7月12日、小日向から茗荷谷を歩いた。
すなわち巻石通りから荒木坂を上がり会津松平家の跡地をすぎ、
切支丹屋敷をみて、深光寺に曲亭馬琴の墓を訪ねた。さらに清華寮跡地をとおり、拓殖大学のうらを回って東洋文化研究所跡をみた。
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茗荷谷というのは学校が多い。
日本女学校(現相模女子大)は戦後神奈川に移転したが、貞静学園短大・中学・高校、拓殖大学については先のブログで書いた。
1932(昭和7年)
昭和初期、日本女学校はみえるが、お茶の水女子大、跡見はまだない。
その代わり1908(明治41年)以来の東京陸軍兵器支廠(大塚兵器庫)がある。ここが廃止され、東側に道路ができ、東方文化学院研究所が作られ、跡見、女子高等師範学校が移転してきた。
1940(昭和15年)
2020-07-12 15:27
跡見学園女子大2号館
中学・高校はテニスコートを挟んで北側にある。
この場所は日本女学校の西に当たり、当初は跡見の敷地ではなかった。
南(右手前)にお茶大の寮がある。
左(西)側は拓殖大学F館(もと外務省研修所)、マンション、新大塚公園と並ぶ。
この通りは陸軍兵器庫がなくなってできた新しい道である。
15:29
旧跡見女学校正門跡
たしかに昭和15年の地図を見れば正門の場所がここと分かる。
1875、明治8年、跡見花蹊が神田区中猿楽町に「私立跡見学校」を設立というから古い。1888、小石川柳町に移転、1933、ここ大塚に来た。
1950、短大設置、1965、四年制大学(新座)設置
2007、短大廃止
2008、跡見学園女子大学文京キャンパスオープン
1975年、東京に出てきて初めて女性と会ったのは同郷のHJ子さんだった。
どこへ行ったらいいか分からず、上野公園から銀座まで歩いてしまった。その1,2か月前の3月、長野で彼女に初めて電話したとき、跡見という大学を初めて知った。
秋には免許取ったばかりなのに、新座の跡見女子大正門前で彼女をピックアップし、森林公園にいった。人生最初で最後のドライブデートである。しかし自分に自信がなく、女性の気持ちもよく分からず、その後数回はがきと年賀状の往復があったけれども、手も握らないまま別れてしまった。あの時もう少し勇気があったら、あるいはもう少し後で会っていたらどうなっていただろう。人生とは不思議なものだ。
跡見といえば彼女しか頭に浮かばない。
45年前のことを考えながら道なりに歩いたら春日通に出た。
珍しく疲れたのでコンビニでジュースを買う。
15:36
大塚1丁目交差点から北を見る
お茶大正門前あたりがへこんでいる。
地形図を見れば茗荷谷の続きではなく、千川・窪町側から続く低地のようだ。
15:38
嘉ノ雅 茗渓館(かのび めいけいかん)
もとここには東京高等師範、教育大の同窓会「茗渓会」が運営する茗渓会館があった。
1933年築の歴史的建造物であったが老朽化のため建て替えた(新館竣工1995)。その結果同窓会の財政状況が悪化、2015年から運営管理を株式会社シーズンに明け渡し、同社は8月から嘉ノ雅・茗渓館の名前で結婚式場、レストラン、カフェとして営業している。
茗渓という名前は茗荷谷そのものだが、高等師範がお茶の水にあったころからの名称である。茗には茶の意味もあり、神田川のお茶の水橋あたりを茗渓といった。
ちなみに女子高等師範・お茶大の同窓会は桜蔭会で、お茶大付属小学校の同窓会は茗鏡会である。
15:39
跡見学園正門
春日通への出口として購入したのはいつだろう?
向かいには窪町小学校、そのむこうには筑波大東京キャンパスがある。(別ブログ)
跡見の隣は都バスの大塚車庫だった。
2015年閉鎖
となりは地下鉄茗荷谷駅の一等地
15:40
跡地は隣の跡見も欲しかっただろうが、少子化で学生がへる時代に拡大は難しい。
ここは八王子の中央大学法学部が45年ぶりに都心回帰するようだ。
中央の法科といえば、かつては名門であったが昨今は聞かない。
かつて景気よく郊外移転の先駆けとなったが、いまや危機感いっぱいだろう。
7255平米のうち5140平米に地下3階、8階建て1棟だから窮屈である。35メートルだが裏側が崖になっているから、西から見たら威圧感ありそうだ。2023年2月完成予定。
みな都心に戻りたいだろうが、いま大学らしい、品のあるキャンパスを作るのは難しい。
茗荷谷駅 1954年開業
大学生があつまる、文京区で一番華やかな駅ではなかろうか。
コロナの日曜とあって学生はいない。
駅の裏はスーパー・サントクを中心に、サンマルクカフェ、コンビニ、しまむら、携帯ショップなど女子学生が好きそうな店が並んでいた。
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