2023年7月9日日曜日

和歌山3 原生林の日前宮と紀氏

夜行の高速バスで和歌山市に来た。

朝ついて、一番行きたかった和歌山城を見て、和歌山駅まで歩いてきたがまだ10時前だ。
さてどこに行こう?


駅の東方800メートルほどのところに日前(ひのくま)神社、国懸神社がある。
古代の先進地域であった紀伊の国の一之宮である。
同じ境内に二つの大社が並んでいる。地元の人は両方呼ぶのは面倒なのか、またひのくまという読み方を忘れてしまうのか、両社を合わせて日前宮(ニチゼングウ)と呼び、近くのわかやま電鉄貴志川線の駅名もこれである。
2023₋07₋04 9:50
炎天下の広い道路(宮街道)を歩く途中、歩道で発見。
さすが木の国、樹勢が保護柵の鉄パイプを飲み込んでいる。
しかしクスノキではなく、葉はカナダの国旗のように三つ又だったからカエデかな。私は野菜しか分からず、植物の名前に疎い。
9:53
日前宮の北西の隅に到着。
森に近づくと涼しくてびっくり。
この日、7月4日の和歌山市は32.0度。これは日影の百葉箱で測ったものから、実際のアスファルト道路の表面は焼けつくような暑さだった。それがここでは日影以上の涼しさがある。

9:54
たいてい大きな寺社は入口がいくつかあるが、ここは正面以外からは入れない。
まだ涼しさに感動しながら四方をめぐる濠に沿って歩く。右は和歌山県立向陽中学・高校。
全く手の入っていない原生林に見える。クスノキの他、コウヤマキもある。
おそらく数千年の間、種が落ち発芽し、伸び、老いては、次の若木に場所を渡し朽ち、現代まで来たのだろう。県庁所在地の駅から数百メートルにこういう場所があることが奇跡のようである。
まさに紀の国、いや、木の国である。
9:58
南に回るとひのくま幼稚園があった。
門の中に先生たちと園児がいたが、写真ははばかれ、外で撮った。

ところで日前とかく「ひのくま」のこと。
これで思い出すのは檜隈(ひのくま)である。大和国高市郡明日香村あたりの古代地名。高松塚古墳、キトラ古墳などがあり、渡来人の多かった地域である。両者が関係あるのかないのか、調べる元気はない。
9:59
官幣大社日前神宮 官幣大社国懸神宮
明治のころ定められた近代社格での格式は高い。最高位の官幣大社も65しかないが、そのうち神宮と呼ばれる神社は全国で25しかなかった。(埼玉大宮の氷川神社や赤坂の日枝神社は官幣大社だが神宮ではない)もちろん同じ境内に二つあるというのはここだけである。

二社の祭神は鏡。天照大神が岩戸に隠れたとき石凝姥命が鋳造した八咫鏡が伊勢神宮に奉納安置されているが、それに先立って造られた二体の鏡、日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)がそれである。

二つの鏡は天孫降臨の際、三種の神器(八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉)とともに地上に降りた。神武天皇東征のあと、天道根命(あめのみちねのみこと)を紀伊国造(きいのくにのみやつこ)に任命し、二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが2社の起源という。

ちなみに、天道根命は紀氏の初代となり、代々、日前宮の宮司を務めている。天皇家、千家氏(出雲大社の宮司、現当主・千家国麿氏は2014年高円宮の典子女王と結婚)とともに現在の日本で一番長く続く家系である。

古墳時代の大和朝廷は国内を統一するにあたり、各地の豪族を国造に任命した。のちに国造は朝廷が任命する国司にとって代わり、地方豪族は霧のように消えてしまったが、紀伊と出雲だけは特別で、国造が祭祀を司るものとして残ったのである。

第78代の紀俊秀氏は宮司のかたわら和歌山市長、貴族院議員であったが、ウィキペデイアでは81代の俊明氏が当主となっている。その子息は82代の俊寿氏と書いてある。

しかし宮司職は79代が78代の弟の俊氏、80代が俊嗣氏、81代が現宮司の俊武氏(1939年生まれ)である。
ネットには最近の禰宜(宮司の補佐)として紀俊崇氏の名もあった。

アテンションプリーズの紀比呂子は関係ない。ちなみに土佐日記の紀貫之、紀比呂子(芸名)の「紀」は「きの」と読むが、代々宮司を務められている「紀」氏は「きい」とよむ。

いずれにしろ、81代の家系、一代25年とすれば2000年か。239年フミくれた(魏志倭人伝)卑弥呼が1800年前だからまさに神話の時代である。

ちなみに境内の一角にあるひのくま幼稚園は、昭和26年に80代宮司の紀俊嗣理事長が始められ、現理事長は紀俊武(きいとしたけ)氏である。ご高齢だが幼稚園の公式サイトにあるのでご存命であろう。
10:08 短時間で退出
中にはひっそりと森の中に二つの本殿と摂社、末社がいくつかあった。
説明版などはほとんどなく、写真撮影も禁止。
原生林は柵などはないが、獣道すらなくて物理的に入れない。

外に出て地図を見れば日前宮の1.5キロメートルほど東の丘陵には、67ヘクタールに500基の古墳が散在する「和歌山県立 紀伊風土記の丘」がある。
勉強して来なかったので、ぜひ行きたいという気持ちもわかず、暑かったこともあり行かなかった。

神宮の東隣りは和歌山市立日進中学。
ぐるっと神宮のまわりを一周して宮街道に戻る。
10:18
帰り道に国懸神宮がクニガケではなく、クニカカスと読むことを初めて知った。
そういえば天王寺の高層の駅ビル・阿倍野「ハルカス」も古語だったな。

神宮から離れたとたん、猛暑。
広い道路は車には便利だが、日影がないため歩行者はつらい。
10:27
鳥居のある小さな柵。
作った人はどんな人だろうと想像した。

10:31
和歌山駅東口到着
お城や県庁のある西口と違って何もない。

これから紀ノ川に沿って橋本まで行き、高野山に登る。
行くことよりも、暑くて疲れたので、電車にのんびり座って景色を見たいのが第一。
(続く)

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