まらない。人はどんどん増える。

15:47
ようやく鬼が登場。赤い髪、青い服。
そのあとを神主が豆を投げつける演出。
そのあと裃をつけた年男年女のひとびとが続く。

放り投げるけれど、ほとんど前のほうに落ちる。
袋に入っていて軽くて飛びにくいということもあるが、一番の理由は、遠くの人にも投げてあげようという気がないことである。
彼らは、まるで鯉のえさを上げるように、ただ群がるのを面白がって近くに撒く。
10人くらいずつやってきて、撒き終ると次の投げ組と交代する。

始まる前、小さな子供を肩車するお父さんや抱っこするお母さんが結構いて、これでは豆を取れないし、何より危険だと思っていたが、ほとんど豆は飛んでこず、いらぬ心配だった。
15:49
全然こちらまで飛んでこないので、写真を撮りに現場を離れた。
投げられるのは紙の袋に入った豆と、お菓子、それからビニールのカラーボール。
しかしみなキャッチボールをやったことがないのか、投げるのへたくそ。
遠くに飛ばそうとオーバーハンドで投げると、庇にあてたり、真下になげたり。
ひとり張り切って投げるオバサンがいて、カラーボールを思い切り強く投げていたが、コントロールが悪く、水平に飛ぶので近くの人は怖い。

取った人も、その後なかなか取れないから、帰っていき、その隙間に入って、だんだん前に進出。とうとう前から2、3列目まで行った。さあ、取れるぞ、と思ったら、今度は頭の上を通過していった。
16:03
豆がまかれたのは、実質20分くらいか。

結局、1時間近くいて、取れたのは豆ではなく写真だけだった。

16:20に境内を出て、道灌山通りに下りると、開成の前ではまだ大勢の小学生や親がいた。ついでに入ってみたら、合格者の最後の受験番号が1220番くらいだった。定員300人だから倍率4倍くらいか。
どこかの塾が合格者を集めて記念写真を撮っていた。

一つも取れないのは悔しいので、駒込天祖神社に行くことにした。
3回のうち最後は17時からだ。
家に寄らず、そのまま歩いた。
豆まきは天祖神社でなく、ちかくの富士神社で行われる。
ここは駒込駅から家まで帰るときに境内を突っ切るから、何度も来ている。
16:43
富士山信仰の名残である。
もとは本郷にあったという。
前田家が一帯を上屋敷として拝領したので、ここに移ってきた。
ところで、かつて竜岡門を出たあたりは本富士町といい、いまも元富士警察署がある。
学生のころ、地名などに興味がなかったから、なぜ元富士というか考えても見なかった。
(まして1977年にはこの富士神社のすぐ近くのアパートにいたというのに)

ところで、富士浅間神社がここに移ってくる前、すでに、この場所には大きな塚があったという。前方後円墳だったらしいが、何もない平地に富士山をつくるより、ずっと簡単だろうから、納得する話だ。
16:43
まだ17時までには間があるとはいえ、諏訪神社と比べると、何という人の少なさ。
これなら大量に取れそう。
集まる人も皆大きな袋を持ってきている。
私もリックから常備しているレジ袋を出して、そっとポケットに忍ばせた。
16:47
撒く人、年男年女?うんと寄付をした人?が宮司に率いられ、出てきた。

豆まきの前に、山の上の本殿でお祓いを受ける。


16:49
私も右の女坂から上がってみた。

本殿の裏にはぐるっと火口をまわるように、遊歩道がある。
・・・・
下に降りると、時間正確に人が集まってきて、競争率が高くなった。
白髪混じる老人が子供と争うわけにはいかない、と見栄が邪魔して、前のほうに行くことが躊躇され、戦意が高まらない。
山のほうを見ると、木立の間から、宮司の指導で撒く練習をしている人々が見えた。

結局、最後方にいたまま、豆まきが始まった。
今度は真剣だから写真を撮る暇がない。
しかしキャッチするのは意外と難しい。
大人げなく大きくジャンプしたり、横に動いて掴むわけにはいかない。
全然取れず、子供の戦術みたいに、人々の足の間にかがみ、辛うじて落ちたものを拾っただけだった。

17:08
あっという間に、終わった。
結局ゲットしたのは泥がついた以下の5つ。
17:12

17:18
家に帰る途中、駒込天祖神社(神明社)を突っ切った。

ちょうど本殿の扉を閉めているところで、富士神社との関係を聞くと、同じ社域だし、こちらの宮司が富士神社の宮司を兼ねているとのこと。
富士神社には投げやすい二階建て社務所があるのでを会場にしたのだろう。

今の家は、昔、駒込動坂町だったから天祖神社の社域になる。
秋祭りには神輿が家の前を通るし、下の写真のように、お札と菓子とお神酒が来る。

ちなみに我が家の二軒隣は千駄木林町になり根津神社、坂を降りて谷中よみせ通りを越えれば、谷中日暮里の総鎮守・諏方神社の社域になる。
不忍通りや道灌山通りが境になっていないところが面白い。

はっ!!!
こんなの書いていて、自分の家の豆まきを忘れた。
せっかく夕方から用意して、10時ころまで覚えていたのに、妻が風呂に入って私が書いているうちに二人とも忘れてしまった。
一人で撒く気はしない。
3年に一回くらい忘れる。そういう年は翌日、小さな声でそっとまく。

我が家は長野方式で殻つき落花生をまく。
子供のころは、庭や土蔵、鳥小屋、牛小屋にも撒いた。
雪の上に撒かれた落花生を、翌朝拾う。
湿気ていておいしくなかったが、まぶしく晴れた長野の冬は美しかった。

節分は春の始まりの前日。つまり冬の終わり。

立春はある瞬間(春分点まで45度)を示すが、節分は1日という期間を示す。1日くらい遅れても季節の変わり目に変わりはない。
あと46日でお彼岸中日か。


0 件のコメント:

コメントを投稿