2024年7月31日水曜日

五輪選手村のエアコンについて

テレビはどこもオリンピックで盛り上がっている。
世の中、オリンピックなど関心がない人がいっぱいいるのに、テレビのアナウンサーや有名人は誰もが熱く語り、まるで全国民が熱狂しているように報道している。
そもそも「熱いプレーに勇気をもらった」と何度も出てくるが、競技を見て「勇気をもらう」とは、日本語として意味が分からない。しゃべりのプロとして、こういう言葉を頻繁に使って恥ずかしくないのだろうか? 意味なく、はしゃいで、褒めて、スタジオを盛り上げるのが仕事かもしれないが。

オリンピックと一緒にテレビで繰り返し言うのは、猛暑と熱中症。
どのチャネルも、危険な暑さだから外出は控えエアコンを十分に使えという。
夜中もスイッチを切るなという。

テレビ、政府、自治体はやたらと視聴者、市民の健康を心配している「ふり」をする。
特にテレビは大げさに言うことが仕事だと思っている。
熱中症で倒れた、搬送された、という事件があれば、喜んで飛びつく。それが全国一斉に起きているかのように報じている。暑さは全国一律だから、危険も一律、搬送も全国各地で多数という印象を与える。

NHKでさえ「命にかかわる暑さ」というが、この表現は正しいか。もともと弱い人は別だが、普通の人は暑さ程度で、そう簡単に死ぬものではない。めまいがしたら休めばいいだけのことだ。私なども炎天下で草取りすれば、すぐ立ち眩みする。夏なら昔から当たり前のことだ。
2024₋07₋29 13:50
私の部屋は37.0度
この日、佐野で41.0度(14時)を記録した。
この暑さは異常だと思う。

しかしながら、集中豪雨、土砂崩れで家が流された映像には心が痛む。
(心が痛むという表現はテレビ的で、正しくは、大変だろうな、可哀そうだなと同情する)
今まで梅雨明けの豪雨は西日本に多かったが、今年は秋田、山形。
10年に一度の豪雨というが、家を流された人にとっては、先祖代々、何百年に初めてのことだった。
これからは思ってもいなかった場所でこういうことが起きるのではないか?
2024₋07₋28
イチジクは木が大きいわりに実が生らない。
後ろの甘夏と対照的。
切ろうかと思っている。

毎年繰り返される豪雨被害は、地球温暖化のせいだと言われる。
ほとんどテレビを信じない私も、これは正しい気がする。
海水温が上がるから蒸発量が増え、雨が増える。夏はどんどん熱くなり、その上昇速度は年々速まっている気がする。

かつては海面上昇でツバルなどの危機が報じられたが、日本はそれ以前に、家が流される心配が出てきた。
しかし地球温暖化の問題は、それが社会的な運動につながることはない。ほとんどの人は、地球が2,3度上がっても自分の家が流されることはないと思っている。

能天気に「命に危険な暑さ」だから「一日中冷房を使いましょう」では、地球温暖化、酷暑化、砂漠化をどんどん進めてしまう。

このブログではエアコンを使えば使うほど暑くなることを何度も書いてきた。
学生時代に熱力学を学んで以来、個人的信念のようになっているから、ブログを始めた早々の夏に、エアコンがなければ夏が涼しくなると、書いた。

1つ目のブログ

エアコンで2度下げようと思ったら、同じ体積の空気を3度も4度も上げる。つまり室内と、室外機から出す空気を混ぜたら、当然、エアコンなしの場合より上がる。プラマイゼロにはならない。
室外機の排熱は、自分の部屋をきれいにするためなら、ごみを隣家の路上に捨てるという狼藉と同じである。

パリの地下鉄は冷房がないそうだ。
エアコンを入れればトンネル内から熱が出ないため、車内の冷気と排熱されたトンネル内の空気を足すとかえって暑くなるからだ。オリンピック前にこの話がテレビで出た時、エアコンの発熱という問題が広まるチャンスだと思った。しかし、その報道番組のコメンテーターは、日本のようにトンネル内も冷やせばいい、と言ってがっかりした。トンネル、駅を冷やすために、その上空には相当な熱が出されるということは問題でないらしい。その熱が自分に降りかかってきたら、エアコンをさらに強くするだけで済む。

さて、ブログを始めた2017年、我が家にエアコンはなかった。
しかし妻の体調が悪い時、その原因がすべて暑さによるものとされるため、家族・親戚の圧力に屈し、とうとうエアコンを入れた。

2つ目のブログ

しかし、設定温度は30度にしている。
これでも十分涼しく、外でかいた汗はひく。
夏は30度になるのは当たり前だ。

「冷房をガンガンに効かす」という表現をよく耳にする。
明るくて元気な人が、面白おかしく、口にする。しかし、これは本来恥ずかしい言葉ではないか?

