2017年10月8日日曜日

白菜苗の地植え、大根移植

金、土の雨が上がり、ほかに用事もない日曜。
種から育てた白菜の苗。
埼玉で見る他人の白菜は、すでに大きな株になっていて、ネットを外しても虫に食べられないくらい、青々している。しかし私のは、ヨトウムシやナメクジに食べられたからか、日照不足なのか、昨年同様、1か月でほとんど成長していない。
地植えして再びネットを張った。
上写真の右側は大根。

間引きした大根を試しに植えてみた。
大根は根が長く伸びるから苗の植え替えはだめだというが、どうだろう?

足場にしている板を裏返したらナメクジ

こちらの板の裏にはシロアリがびっしり。
そのままコンクリートの上に持ってきて、カメラを取りに行って、また裏返したところ。シロアリはコンクリートのほうに移り、食べた板の穴からも1匹出てきている(写真中央)。

農作業していると甘い香りがした。
金木犀
先週は気付かなかったから、咲いたばかりかな。


2017年10月7日土曜日

将棋会館。売店と将棋道場のシステム

10月7日 千駄ヶ谷、鳩森八幡神社の続き。

境内だったか、富士塚頂上だったか、すぐ隣に将棋会館の看板が見えたので寄ってみた。
ヒフミン、藤井聡太の活躍で、何回かテレビで見たが、来たのは初めて。
2階の窓際に将棋を指している人たちが見える。将棋道場と書いてある。
入っていいのだろうかと迷いながら入口に近づき、そのまま入ってみた。

一階はショップになっている。
まあショップなら一般人が入ってもいいだろうと一安心。

将棋の駒
高いものは756,000円もする。
材は伊豆、御蔵島の原生林の黄楊(ツゲ)。4,5年寝かせたものを使うらしい。
大竹竹風作、源兵衛清安書とある。
大竹竹風という人が板から駒の形をつくり、源兵衛清安という人が字を書いたのだろうか? しかし源兵衛清安とは、書家の号としては変である。

帰って調べたら、源兵衛清安書というのは書体の一つらしい。
作者(駒師という)は、材から駒の形を一つ一つ手作業で削り出し、書体に合わせて彫ったり、漆で書く。大竹竹風は1944年生まれ。名人といわれる駒師5人の一人という。

もちろん安い駒もある。
旅行の車中でも使ったようなマグネット将棋盤セットは2160円。

私が子どもの頃使った、文字は印刷(ハンコ?)、9x9のマス目の紙が小さくたたまれ、駒と一緒にボール紙の箱に入っていた500円くらいのものは、今ないのだろうか。

反対側には将棋盤があった。
最高級品は、屋久島産の榧(カヤ)。162万円。

扇子が1728円でうっている。
言葉が書いてあって、私の場合はダンスに結び付けてしまう。

・大山康晴「調和」:
自分をきれいに見せることより、パートナーが美しく踊れるようにしないと勝てない。
・羽生善治「継続は力なり」:
上達が見えず、競技で負け続けても、諦めずに練習しろということか・・・・。しかしそのために払う犠牲は相当なものだ。
・加藤一二三「生涯現役」:
パーティーダンスはできるだろうが、競技はいつまでやれるのだろう?

それほど上手な字でないから、本人の筆跡であろう。
つまり、これらは下手に書いた方が価値がある。

将棋関連書籍
面白いのは児童用の将棋入門ドリル。
すべての漢字に読み仮名がふってあった。

彼のジグソーパズル、クリアファイル、Tシャツは別のところで売っていた。

3,4階は対局室、事務所があるため一般人は立ち入り禁止。
2階に上がってみた。

人が一杯。
碁をするところは碁会所だが、将棋を指しに行くところは何というか?
考えても分からず、調べたら将棋道場というらしい。
そうか、だから窓ガラスに「将棋道場」と書いてあったんだ。
道場と言えば武道の練習場のイメージがあるから、しっくりこない。
1日いて平日1000円、土日祝1500円。
中学生以下半額。
回数券、定期券はぐっとお得。
部屋の外、廊下の椅子にはお母さん方がいっぱい、子供たちの付添できたのだろうか。
見ると子どもと老人が多く、その組み合わせも目立つ。4割は中学生以下だという。
駒盤は全部で70、8割がた埋まっていたので100人以上が対局している。
土日は200人、平日70人くらい来るという。

