2022年3月26日土曜日

京都7 公家跡地の御苑、紫宸殿、池、猿が辻

 

2022-03-19
同志社大学今出川キャンパスをみたあと、通りを渡って今出川御門から御苑に入った。
前回来たのは22年前の2000年4月9日。

10:12
今出川御門をなぜか近衛御門と思っていたのは、入ってすぐ右(西)が近衛家の屋敷だったから。


右が近衛家屋敷跡。
今出川通りから丸太町通りまで、長方形から御所、仙洞御所などを除いた部分は65万平米という。
ここに200軒ほどの宮家、公家が住んでいた。(二条、冷泉などは今出川通りの北側)
単純計算すれば1軒当たり3000平米か。
和宮様御留(有吉佐和子)の表紙裏

しかし、宮家以外の公家では近衛(2862石)、一条(2044)、九条(2043)、二条(1708)、鷹司(1500)の5摂家が圧倒的に大きい。
その下が三条、西園寺など清華家の9家。1500石(今出川家)から数百石まで。
その下は大臣家(3家)で300石以下。
その下は羽林家、名家と分類されるが、下のほうは30石三人扶持と言う下級武士並で、仕事もなく質素な暮らしだったらしい。
上図のように屋敷地も石高に応じて差があった。

明治維新で東京に屋敷地をもらいみな移動してここは荒廃したが、のち公園として整備された。御所、仙洞御所が宮内庁管轄、迎賓館は内閣府なのに対し、御苑の65ヘクタールは環境省が管理する。

御所北西の隅、皇后門
蛤御門はまっすぐ南にいった西側、御所ではなく公家地への門。

10:21 
清所門から御所に入る
従来の荷物検査に加え、コロナチェック
2000年4月9日いらい2回目。
かつては春、秋の年2回しか公開されていなかったが、いまは年中入れるようだ。

平安京の内裏が船岡山の南から、2km東の現在地に移ってきたのは1331年という。

10:31
諸大夫(しょだいぶ)の間
大名が天皇に会うときは、すぐそばの立派な御車寄せからは入れず、こちらに回って靴脱石から上がり、この部屋で待たされた。
高位の貴族などは御車寄せから入ったから、朝廷、公家の武家蔑視はかなりのものである。

10:35
承明門から紫宸殿の右近の橘、左近の桜をみる。
右大臣、左大臣なども、左右は天皇から見た位置。

この南、すなわち写真の背中側に建礼門がある。御所の正門で天皇と国賓のみが使う。
安徳天皇を産んだ清盛の娘は建礼門院といったが、「門院」は天皇の生母その他の後宮、内親王に与えられた称号で、建礼門と建礼門院とは関係ないだろう。

紫宸殿の前庭
御所で最も格式高い正殿。五か条のご誓文の舞台となった。
即位の礼の際はこの庭に旗などが並び、殿上には皇族、諸大臣が並んだ。
なかには東京でも使った高御座があるはず。

10:43
小御所の東の池
2000年に初めて見た時、丸石を並べた池は新鮮で、御所で一番印象に残った。
それまで多く見てきた寺社の庭は、小堀遠州で代表されるように、鎌倉時代以降の禅宗の影響を受けたものだろうか、枯山水のように大きな石を池の周りに配置したものだった。
しかし、飛鳥などで発掘される宮殿の庭はやはり、このように丸石で砂浜を表していた。これが日本古来の形なのだろう。

この池の北は細流があり、曲水の宴に使われた。

蹴鞠の庭
2000年のときはもっと広いところ(多分紫宸殿の東)で蹴鞠が実演されていた。公家装束をまとっていても眼鏡をかけた人などいかにも職員らしい人々で、技量も普通だった。平安貴族を再現するなら技術はサッカー選手のようにある必要はない。
年に2回の公開だったから、そういうサービスもあったのだろうが、年中オープンではやるきっかけがない。

この奥(紫宸殿の西北)に清涼殿があり、天皇の日中過ごす場所だった。
2000年の公開のときはそこまで行けて、前の漢竹、呉竹をみた。
漢竹(かわたけ)は知らなかったが、高校の古典で出てきたのか呉竹の存在は知っていた。
便所の臭いがした気がするが、記憶違いか?

11:06
御所の北側
溝が掘られている。アジア人の子供のグループが川を飛び越えて壁側にわたったら、スピーカーで注意された。監視カメラでもあるのだろうか。

御所の北東、猿が辻
ここは角がない(写真右)。 これは「ツノ(角)を取って鬼を封じる」という考えからくる鬼門除け。 軒下には魔除けの力を持つと言われる猿の木彫りが金網に入っている。
昔、山王日枝神社の使いという猿が住みつき悪さをしていたため、閉じ込めたという。

この辻の北東の森の中に、明治天皇(幼名祐宮)にちなむ井戸、祐井(さちのい)があるらしい。孝明天皇の側室、生母中山慶子の実家、権大納言中山忠能の邸宅があったからだが、先を急ぎ、行かなかった。

11:19
京都迎賓館
2002年着工、2005年竣工
2000年に来たときは何の記憶もないから、林か空き地だったのだろう。

公開されていたがガイドツアーは大人2000円もした。
とくに興味がなかったので500円でも入らない。
一か所で物を見るより、歩いていろんな場所を見たい。

11:32
仙洞御所の南側はグラウンドになっている。
京大の森さんたちはここでソフトボールをしたらしい。

2000年に初めてきたあと、2004年ころ京大から烏丸丸太町まで歩いた時、ここを突っ切った。
南に行けば賀陽宮、閑院宮など皇族邸跡、九条、鷹司邸跡、厳島神社などあるが、行かずに寺町通の新島譲旧宅を見に御苑を後にした。

京都御所がそのままなのは当然として、京都御苑も変なものをあまり作らず(それだけ広い)、市民も観光客も楽しめるいい空間になっていた。

(続く)

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