2023年8月28日月曜日

猛暑か?オクラに花が咲かない。CO2よりも熱が問題


2023₋08₋25
オクラは順調に生育、例年より木が太く大きくなったのに実がつかない。
花が咲かないまま、葉っぱが落ち始めた。
残っている葉にもアブラムシがびっしり。
花が咲かないという異常は、バイト先のシェア畑でも見られる。
異常な猛暑のせいだろうか?

2023₋08₋25
ナスは7本で43個とったが、多くは7月までにとり、8月中旬以降は取れず、ハダニがついてきた(中央手前)。
これも暑さのせいだろうか。

野菜だけでなく、人も参っている。
8月が終わるというのに、こう暑いと夜寝ても疲れが取れない。

世の中も大変だ。ゲリラ豪雨、線状降水帯、土砂崩れ、川の氾濫。
昔より雨が猛々しくなっている。
地球温暖化のせいだと言われる。

温暖化しているのは二酸化炭素(炭酸ガス、CO2)のせいだという。
その流れで、割り箸をやめたり、植林したり、再生紙を使ったり。火力発電は悪者となった。カーボンニュートラルという言葉が神格化され、自動車はガソリンから電気、水素になりつつある。

しかしエコカーとはふざけている。運転中は二酸化炭素を含む排ガスは出ないにしても、電気、水素を作る時にどれだけ二酸化炭素を発生させたと思っているのか? 

ガソリン車は燃焼(爆発によるシリンダー内の膨張)を直接動力にしているが、電気自動車はいったん熱でタービンを回し(火力、原子力発電)電気を作り、それを動力にしているから1ステップ多い。水素自動車に関しても同様である。水素を化石燃料から作るか、あるいは水を電気分解して作るか、いずれにしろ一次エネルギー、二次エネルギーを使って作り、それをエンジンルームで燃やす。それより、もともとあるガソリンを燃やしたほうが、効率良いことは明らか。

排ガスだけを見て自治体がエコだ、エコだ、と高い電気自動車を導入したり、国が補助金を出すのは理解に苦しむ。
私一人だけ馬鹿なのだろうか? 
誰か説明してくれ!

そもそも二酸化炭素は温暖化の原因なのだろうか?
温暖化と二酸化炭素濃度の上昇がたまたま一致しているだけではないか? 温室化ガスという二酸化炭素が地球から宇宙への放熱を妨げているというのは、あとから付けた理屈でしかない。
ただ、証明は難しいので二酸化炭素削減運動については文句は言わない。

(ただしCO2削減のためといって原発推進することには猛反対する。処理水の廃棄でこれだけ苦労しているのに、国民はなぜ懲りないのか?廃棄物の問題だって解決したわけではない。これでまた地震が来たらどうなるのか? 今度は大丈夫、とはなぜ言えるのか?)

今年の夏は熱中症が話題になった。
テレビでは連日話題にする。しかし報道バラエティというのは大げさにしないと番組にならない。コメンテーターは深刻なことを言わないと使ってもらえない。コロナのときと全く同じである。
暑さに関係あるなら、最高温度の記録を出した地域と、それ以外の地域で差があるか? 温度と搬送者の人数とに相関があるか?
もともと暑くなれは体は弱る。死ぬ人も他の季節と同じようにいるだろう。しかしテレビが毎日連呼する「命に危険がある」とはごく一部の人である。テレビも自治体も一億総国民が熱中症になるかのように騒いでいる。騒がないと番組にならないから。

畑でバイトしている北千住では17:30になると足立区が防災無線放送で、熱中症は(炎天下でなくても)夜間でも室内でも起きます。冷房を使いましょう、と呼び掛けている。
余計なお世話だ。こんなことは自治体がすることではない。これで税金から給料もらっているとは腹が立つ。

ここで冷房の恐ろしい問題を考えたことがあるか?
室内35度(我が家)のとき、もし26度にしようとしたら、9度下げる。このとき、室内の熱を外に出し、同じ量の空気を9度上げているのである。これは効率100%の場合であり、モーターの発熱などを考慮すればプラスマイナスゼロではなく、もっと上げてしまう。

これは、冷蔵庫を密閉した室内に置いて、ドアを開けて冷気を外に出していたら、いくら冷やそうと運転しても部屋全体はプラマイゼロではなく、暑くなるのと同じ。

デパートや量販店、ドラッグストア、テーマパークなど過度に冷やし、なおかつドアも開けて、歩道を歩く人にまで冷気を大盤振る舞いするような派手な場所の屋上、周辺は異常な暑さになっている。
天気による猛暑に、自分で出した熱が加わり、それに打ち勝つためにエアコンをフル回転させ、その放熱がさらに自分のまわりを熱し、さらにエアコンを強め、さらに熱が出て・・・と無限の灼熱地獄となる。この近隣はえらい迷惑だが、自分たちも負けじとエアコンで熱を外に出して同罪となる。
そもそも自分のところだけ涼しければ、他はいくら暑くなっても構わないとは、なんて自分勝手な行動だろう。自らが地球を熱していることを自覚せねばならない。

ここで今日の本題。

地球温暖化をいうなら、二酸化炭素CO2よりも、「熱」のほうが問題ではないか? 因果関係が証明されない温暖化ガスよりも、暑さに直結する「熱」のほうが重要だろう。

たぶん「二酸化炭素」削減は大きなビジネスになるが、「熱」の削減はビジネスにならないからだろう。カーボンニュートラルをリードする人々は地球のことを考えているのでなく、金儲けを考えている。政治家は彼らから金をもらう。しかし、このまま国民を二酸化炭素説で洗脳していいものか? 