冷房は気持ちがいい。
私も認める。
ほんとに気持ちがいい。生物の本能だな。
しかし人間はいろんなことを考える生物だ。
冷やすために、それ以上の熱を周囲に振りまいている。これがさらに周囲のエアコンを稼働させ、地球を暖め、がけ崩れにつながっていくことを想像できるはずだ。

今ブログ内で検索したら昨年も書いていた。

3つ目のブログ

これは二酸化炭素・CO2を悪者している国家、国民レベルの間違いを書いたもの。
私が間違っているか、国家・国民が間違っているか、判断してほしい。
カーボンニュートラルを目指し、CO2排出の国家、企業間取引など、その愚かさに煮えくり返るほど腹が立った。
テレビなどに洗脳された国民は目の前のCO2さえ削減すればいいと思っている。
CO2を出さない電気自動車、水素エネルギーなど、すべていいものだと思っている。
自治体は無公害として税金で高価な電気自動車を買って喜んでいる。馬鹿なのか業者と癒着しているのか知らない。
電気自動車の電気、また水素を作るためにどのくらいCO2を出しているのか知らないのか?

資源エネルギー庁と三井物産は、アンモニア発電を次世代エネルギーとして開発に力を入れている。燃やしても窒素酸化物と水しか出ず、CO2を出さないクリーンエネルギーだという。
馬鹿じゃないか?
アンモニアの原料である水素はどうやって作るのだ? 水素があるならアンモニアなどせずに、水素をそのまま燃やすほうが燃料としてずっとクリーンで効率的だ。
その水素は、1.石炭など化石燃料から作る、2.水を電気分解して作る、という。
こんなバカな話があるか?
1なら従来の化石燃料をそのままエネルギーとして使えばいい。2なら電気をそのままエネルギーとして使えばいい。まさかアンモニア発電で作った電気で水素を作るんじゃないだろうな?

高校の物理で習うと思うが、すべてのエネルギーは、運動、位置、熱、化学、光、電磁気、核力(質量)など形態はさまざまでも相互変換が可能である。例えばアンモニアや化石燃料、水素は燃やして熱エネルギーにして、それで発電タービンを回し、電気エネルギーにする。太陽の光エネルギーは水の化学結合を分解し、化石燃料の化学エネルギーとして蓄えられる。ガソリンはエンジン室で燃焼し、その化学エネルギーは熱エネルギーを経て空気分子の運動エネルギーに変換され、シリンダーピストンを動かす。

しかしエネルギーは100%は変換されず、その差は熱となって放出される。つまり、アンモニアを燃やすより、その原料の水素を燃やすほうが無駄がない。さらには、その水素を燃やすより原料エネルギーである電気を、石炭を使ったほうが、はるかに効率的なのである。
水素もアンモニアも、問題は製造コストという。当たり前である。エネルギーは変換するのにコストがかかるだけでなく、変換するたびに減っていくのだから(熱としての損失分を足せば不変)。

こういう馬鹿なことをするのは、当事者が無駄と分かっていても、実用化が無理だと分かっていても、「次世代クリーンエネルギーの研究開発」と宣伝すれば自分のプロジェクトに金(税金)が入るからである。

話がそれてしまったが、しかし、3つ目のブログで言いたかったのは、地球温暖化にとってCO2よりも「熱」が問題ということである。
原子力発電はCO2を出さない。しかし、発電に於いて大量の冷却水で熱を海に出す。風力、水力だって熱を出す。一番の問題は末端消費で電気を使うところで電気が大量の熱に変わることである。エアコンは先に述べたし、電気自動車も最終的には電気はすべて熱に変わる(モーター、タイヤの摩擦熱など)

