2019年10月18日金曜日

栗拾いと台風19号

超大型台風19号が近づく10月11日金曜日、
早く仕事を片付けて帰らなくてはいけないのに、ふと職場の近くの森に出かけた。
朝、駅から歩くときにイガが落ちていた場所。
歩道から中に入ると、ひっそり栗の木があった。

2019-10-11
大学の所有地のせいか、蜘蛛の巣張る暗いジャングルのせいか、誰も立ち入らない。

栗というのはこのようにイガにつつまれたまま落ちたものもあるが、裸で落ちたものもある。むしろそちらの方が多く、なるほど、「栗拾い」である。
落ちて時間がたったものは虫に食われたり、濡れて質が落ちたりする。

市販のものよりだいぶ小さいが、茹でてみた。
数個、変な味のものがあったが、まあ食べられた。
職場の11階から。
 ここはもと国際電電公社KDDの敷地だったところで原生林のような森に囲まれている。
2019-10-11 この季節は密林。
2019-01-25 冬に葉が落ちれば地面が見える。
栗やクヌギなど落葉広葉樹、クスノキ、シイなど照葉樹に赤松が交じる。
2019-01-25
2019-04-06
若葉のころ、白く見えるのは桜。
2019-05-09 春はスミレがかわいらしい。

さて、台風。
翌10月12日は午後から電車が止まるというので、職場は休み、自宅待機。
先月の15号では夜中に目が覚めるほどの強風だったので、雨の中、飛びそうな板や園芸用品を室内や縁の下に入れた。
しかし12日夜、関東直撃にしては思ったより風雨は少なかった。

翌13日朝は台風一過、晴れ。
信州中野の弟に電話。中野市でも岩船は大丈夫だったが、片塩あたりは避難勧告が出たという。長野市穂保の堤防決壊で義妹(弟の嫁さん)の兄の家が水に浸かったらしい。
我々と同じテレビでしか様子はわからないようだ。

翌14日朝、また弟に電話。
彼の嫁さんの実家は、幸い浸水は免れたが停電のため、一人暮らす母親が娘の嫁ぎ先である弟のところに避難してきた。嫁さんの兄の家は一階が水没、彼の嫁さんの実家に避難しているという。
中野市でも立ヶ花、栗林のあたりは千曲川が越水、私の母の実家柳沢も夜間瀬川が氾濫したらしいがニュースにならず。
テレビでは千曲川というと新幹線が浸かった穂保地区と、上田電鉄の鉄橋落下、護岸が崩れて流れた家ばかり放送しているが、松代、須坂など千曲本流で少なくとも17か所、支流18か所、あわせて35か所が決壊、越水したらしい。

この日、水が引いて弟、義妹、甥たちは義妹の兄の家に片づけにいった。
泥はもちろん、初めて持つ泥水を吸った衣服、家具などはたいそう重く、「腰が痛くなった」という。
現場に立ち会った人々皆の気持ちも泥のように重かっただろう。
アルバム、思い出の品々やら楽しかった過去は無残に流され、現在は疲労、将来は不透明な不安。

被害のなかった文京区から15日、職場に行くと赤松の大木が折れていた。
埼玉の方が風が強かったのだろうか。
奥の方にも、もう一本、水平に倒れていた。

虫が食っていた。
2019-10-15
松の脇に新たな栗の木を発見したが、拾う気になれなかった。

穂保地区の堤防決壊で水没したド真ん中を、国道18号のバイパスが通る。
16日夜まで不通だったという。
両側に果樹園のみが続く、通称アップルライン。
中野から長野、東京に向かう道。
父の運転で、私の運転で、何十回通っただろう。

祖母の葬式出席のため長野駅に着いた結婚前の妻と義父を乗せて実家に連れて行ったのもこの道。義父は窓から見える桃やリンゴを指して「あれは何の木かね?」と聞いた。
高速道路ができてから久しく走ることは無くなってしまったが、両脇のリンゴ直売所とともに、赤沼、長沼という地名看板が思い出される。
昔は沼があったかもしれないが、水田や湿地などはなく、川も見えず、むしろ水はけのよい場所に見えた。

弟たちは明日19日も片づけの手伝いに行くらしい。


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