2019年10月5日土曜日

有栖川公園と都立中央図書館

10月2日、恵比寿の薬局訪問のついでに広尾まで足を延ばす。
この一帯、今まで縁がなく、人生初めて歩く道。
渋谷区広尾から港区南麻布に入る。
南部坂。
かつては左の有栖川宮記念公園、坂上の野球場など港区麻布運動場を含めて盛岡藩20万石南部家下屋敷だった。

今の住居表示、南麻布5丁目になるまえは麻布盛岡町だった。
岩手県の県庁所在地など日常会話で出ることはないが、かつては盛岡様とでも呼ばれ、土地の人には耳慣れた単語だったのだろう。 
有栖川宮。
1625(寛永2年)、後陽成天皇の第7皇子・好仁親王が創設。
当初の宮号は高松宮であったが、3代目のとき有栖川宮となる。
有栖川という川があるわけでもなく、由来は不明。

アリスという大和言葉として聞きなれない苗字を聞くと栗栖三郎を思いだす。
日独伊三国同盟締結のときのドイツ大使であったが、親米英派で、野村大使を補佐する形で日米交渉にあたった。
神栖とか、栖があると不思議な語感となる。
鳥栖なんかトスでもトリスでも英語っぽい。


池の端は川のように細くなり、むこうに石の太鼓橋がかかっている。
鯉がうようよ。
写真右に釣り人
釣れては困るのだろうか、敢えて鯉の居ない場所で本格的な装備、格好で構えていらした。

区立公園とは思えない広さと深さ

有栖川宮熾仁(たるひと)親王(1835-1895)像
戊辰戦争のときの東征大総督として知られる。
子はなく、異母弟の有栖川宮威仁親王(1862- 1913)が跡を継ぐも、1908年に子の栽仁王(たねひと、11代目予定)が20歳の若さで薨去。断絶。
ここで大正天皇の第3皇子、宣仁親王が、有栖川宮の祭祀をつぐことになり、有栖川宮の旧称である高松宮を名乗った。
宣仁親王は江田島兵学校を出た海軍軍人で、高松宮日記も読んだことがあるが、宮号の意味を、この日、初めて知った。

この地は有栖川宮威仁親王、栽仁王の新邸予定地であったが、新邸は作られず、高松宮は有栖川宮威仁の没後20年たった1934年に公園地として11,000坪を東京市に寄付した。

・・・・・・・・・

公園の高台部分に都立中央図書館がある。
初めてきた。
入り口で首掛けのカードをもらって入場。
信濃毎日新聞など全国の地方紙、
薬事日報など業界紙、
聖教新聞、天理時報など宗教紙、
さまざまな新聞が揃っている。

医学書のある書架のそばには医中誌webなどデータベース検索もできる端末。
他のコーナーでは朝日毎日読売はじめ各新聞記事のデータベース、
さらには日経BP、ダイヤモンド社など雑誌、事典、文学、人物、ビジネス、法律、官報など、様々なデータベース検索端末があった。
もちろん一般のグーグル検索などもできる端末も用意されている。

もう一つの特徴は係員が非常に多いこと。
加えて町の図書館の一番の仕事と思われる貸出しと書架への返却がないから、立って待機している人があちこちにいらっしゃる。
私のように初めて来た人も多いだろうから説明になれていて、少し聞くととても親切に教えてもらえる。

見物に来たというと5階までエレベーターで上がってカフェから順に見てくればよいとアドバイスされた。
11時開店の前だから人はほとんどいなかった。
自動販売機のコーヒーを飲みながら、端っこでパソコンを打っている人がいた。
左に六本木ヒルズ、右に麻布善福寺裏のサボテン型マンション(元麻布ヒルズフォレストタワー)がみえた。

都立中央図書館は1908(明41)年開館の東京市立日比谷図書館が始まりとされる。
当時、市では15区全部に図書館を作る計画で、翌1909年には深川図書館、1910年に本郷図書館も開館(1962に千駄木、観潮楼あとに移転してきた)。
1914年(大3)には、日比谷図書館が市内19館を管理し一体的に運営する体制となった。

1943年、戦時中に東京府と東京市が廃止され東京都ができ、多摩地区もふくめすべての公立図書館は都立図書館に移行、このとき日比谷が中央図書館に指定された。

1950、日比谷を除く23区の都立図書館はそれぞれの区へ移管され、都立は日比谷、立川、青梅の3館だけのこる。
このころから都立図書館と区立、市立図書館との役割分担や協力関係の模索が始まり、老朽化、手狭な日比谷の代わりとなる新図書館が構想された。

1973、都立中央図書館が、有栖川宮記念公園内の都立教育研究所移転の跡地で開館、日比谷図書館から多くの蔵書を移動した。

1987、都立八王子・立川・青梅が合併、都立多摩図書館となり、この時点で都立は日比谷・中央・多摩の3館。(1976都立江東図書館ができるも1986区立に移管)

2009、日比谷が千代田区に移管され、都立はいまの中央と多摩の2館になった。

町の図書館は受験生などの若者でいっぱいだが、ここの閲覧室は人があまりいない。

地方の資料も充実している。

わが故郷の中野市誌全3巻も南木曽町誌のとなりにあった。

蔵書206万冊。(東大総合図書館は130万冊)
開架が36万冊、閲覧席900でとても便利。

家からだと歩きと地下鉄でドアツードア40分、ちょっと遠いかな。
広尾、麻布の人はいいな。

井浦さんの「弁護士のくず」発見。
コミックコーナーは1階と3階にあり、水木しげる全集、島耕作全集課長編、ジパング、あさきゆめみし、JIN、医龍、ドラゴン桜、20世紀少年、ベルばら、など名作とされるものが揃っている。

ここで撮影禁止であることを注意された。
館内を写すときは1階カウンターで申し込むようだ。すみません。


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