街を歩いていて、入口を大きく開けた店舗から冷気が歩道に出ている。気持ちいい。しかしそれ以上の熱を屋上から出していることに複雑な気になる。

月面のように大気がなければ熱は宇宙に放散されるが、空気と海水、樹木に覆われた美しい地球は、熱が気体分子、水分子をはじめ多くの分子の運動エネルギー(=熱)となって蓄えられ、気温水温を上げていく。熱の前に、世間が騒ぐCO2など大した問題ではない。

この熱を止めるには、経済活動を制限するしかないから、無理だろう。
しかし家が流されるのをかわいそうと思うなら、冷房は控えめにする気配りがあってよい。駅のエスカレーターなど廃止すればよい。

もちろんオリンピックの大騒ぎはやめたほうがいい。
ところで、せっかくフランスがエアコンなしの選手村を用意したのに、金持ちの米国、英国、日本、イタリアなど主要国が実費で簡易エアコンを発注。パリ五輪の組織委員会によれば、すでに2500台の配備が決まっているという。(ヤフーニュース、2024₋07₋28)
多くの日本国民、マスコミは「選手の健康を第一に」とエアコン容認だろうが、エアコンがなくても健康を害するわけではない。自分のポケットマネーならまだしも、国から強化費をもらっているなら、遠慮してほしかった。エアコンを入れない他の国と同じ条件で戦うべきだろう。
2024₋07₋28
初めて作った白ナス。

2024₋07₋28
ダンス練習場で、家庭菜園で作ったと野菜を差しあげたら、「どんどん日焼けしてくるから何をされている人だろうと思ってました」と言われた。
2024₋07₋28
スイカが大きくなってきた。

今年はハンディ扇風機を持っている人が目に見えて増えた。
佐高信がこういう人を批判していた。彼の言動はあまり好きではないが、エネルギー問題ではなく、自分だけ涼しければよいという身勝手さを批判したらしい。

しかし人間は、地球温暖化を心配できる一方で、貪欲に快適さを求める生物でもある。
暑い時に涼しいのは気持ちがいい。
気軽に買える便利な装置があるなら、使う生き物である。
私も含め、人間は存在自体が、地球温暖化に突き進む生き物だろう。
SDGを言う人は、偽善者か、無知な人だろう。

トマトやキウリを畑でもいで齧るよりも、大人数の手間暇とエネルギーをかけた懐石料理やフランス料理のほうがずっとおいしい。それを食べるために、毎日、エネルギーを消費する現代社会の歯車となって働いて、金を稼ぐのが人間というものだ。

そのうち東京湾の水位が上がり、荒川が氾濫して京浜東北線の東がすべて水浸しになっても、やはり人間は、涼しい部屋は気持ちがいいし、美味しいものは美味しい。
地球温暖化を心配するより、現在の五感を気持ちよく刺激するほうが、人間らしい。

100年後、谷根千の不忍通りの谷は縄文時代のように東京湾が入ってきている。我が家のあたりはエアコンの効いたドームに覆われ、そこで人々は暮らす。戸外に出るには遮熱服を着なくてはならない。外はサバンナのような灌木がまばらにあり、21世紀前半までいた動物は、昆虫以外姿を消し、脊椎動物は海中と地中に生き残っている。
人間は毎日エアコンの部屋で昼寝し、美味しいものを食べるが、たまに外に出て、不忍湾の熱帯魚をとるのがスポーツになっている。湾の向こうの上野公園もドームで覆われ、もはや自然界には存在しない動物たちが過去の映像とともに檻の中で飼われている。「自然」とは戦うもので、もう「自然保護」などは死語になっている。

と、東京の地球温暖化をエアコンのせいにしているが、本当だろうか。
テレビの言うことではなく、自分でデータを見るのがまっとうな人間である。
気象庁のHPから過去の全国各地の気温データが入手できる。
そこで1878~2023年、146年間の日中最高気温の月別平均(東京)をグラフ化した。
中央の太い青線(ばらつき少ない)は年平均。
これを見ると温暖化はエアコン以前からずっと始まっており、残念ながら、エアコンで加速したということも、簡単には読めない。昨年は高かったが、あと2,3年を見る必要がある。



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