マイクで名前をしょっちゅう呼んでいる。
尋ねると、カウンター(手合い係)に名前を伝えて待っていると同じクラスの人と対局できるよう案内してもらえるという。
「同じクラス」というのはどう判断するか? 
棋力認定(昇級)のシステムはなかなかよくできている(以下を参照)


3階へ上がる階段は、あまり人が通らないから、小学生が何人か座っておにぎりを食べていた。
一日中ここで過ごすようだ。

母親が付添できていたり、子どもが一日中過ごしていたり、ひょっとして未来の藤井聡太が何人もいるのかもしれない。
毎日のようにトーナメントが行われていて、景品は駒のキーホルダーなど。
45年以上前、中学3年のとき、学校の方針で週1コマ、授業をつぶしてクラブ活動の時間が新たに作られた。皆2つ目のクラブに入ることになり、私は放課後のクラブとして剣道をしていたが、この2つめを将棋にした。もちろん、クラブの週1回だけでなく、休み時間も毎日指した。
市の将棋大会にも出た。子どもは同級生と私の二人だけ。参加費が500円くらいで、昼にざるそばが出た。

そんなことを思い出しながら外に出たら、鳩森神社、富士塚の頂上であった赤い服の小学生が向こうから歩いてきた。彼はそのまま将棋会館に入っていった。富士塚には気分転換に登ったのか、それとも祈願に行ったのだろうか。


千駄ヶ谷、鳩森神社の富士塚

7月、股関節のスジを傷めてダンス中断、9月にダンス再開、ようやく競技会に出られるようになった。
10月7日、千駄ヶ谷の東京体育館、DSCJのB級戦、29組中12位に終わった。

敗退したら、さっさと会場を出る。
隣の国立競技場を見に行く。
前回は穴を掘っているだけで建造物はなかったが、もう観客席の形ができてきた。

負けた疲れから、工事現場をみながら信濃町まで散策する気になれない。
反対方向に歩き、以前から気になっていた鳩森八幡神社を初めて訪ねた。
ずっとハトモリと呼んでいたが、正しくはハトノモリというらしい。

昔、青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然多くの白鳩が飛び立った。そこで村人は小さな祠をつくり鳩森(はとのもり)と名付けたが、ご神体がほしく、その後、神功皇后・応神天皇の像を作り添えて、八幡神社としたという。
御神木のイチョウ。
昭和20年5月、本殿はじめ多くのものが焼けた空襲に耐えた。

うしろの赤い鳥居は甲賀稲荷神社。
青山練兵場を作るときに、移されたらしい。
ここは富士塚が有名
前方に池というのは基本様式だったらしい。


雨が上がった登山道を頂上まで。
山を作っている石は明らかに千駄ヶ谷にはない。
溶岩が固まった石である。
富士講で実際に行った者たちが、担いで持ち帰ったのだろう。重いものほど褒められたに違いない。

写真右下に写る赤い服の小学生、私が頂上にいた時は遠慮して、私のあとで上っていった。

能楽殿
ガラス張りであった。

隣に将棋会館があったので、神社を後にする。
こちらのほうが正門だろうか。


2017年10月1日日曜日

国立近代美術館、無料開放日

護国寺で原田直次郎を見たとき、
「本物は近代美術館にある。今日は第一日曜だから無料だよ」
と弟がいう。
「でも、そういう日は混んでるんじゃないの?」
「いや、あそこはいつも空いている。月1の無料日なんでだれも知らないし、関心もない」

