2022年3月31日木曜日

京都8 鴨川飛び石、京大薬学部、芝蘭会館

3月19日、京都に来た。肌寒い中、同志社、御苑、御所を見た。
昼食後、丸太町通りから、鴨川に降り、遊歩道を北に歩いた。
13:18
寺社よりも京都はこういうところを歩くのが好きだ。

荒神橋をくぐると、ぜひ渡りたかった飛び石橋がある。
初めて渡ったのは京大の帰りだが、2004年ころか2009年か不明。
2022‐03‐19 13:26
左は荒神橋
石の大きさとその間隔は、スリルと安全性の両方を満たす絶妙な塩梅だと思う。

この荒神飛び石のほかに、上流の鴨川デルタには出町の飛び石、下流には二条飛び石がある。都会の中のなんと素晴らしい散歩道だろう。京都は寺社がなくても十分魅力ある。

飛び石から鴨川の土手に上がり、川端通りを渡ると、もう京都大学。
近衛通りとの角は京大稲盛財団記念館。
京都を歩いていて「稲盛」「KYOCERA」などを冠した文化施設がいくつもあった。
京都というのは島津、オムロン、日本新薬、ワコール、宝ホールディングスなど、地元と密着した企業が多い。成功すると東京に本社を移す会社が多い中、京都はそれだけ魅力的だということか。

近衛通りを東へ、京大課外体育施設、薬用植物園と過ぎると、薬学部本館。
東大薬学部よりずっと広い。

13:33
京大薬学部
最初に中に入ったのは2009年、日本薬学会最終日の3月28日。
すでに2003‐2005年のシミレーションプロジェクトで何度も京都に来ていて京都大学は吉田キャンパス、桂キャンパスとも歩いていた。しかし吉田キャンパスでも東大路通りの西の薬学部はそのときが初めてだった。

私は1995年から創薬ターゲットをチャネル、トランスポーターなど膜輸送体に絞っていた。

理由の一つは受容体や酵素はセルフリー(無細胞系)でランダムスクリーニングが可能なため、早くからロボットによるHTSが進み、海外大手に太刀打ちできないと思ったから。
おそらくすでにメガファーマ各社とも選択的阻害薬を持っているのではなかろうか、と考えた。
2つ目の理由は、留学したとき、Caチャネルのクローンを世界で一番持っていた森泰生氏に会い、以後全面的な支援が得られ、世界中の製薬会社で一番を狙えたから。
3つ目は、1987年にHodgkin-Huxleyの論文を読んで以来、電気生理と、チャネルたんぱく質の魅力にはまっていたから。

具体的には、グルタミン酸トランスポーターやCaチャネルを発現させたカエル卵母細胞での電流測定から始まり、対象をKチャネル、Clチャネルに広げ、HEK安定発現細胞と分光学的手法によるHTSをおこなった。40代は一番体が動いた時期。

 neuronal Ca channels(N,  P/Q,  R型)、
 glutamate transporters (EAAC1, GLT-1)
 aquaporine (水チャネル活性を分光学的に見る)
 Ca release activated Ca channel
 Ca activated Chloride channel,
 CFTR(forskolin-activated Cl channel)
 T-type Ca channel(世界初の選択的阻害薬に到達!)
 SK channel(停滞していたテーマの分光学的アッセイ系構築)
 TRPP8 for prostate cancer (=TRPM8)

しかし8年で12個ほど走らせたプロジェクトはことごとく不発に終わり、会社の自分に対する処遇に不満もあって社交ダンスにはまっていった。

2003年、hergチャネル試験のためにオートパッチクランプ装置が導入されたことから、オペレーターとして再びチャネルに戻る。Discoveryはやはり魅力で、イオンワークスによるKv1.5,Nav1.2 の阻害薬探索、Q-patch導入でTRPA1, Kv1.3、Barracuda導入で酸感受性チャネルASICを測った。
国内製薬企業では間違いなくトップクラスを走っていた。

しかし薬理学会の2009年というと、53歳。
初志の1995年から14年も経っている。

研究へのエネルギーは消えてしまっても、やはり学会ではチャネル、ポンプ、トランスポーターなど膜輸送体の話に興味がいく。

この年はトランスポータやポンプなどの電流を測るSurfe2Rのランチョンセミナーがあった。これらはチャネルと比べて電流量が小さいし、膜電位による活性化不活性化がないため測定困難なうえにあまり面白くない。しかしジギタリス(Na/Kポンプ)、胃酸分泌抑制薬(H/Kポンプ)など創薬ターゲットとしては重要である。
学会最終日、Surfe2R発売元イオンゲート社による京大薬学部金子研での実演ワークショップがあったので、初めて京大薬学部に来たのだ。

