2017年4月21日金曜日

彦根は井伊直弼が好き

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4月20日。
関西の製薬会社の研究所から講演を頼まれ西に向かう途中、彦根に寄った。

若いころからずっと素通りしていたが、そろそろ寄らないと一生行かなくなると思ったのは、先月の掛川城と同じ。

7時半に家を出て、800発ののぞみ。
自由席は空いていて天気も良く快適。

名古屋、米原で乗り換え1025彦根着。
いくら平日の日中とはいえ、30万石城下町、新幹線の隣の駅とは思えないほど人がいなかった。
駅前に井伊直政の騎馬像。
譜代大名筆頭であるから、家康の三河以来の旧臣の印象があるが、直政は小姓として仕え、武田滅亡後にその遺臣を預けられ初めて士大将となった。後に恐れられる井伊の赤備えという装束にしても武田軍団のものである。
小牧・長久手や小田原で軍功を挙げ、家康関東入府後に上野高崎で徳川家臣筆頭の12万石を与えられる。関ヶ原でも功をあげ、三成のいた佐和山に加増移封、彦根に来た。ただし佐和山城から彦根城に移るのは次の直孝の代である。

思った通り、NHKドラマ「女城主・直虎」の幟が目立ったが、新たに世界遺産という運動も目についた。確かに彦根城は立派だけど、何でもかんでも世界遺産というのは、とくにお役所がやるのは、あまり好きではない。

まっすぐ行くと護国神社にぶつかる。
よそよりも遺族会、退役軍人会がきちんと活動している町という印象を受けた。もちろんここはすでにかつての城内である。
中堀、内堀を渡る。
松本は天守閣に上がらなければ無料、姫路も無料の場所が広いが、ここは内堀の中、つまり鐘の丸、西の丸、本丸をふくむ城域全体が有料である。
入場料は姫路と同じ1000円。これだけのものを維持するには必要であろう。




本丸、天守閣前に行ったら急に人が増えた。
ひこにゃんは要らない。
天守閣は姫路、松本と比べると小さいが、山の上にあるから大きくする必要はない。
琵琶湖が見える。
下は佐和山方面。

天守に上がるとき、くつを入れるよう真新しいビニールを渡された。
ひとり一袋使い捨てなのだろうか、もったいない、と思ってしまう。
でも今の人は他人の靴が入ったビニールに再び入れるのは拒否するのだろうか。

天守閣内に直弼の像。
さすがに直政を置くミスはしない。
天守閣から琵琶湖を臨む。
下は佐和山。



ものすごい急な階段。
年配の人にはきつそうで(とくに下りが)、休日は大混雑だろう。

天守閣は北(西の丸)側からのほうが美しい。
西の丸から降りると井戸曲輪。
タンポポ満開。
いくら本丸西の丸から降りているとはいえ、平地からはかなり高いから相当深い井戸であろう。






内堀を渡り、藩主の居館であった楽々園、玄宮園に行く。
立派な踏み石

小さく天守閣が見える。
玄宮園をでた駐車場に直弼の像。
ここでは「開国の英雄」である。
我々は安政の大獄で悪人のイメージを植え付けられている。桜田門外の遭難も同情されない。
譜代筆頭の家に生まれ、大老とあれば、徳川の秩序を守ろうとするのは当然なのだが、志士、明治政府から見たら極悪人だったのだろう。その史観が我々の時代まで続いている。
しかし彦根市民だけは直弼が大好きだったのだ。

反直弼派の一ツ橋派が政権を取ると、彦根藩は10万石減封された。薩長ににらまれ、幕府にも咎められたことも直弼びいきの原因か。

直弼像の裏の土手に上がると佐和山がみえた。


上は開国記念館にあった彦根城の模型。

国宝は天守閣と櫓である。たしかに現存12天守閣の中では古い(1607) から文化財的には貴重なのだが、私は城郭全体が素晴らしいと思った。

琵琶湖、東山道、北陸道、東海道が集まる南近江。
戦略的重要地点から筆頭家臣を置き、城郭整備は七か国12大名に命じられた天下普請。松本などと違い平山城であったことも幸いしたか、遺構が良く残っている。彦根は良い財産をもっている。

佐和山も行きたかったが、彦根城が思ったより良くて時間がなくなった。
本来の用事である神戸に向かわなくてはならない。
西口に直政に対抗して三成の像があるかと思ったがなかった。駅の裏口らしく何もなかった。

もう一度佐和山を見て電車に乗った。
私は三成が好きだ。
また来る機会があるだろうか。


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