2023年7月13日木曜日

和歌山6 高野山に歩いて登る

高速夜行バスで和歌山にきた。

7月4日、朝着いて、市内の和歌山城と日前宮を見た。
それから紀ノ川沿いに走るJR和歌山線に乗って東に向かい、途中の名手駅で降り、華岡青洲の里を歩いた。


ここまで来たら次は有名な高野山に行ってみようと思った。

高野山へは和歌山線で橋本まで行き、そこで南海電鉄高野線に乗り換え、終点の極楽橋からはロープウェイとバスで上がる。
しかし変人の私は、かつての、高野線ができる前の鉄道最寄り駅、和歌山線の高野口駅で降りてみた。もちろんそこから20キロ以上も離れた高野山まで登れるわけはなく、紀ノ川、真田庵など見ながら高野線九度山駅まで3キロ、39分ほどの道を43分かけて歩いただけだったが。


九度山駅に来た南海電車は13:40発の天空3号。橋本―極楽橋間は学文路、九度山の2駅しか止まらない特急電車。
椅子が窓を向いている豪華な展望電車だが、後ろに普通席の車両がついていて、こちらは指定券(520円)なしに乗れる。
13:40
電車はガラガラ。
欧米からの観光客ばかり。

南海高野線は大阪中心部の難波から河内長野を経て橋本までの平地路線と橋本からの登山鉄道に分かれる。

登山鉄道の歴史を見れば
1915(大正4) 高野登山鉄道により大阪の道頓堀から橋本まで開通。
1919 JR和歌山線、高野口駅から椎出(現、南海高野下駅)まで乗合自動車の運行が始まる
1925 電車が橋本から椎出まで延長。 九度山から紀伊神谷まで登山バスの運行が始まる。
1928(昭和3)高野鉄道、高野下~紀伊神谷が70ヶ所以上の急カーブと23ヶ所のトンネルで開通。
1929 高野鉄道、紀伊神谷~極楽橋間開通
1930 高野鉄道、極楽橋から山上までケーブルカーが開通。

電車は九度山を出ると、丹生川の渓谷をひたすら登っていく。
13:42
写真は高野下の手前、龍王渓の少し下流あたり。
13:47
丹生川の支流、不動谷川に沿った古沢集落。
瓦屋根の昔ながらの風景だな~と思ったら、向こうの山が一面太陽光発電パネルで覆われていた。

カーブ、急こう配、トンネルが続き、よく戦前、こんなところに鉄道を通したな、と感心する。それだけ古くから参詣者が多く、すなわち高野山信仰が盛んだったことが分かる。
14:06
終点、極楽橋に到着。全員降りる。
14:07
そして全員、ケーブルカー乗り場に行った。

私は歩いてみようと思った。
電車の乗客のうち一人だけ。よほどの変人か。
グーグル地図ではこの駅から金剛峯寺まで3.1キロ、1時間と出た。

小さな改札口が一つある。
のぞくと、どう見ても駅の裏口という感じ。
登山道があるとも思えない。もちろん出る人もいない。
14:08
極楽橋駅、改札口から外を見る。

ま、何とかなるだろうと改札を出たが、どちらに行ったらいいか分からない。
クマ出没注意の看板はあっても高野山への道筋は何も書いてない。誰もいないし、さすがに不安になった。
いったん改札口に戻り、駅員さんにほんとに歩けるかどうか聞くと、印刷された登山道の紙をくれた。ただし、前日の大雨で崩落個所があり、途中から旧道を上らねばならないという。その迂回路を言われたが、よく分からないまま出発する。
14:12
線路と不動谷川の間の道をいったん下る。
聞いてよかった。熊の看板のところから坂を上るところだった。

少し下ると不動坂の入口がある。
14:13
なるほど、これが駅名にもなった極楽橋か。
何が極楽なんだろう?
傍らにはお地蔵さん。
14:15
橋を渡ると蛇が道を横断した。
ひさしぶりにみた。
瑞兆か?それとも?
14:16
道は思ったより整備されていて上り坂だが、これなら楽ちん。

14:20
ケーブルカー軌道の下をくぐる。

14:24
だんだん道が細くなってきたころ、「路肩陥没のため通行止め」の立て看板。
「迂回路はいろは坂(旧不動坂)へ」とあるが、どこだろう。
脇に不動坂の説明板あり。
14:24
左、不動坂 右、登って来た道