そこで雑司ケ谷霊園に行く予定はやめて、急きょ地下鉄に乗った。
護国寺に自転車で来なくてよかった。
竹橋でおりて地上に出ると、石垣と堀が目に入る。
やっぱり江戸城はいいな。
清水濠
牛が淵からつながっているのだが、清水門から竹橋までは清水濠というらしい。
淵はもと川だったところ、濠は人工的に掘ったところというが、それなら牛が淵の川は清水門のあたりで平川(日本橋川)に入っていたのだろうか。

国立近代美術館MOMAT

この前は何回も通っているが、入るのは初めて。
それにしても、明治以降の絵画は「美術館」で、江戸以前は「博物館」(上野)というのは面白い。

慣れた感じでさっさと行く弟のあとを追って、
エレベーターで4階まで上がる。
見始めるといきなり加山又造の千羽鶴、菱田春草の王昭君(重文)の大作。
ほんとうに有名な作品の本物がすぐそばで見られる。

原田直次郎、騎龍観音 (重文)
護国寺本堂にあった複製品の本物。
国内最大規模約13,000点の所蔵作品から約200点を厳選して紹介しているというのに、偶然これが展示されていた。一日2か所で見たことから、この絵はずっと忘れないだろう。

岸田劉生
土の質感が素晴らしかった。
父親の岸田吟香については以前書いた。

村山塊太、中村彝、石井柏亭ら、千駄木、谷中ゆかりの作家も多い。
荻原碌山、高村光太郎の塑像もある。

3階に降りるとまたまた有名人、有名作品がいっぱい。
藤田嗣治、国吉康雄、東山魁夷らは10作以上展示されていて、まるで有名企画展を一度に何回も見た気分。

サイパン島 同胞臣節 全うす(1945)

これは戦意を鼓舞するものだろうか? 
私には反戦画に見えてしまう。
彼は「血戦ガタルカナル』(1944)など戦争画を何枚も書いている。
とにかく藤田は戦争協力者と非難され、日本を去りフランスに渡った。

動物の宴
たしかに藤田は乳白色が多い。

「白い朝」

朝、窓をあけると、庭一面の雪であった。
きじばとが一羽、羽をふくらませて、じっと枝にとまっている。
寒さに耐えて、春を待っているのだろうか。
何かを祈り、沈思しているように感じられた。
白の中のその孤独な姿が、私の心に通った。
(東山魁夷)

東山魁夷は今回 17 枚も展示された。

初めて行ったけれど、さすが国立美術館。
あれだけのものをタダで見てしまい申し訳ないと思った。
また行こう。

今回のMOMAT展(11/5まで)の作品リスト
http://www.momat.go.jp/am/permanent20170527_list29-1/


護国寺・墓地 山県、大隈、三条、

本堂の東、北には墓地が広がる。
ほかの寺と比べ、一つが大きい。
公爵山県有朋
左隣は田中光顕
その左が
従一位大勲位侯爵大隈重信墓
憲政会の石塔もある。

内大臣、正一位大勲位公爵
三条実美

一般人のお墓も大きい。

地下に部屋がある。

伊達宗敦
伊予宇和島の宗城の二男。宗城は谷中の広大な墓地に眠る。

josiah conder 
岩崎邸、島津邸、古河邸などを設計。
辰野金吾などを育てた。

空いているところもあるが、一区画はこれが最低か。
近所の寺でも分乗しているが、広くてもこの4分の1である。
いったい、いくらだろう?

