2023年4月30日日曜日

夏ミカンの花、甘夏とグレープフルーツ

 

2023-04-24
朝、玄関のドアを開けたとき、あるいは夕方帰宅して門に近づいたとき、かならず芳香に包まれる。4月の中旬から甘夏(カワノナツダイダイ)の花が咲いている。
今季(昨年秋以降)は大きな黄色い実が31個生り、壮観だった。
文京区の保護樹木だった巨大な桜よりも、近所の人から多く声を掛けられた。もっとも、1,2週間しかもたない桜と違い、たわわに実る姿が年をまたいで数か月にわたって見られたせいかもしれない。

昨季はわずかに2個だったが、南にあった桜を伐採して日当たりが良くなったからか? 
1月1日から数日おきに1つずつ収穫して今は3個だけ樹上にある。

夏ミカンというのは夏にできるものだと漠然と思っていた。しかし自分で作ってみて、秋にできたミカンが冬を越し初夏になっても鮮やかに木に残っている(そして出荷する)ことから名づけられたと初めて知った。それにしても花が咲くとき前年の実が生っている植物というのは珍しい。他に何があるだろう?

ところで夏ミカンの学名はシトラス・ナツダイダイ(Citrus natsudaidai)という。日本語のダイダイがそのまま学名になった。江戸時代中期に長門で栽培が始まったが、酸味が強くて食用ではなかった。しかし冬を越えて夏になると酸味が減り食べられることが分かり、萩では明治維新で職を失った長州藩士に栽培を奨励したという。このとき、士族たちは家が代々続くようにとダイダイと名付けたとか。クレヨンのだいだい色とは幼児から親しんだ言葉であったが、「代々」と書くとは知らなかった。(もちろん今、ダイダイイロと入れると橙色と変換される)。しかし明治期に上方に出荷するにあたり、大阪商人は名前をダイダイから夏蜜柑と変更したらしい。酸味が強いが、みかん類がなくなる春以降に食べられることから貴重だった。

甘夏は、昭和初期に大分津久見の川野豊氏がナツダイダイの枝変わりから選抜、育種したもの。カワノナツダイダイという。1950年に品種登録され1965年ごろからナツダイダイからの更新が進んだ。しかし、1971年のグレープフルーツ輸入自由化以降、栽培が減っている。

そうか、グレープフルーツは1975年、大学入学で上京したとき親戚で初めて食べたが、自由化の4年後であったか。赤道面で二分割し、ギザギザのついたスプーンで中袋をほじくって食べるのがハイカラに思えた。同時に上京した同じ年の従兄(彼は不合格で予備校に入学)のアパートを訪ねると、何か月も未使用のグレープフルーツ用スプーンが壁にぶら下がっていたことを思い出す。

ちなみにグレープフルーツは、99%以上輸入でその7割がアメリカ産だが、世界生産量は中国が46%を占め、アメリカ16%の3倍である(2011年)。

グレープフルーツは埼玉にいたころから生ごみを庭に捨てるといくらでも発芽していたが、実が生るまで育てたことはない。関東では育たないと思ったからだ。しかし温州ミカン(こちらは昨季64個、今季77個生った)につづき、甘夏も成功すると、グレープフルーツもやってみようかな、と少し思う。
しかし私の年齢を思うと、(試行錯誤が必要なら)間に合わないかもしれない。しかしそれ以前に狭い庭では植える場所がない。

その温州ミカンの花は、甘夏に1週間ほど遅れて満開となった。

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目を庭全体に転ずると、春も終わり。
カブはカブとして収穫できず、いまは柔らかいトウを摘んで食べている。
キャベツは成長中、そら豆は収穫待ち、大いに楽しんだスナップエンドウは終わりに近い。
そして大根。
2023‐04‐25
最後の三太郎大根を2本抜いた。
11月に種まきして、この時期でも食べられるというのは、さすがタキイが開発した「ときしらず」ダイコンである。しかし薹が伸びてきたので、さすがに心配になって抜いた。
葉を除き860グラム、1010グラム。大きさ十分、煮ると普通に食べられた。


(追記 2023-05-09)
夏ミカンがナツダイダイというなら、ダイダイという言葉、果物が先にあったことを示す。
ダイダイは江戸時代よりもっと昔に中国から渡来し、一つの株に(前年の実どころか)何代もの果実が生っていることから「代々」といったらしい。すると明治初期に「萩の士族が家が続くように・・・」という語源は怪しい。


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