迂回路という不動坂を上り始めるとすぐ獣道というか木の根道になった。
いろは坂の名の通り、つづら折りの道が続く。

膝に手を当て、道が曲がるたびに、
曲がり角を1つとしてイロハ48あるのか、
それとも、二回曲がって同じ方向を向いて1つと数えるのか、
あるいはイロハ48どころか実際はもっと数が多いのか、
いや、曲りの数より、長さと勾配のほうが問題だろう、
などと考えながら上がっていく。

いったいこの坂はどこまで続くのか、
登るたびに、曲がるたびに、ケーブルカーの極楽橋駅まで引き返すことができなくなっていく。

誰もいない。遭難しても誰にも気づいてもらえない。

もう泣きたくなってきた。
引き返そうにも引き返せず、岐阜、金華山を思い出した。あのときも上にも行けず下にも引き返せず、登り始めたことを後悔した。

女性が下りてきた。
高野山で泊り、朝から歩いてきたらしい。登山用に完全武装、このあたりに詳しいようだが「高野三山を歩いてきた」「○○のほうの道が通れなくなってしまって大変だった」など、いろんな地名を言われてもさっぱり分からない。
「もう少し行けば道も楽になりますよ」という言葉を期待して進む。
14:37
片側は常に断崖絶壁
14:40
万丈転(ばんじょうころがし)
高野山では罪を犯した者は簀巻きにしてこの崖から突き落として追放したという。
殺人ではないか。
男ばかりの世界だから、仏門に仕える人々でも下界より荒っぽかったかもしれない。
14:42 
足元をよく見ると両側が断崖、馬の背みち
疲れていたが気が引き締まる。
14:46
雨で本道がくずれ迂回路へ来たのに、こちらも朽ち果てていて、安全とは言えない。

スマホのGPSで現在地は出るのだが、いくら拡大しても歩いている道が地図にない。
いろは坂で歩けど歩けど自分の位置が変わらなかったことから、この先どれだけ歩けばいいのか、宇宙からの位置では分からない。
14:49
岩を巻き込む根っこ
紀の国は木の国と思った午前中がずいぶん前のように感じる。

だんだん緩い登り坂に、下り坂も少し混じるようになり、そのうち、石畳のいい道に出た。
途中不通になっていた不動坂ルートの本道に戻ったみたい。
14:52
清不動堂
相変わらず人はいないが、地図に載っている場所に出て、もう安心。
遭難する心配もなくなったが、疲れていて説明版など読む余裕はない。ひたすら歩く。
14:59
金剛峯寺山林部 不動坂貯木場
高野山は明治維新でずいぶん太政官(国)に山林を没収されたというが。

15:02
バス通りとの交差点に到達
地図看板があって、ようやく歩いてきた山道の全貌が分かった。

ところで高野山へ登るには、いまは電車、ケーブルカー、バスであるが、かつては皆歩いた。
外界(俗世)から聖地「高野山」へ通じる入り口は7つあり、それら入り口と、それに繋がる参詣道は、総称して「高野七口」とよばれた。
入り口7つと、各参詣道は

1.大門口 - 町石道(ちょういしみち) 
高野山壇上伽藍を起点に、九度山の慈尊院まで1町(109m)ごとに180基の町石が並んでいる。空海の開山直後に開かれた道という。表参道と言える。22キロ、7時間。

2.不動坂口 - 京大坂道
江戸期以降、よく使われた。
河内長野から橋本経由ではいり、南海電鉄学文路駅あたりを起点とすれば9.5キロ、5時間。いまは私のように途中の極楽橋から歩けば楽。

3.黒河口 (大和口)- 黒河道
4.大滝口 - 小辺路(熊野古道)
5.大峰口 - 大峰道
6.龍神口 - 有田・龍神道
7.相ノ浦口 - 相ノ浦道

15:05 女人堂
高野山の山内地図にもある女人堂に到達。
高野山は女人禁制であったから、登ってきた女性のために七口の外に籠もり堂(参籠所)が置かれ、女たちは宿泊に利用したり、堂内の大日如来に祈願したりした。今はこの不動坂口のみに残る。
15:05 
女人堂の横に標柱がある。
高野山 金剛峯寺
ここから下り坂となる。この坂を不動坂といい、ここから不動坂口と呼ばれる。
あれ?極楽橋駅を出てすぐの坂も不動坂といったではないか。
ま、やっと「高野山」に着いた。

グーグル地図では極楽橋から金剛峯寺本堂まで3.1キロ1時間だが、この女人堂までは2.2キロ、50分と出る。
これを迂回路を通っても55分で来たから健脚と言える。

(続く)

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