陸軍墓地。
砲弾のモニュメントがある。
かつては護国寺の西側部分、5000坪にもわたっていたというが、この場所に縮小されたとのこと。
昭和7年、確かに陸軍墓地がある。
一般墓地より広い。
この地図だと高等師範(東京教育大)はあるが、女子師範(お茶大)はまだ来ていない。

護国寺墓地のまとめ:
谷中と比べて有名人の比率が高い。
また、一区画も大きい。
高級墓地という感じ。

お彼岸から1週間たったが、品の良い墓参りの老婦人とすれちがう。
一体、どんな名家の人なのか、墓石までついていきたい気分だった。


千駄木菜園 総目次

護国寺・25年前の記憶

長野から来た弟が行ってみたいというので、出かけた。
家から3.5㎞。
ご近所カテゴリーには入らない。
自転車で不忍通りをまっすぐ行けばいいのだが、上り下りがあるのでバスにした。

バスは護国寺惣門前に止まる。
惣門に並んで何の案内もない大きな門がある。
京都の御所みたいな塀。
すべての瓦に菊の御紋。
(写真を拡大すれば見える)


護国寺は綱吉が母、桂昌院の願いを聞いて建立した祈願時で、檀家を持たなかった。そのため、幕府瓦解して経済的な苦境に陥いり、境内5万坪の多くを失った。東側の2万5千坪は皇族墓地になった。その入り口がこの門である。

昨年11月、三笠宮崇仁親王が101歳で亡くなられ、斂葬の儀が行われたのはここである。中に入れなくとも、記帳に来れば何か見えるかもしれないと思ったが、結局来なかった。

護国寺は、普通、地下鉄の駅がある仁王門から入るから、惣門前はあまり人がいない。
入るとすぐ音羽幼稚園。民家のように見えるのは僧坊か。


護国寺に初めてきたのは
1992年11月だから25年前だ。
田辺製薬、薬理研究所の顧問をされていた東大名誉教授、熊谷洋先生が亡くなられ、葬儀の手伝いに来たのである。

現在葬儀は、桂昌殿で行われるようだが、25年前はこんな建物はなかった気がする。
葬儀会場はもっと小さく、今日と同じ秋晴れ、西日を浴びた下駄箱だけ覚えている。
桂昌殿

建物名は、桂昌院からとったものだろう。
野球ユニフォームの生徒は、日大豊山の学生だろうか。

25年前、手伝う仕事が何もなかったのか、式典などの記憶が全くない。
覚えているのは、葬儀が終わり、本殿を見物したことくらい。
2001年8月、目白フォーシーズンホテルで学会のあと、鳩山邸から歩いてきた。
そのとき、石段を上がった右側に鳩山和夫?一郎?の銅像があった。
たしかに、音羽の自邸は近いけれど、私物が公的な境内にあって違和感を覚えた。
今日、探したけれど銅像はなかった。撤去したのだろうか。
本堂(観音堂)

明治16 年と大正15 年の火災で多くの堂宇が焼けたが、元禄時代に作られた本堂は残った。国重要文化財。
象頭、獅子頭。
さすが幕府が後ろにいただけあり、豪華である。

本堂内部。

25年前、松岡さんや奥山さんと大きな曼荼羅を見た気がしたのだが、今は小さいものが横にあるだけ。
あれは何を見たのだろう?

この写真を撮った後、撮影禁止という注意書きを見たので、写せなくなった。
本尊がある場所に鏡があった。
奥のほうには立派な仏像がたくさんある。
欄間には牡丹の彫刻。
伊藤若冲を思わせる群鶏図。
全て色が剥げているが、奉納された立派な額が多い。
天井は中央に竜、両側に天女が4枚ずつ。
人がほとんどおらず、十分鑑賞できる。

西側の壁には原田直次郎が奉納した「騎龍観音」
直次郎は鴎外のドイツ留学時代からの友人で、ステッキを持って気取った鴎外、岩佐新との三人の記念写真は有名である。

弟によると、これは複製で本物は国立近代美術館にあるらしい。
今日は第一日曜で無料だから、行ってみようかという。
長野の田舎にいてなんでそんなことまで知っているのだ!?


護国寺にも富士塚がある。
斜面にあるので、円錐型がよくわからない。


十分満足して、仁王門を後にした。