13:54
2009年以来13年ぶりに廊下を歩いたが、金子周司教授は不在だった。

彼とは、私が1996年にジルチアゼム誘導体T-477の脳型Caチャネルに対する作用を長崎でポスター発表したとき、初めて話した。

金子氏はそれ以前に、論文作成などで便利なLife Science Dictionaryというのを無料ネット公開して、薬理研究以外でも活躍されていた。これはただのライフサイエンス用語の辞書ではない。例えば電流固定という語を入れれば、voltage clamp が出てくるが、この言葉を含む例文を300例ほどライフサイエンスの文献から抽出してある。英作文に極めて便利な辞書なのである。

その後、彼は長野高校の1年後輩であることを知る。
長野県つながりで京大工学部の森さんとも共同研究され、イオンチャネル創薬という共通テーマにより学会でお会いすると話すようになった。

2013年私が日本薬科大学に来てから毎年薬剤師国家試験検討委員会にいくと、彼がいて、懇親会では同じテーマで研究の話ができる唯一の人だった。

さて、留守の金子教授室と同じフロアに竹島浩教授室があった。
彼は森さん、田辺さんとともに京大沼研の主力研究者で、1989年筋小胞体のリヤノジン受容体をクローニングした。400K ダルトン以上の巨大たんぱく質が4量体でチャネルを構成していることを明らかにし、世界を驚かせた人物である。
13:42
幸いいらっしゃった。

名前だけは早くから存じ上げていたが、お会いしたのは2001年田辺製薬がスポンサーになった若手奨励研究会TMFCだったか。
いや、彼が京大薬学に来る前、東北大教授、久留米大教授のまえに東大飯野正光教授の助教授(1995-2001)でいらしたときに会っている。

ひとり学会発表の準備をされていたが、近年の学生気質などについて雑談した。
「土曜日だというのに実験室に誰もいないでしょう? 大学院生が週休2日なんて信じられないですよ。へたに言うとパワハラになっちゃいますからね」
ご自身が沼研で世界のトップを走っていらしたときは、日曜の夕方だけ気を緩められたという一週間だったはずである(森さん談)。天下の京大でさえこれでは、日本の科学は新興国に負けるだろう。

薬学部を後にして近衛通りを渡って医学部地区に入る。
むかし、入り口の生協食堂で食べたことを思い出した。
14:02
医学部は広い
整然として、どれも建物が新しいのがつまらない

芝蘭会館
医学部地区の北東の隅にある。
2004年11月と2006年12月、野間先生のシミレーションプロジェクト公開シンポジウムは、ここで2回ほど開かれた。

芝蘭会は、明治39年(1906年)京都帝国大学医科大学長の荒木寅三郎が京大医学部の結束と医学の発展を願い結成された。
この会館は1999年に医学部創立百周年を迎えたことを記念して、卒業生、同門会、教職員、関係機関から寄付を募り、2004年3月に竣工した。
中に稲盛ホール、山内ホールがある。
2004年はDenis Nobleが招待されていた。彼は若いときすごくハンサムである(倉智嘉久「心筋細胞イオンチャネル」)。1980年代に細胞膜で囲まれたvolumeを定義したことにより、ホジキン・ハクスレーの細胞膜モデルを発展させたバーチャル細胞を作った。それをさらに発展させたのが野間先生らの京都モデルである。

Nobleもその後モデルを発展させ、そのOxford modelは、京都モデルと違い、心室筋でIKrを阻害するとEADが起きる。しかしCaチャネルを20%抑制するだけでEADが起きないとか、いろいろな患者の条件で、おなじIKr阻害でも不整脈を起こす程度が異なることを示した。また、実際の抗ヒスタミン薬で,IK1,IKr,Iktoの阻害スペクトルから、不整脈を予測できた例を示した。
彼は実用例に興味があったせいか、もっとも簡単な発表であった私のポスター(NCXノックアウトマウスの救命シミレーション)に興味を示し、「オモシロイデース」と連発してくれた。

その2年後、2006年12月にもここに来た。
我々が稲盛ホールでシミレーションモデルのシンポジウムをしている時、同じフロア、ガラス張りの山内ホールで産学連携の国際フォーラムが開かれていた。京都大学主催・アステラス製薬後援。外から見えたスライドにひかれ、こっそり忍び込むとアステラス竹中会長が、これからは患者の少ない希少疾患を狙ったほうが薬価が高いから良いという話をされていた。

当時はまだ高血圧や糖尿病、アルツハイマーなど市場規模の大きい疾患を狙う会社が多く、新しいテーマを提案すると「市場規模はいくらくらいか?」と必ず質問された時代である。

竹中さんは企業は患者数ではなく、売上高が大事で、それは患者数と薬価の掛け算。患者が少なくても公的支援制度で薬価がいくら高くても使ってもらえるのだから、(研究は大変でも)開発が容易な希少疾患を狙うべきだとおっしゃった。
いまや世界中、ほとんどの会社が希少疾患を狙っている。

(続く)

0 件のコメント:

コメントを投稿