2018年9月29日土曜日

いたずら猫への恨み

2018-09-28
冷たい雨が上がって朝、外に出ると、猫の掘った穴。
いくら早く起きても、彼(ら)はもっと早い。

大事に育てているホウレンソウの苗床に行ってみると、愕然。
猫が掘り返している。

そして臭い。
気を取り直して、土の中からほうれん草を丁寧に救い出してみるが、ほとんど根がちぎれていた。
ほぼ全滅。

ずっと猫には悩まされてきた。
というより怒ってきた。
近所の飼い猫である。

臭いに閉口しながら、苗を探して丁寧に土をわけたのに糞が見つからない、と思ったら、サンダルの底に黄色い(新鮮な)ものがべったり。
他所で踏んで知らずに歩いてしまったから、物干しのデッキや芝生の上まで広げてしまった。


憎しみ頂点に達す。

ここに入ってきてはダメだ、と躾けるには、捕まえてせっかんするか、侵入したらパチンコで打つくらいしかないのだが、四六時中庭で見張るわけにはいかないし、まず不可能だ。
ただ、飼い主が外に出さないようにしてくれることを願うのみだが、彼等は決して被害者のことは思わないだろう。

もちろん私は谷中で「かわいい、かわいい」と餌をやったり写真を撮ったりする人の気持ちにはなれない。

しかし猫に罪はない。
(すくなくとも過失はない)
昔なら、あるいは田舎なら、わざわざ人家の奥まで入ってこなくても、いくらでも糞をする土の空き地や道端はあっただろう。

千駄木と言えば、「吾輩は猫である」。
主人公のほかに車屋の黒、二弦琴師匠の三毛子、筋向うの白君、隣の三毛君。当時はネズミが多かったから猫を飼う家も多かった。
漱石の借りた(その10年前には鴎外も住んだ)千駄木57番地の家は、菜園を入れて400坪もあり、すぐ近くには太田ヶ原や桑畑があって、猫の害など問題にならなかった。
いまやその家は、住宅密集地のなかの、コンクリートの日医同窓会館、猫どころか人間にとっても近寄りがたい箱となり、我が家の周りでも猫がほじくれる土は少なくなってきている。

猫除けネットに大根の葉がひっかかるようになったが、
これは当分外せない

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