クリーンエネルギー(冗談?皮肉?)という原子力発電は、確かに二酸化炭素は出さない。しかし莫大な熱を発生する。冷却水として取り入れた海水をつかって、その大量の熱を海に捨てている。
火力発電はもちろん大量の熱を出す。
期待される風力発電は、安定性に問題がある。つまり風がないと発電できない。そこで風のあるときに熱に変換し、そのあと発電するという風力熱発電が期待されている。しかし後で述べるが、熱は100%電力や動力に変換されない。変換されない分は熱として環境に捨てられる。(実は、風は熱から生まれ熱に戻る。つまり地球規模で見れば熱を出していないのだが、発電所のまわり(=人間の居住地近辺)に熱を捨ててしまう。)

水力発電は、タービンで発生する熱は大したことないが、送電ロスが無視できない。
送電ロスは先進国では5%程度だが、途上国だと20~50%にもなり、そのロスはすべて熱になる。

そして電気製品を使えば、エアコンで述べたように、あらゆるものは発熱し、周辺空気(人のまわり)を温めている。
車は、ガソリン車、水素、電気を問わず、エンジン、モーターは発熱し、その熱を空気中に捨てていく。
水素の生産でも今の主流は化石燃料に高温水蒸気を反応させるからCO2だけでなく熱も発生させている。

だから、本当に地球を心配しているならエアコンは使ってはいけない。車に乗ってはいけない。エアコンを使っている人は偉そうにエコだの、SDGsだの言ってはいけない。熱を出して申し訳ないと思いながら小さくなってエアコンを使うべきである。

だから今若者が持つ携帯の扇風機なんてとんでもない話だ。
夏は暑いのだから我慢しなくてはいけない。
恋愛や就職、受験などの悩みと比べたら暑さなど問題にならないはずだ。

我が家はずっとエアコンを使わせなかったが、子供が巣立ち、妻との関係が深刻な問題になってきた2019年にとうとうエアコンを入れた。しかし設定温度は30度。これでも十分涼しい。もちろん一人だったら35度になってもエアコンは使わない。

私は原発に反対だったから、かつて駅でエスカレーターに乗らなかった。
しかし最近はエスカレーターしかない登り口もある。もう諦め、世間に流されよう迷わず乗っている。そのかわり声高に原発反対と言えなくなった。
家ではエアコンも入れてしまい、自慢できるものが一つ減った。

私は、国民が本当に地球の温暖化を心配しているなら、昭和30年代40年代、1960年代の生活に戻るべきだと考える。人によっては温暖化ガスつまり二酸化炭素濃度に関して、同じことを言うかもしれないが、私は「熱」こそ重要だと思っている。

かつては人々の営みは冬に薪や石油石炭を燃やして暖をとるだけだった。夏は何もしない。これはエネルギー資源を100%無駄なく目的(熱)に利用している。無駄がないというのは、使う資源を最小限で済ませていたということだ。
ところが今は冬に電気から熱を作り、夏は電気から冷気とそれ以上の熱とを作っている。電気というのは、発電、送電で熱を発生させ、装置の運転でも発熱する。夏は自分のまわりを熱してしまうからさらに運転を強化し、また発熱する。

そして、70年代に大普及した車は、化石燃料をエンジン内で爆発させシリンダーを動かす。しかし発生するエネルギーは100%シリンダーの動きに変換できず、かなりの熱を空気中に放出せねばならない。

つまり、車にしろ、エアコンにしろ、あらゆるものは目的とは別に不必要な熱を出し、その分、エネルギーを無駄に消費している。無駄に消費というのは、熱を大量に捨てているということだ。

国民全体が消費生活を昔に戻す、とは品格ある決断だと思うが、世界は金儲け優先、個人は安直な快適を求めづづけるからまず無理だろう。
温暖化で国が水没するツバルの人を可哀そうだという人がいる。地球温暖化を防がなくてはいけないという。しかしエアコンを使い車に乗っている。普通の人は私を含め、自分さえ快適なら他人のことはどうでもいいと思っている。
人間は結局、快適な生活は手放さないだろう。
しかし、文明生活を送っているのに偽善者ぶって偉そうにカーボンニュートラルなんて言うのは、たいそうみっともない。グレタさんも、自給自足以外のものは断食するようなパフォーマンスをすればいいのだ。

国民は今の生活を変えることはしないだろうが、せめて、マスコミは熱中症の過剰報道をやめてほしい。これがエアコンの過剰使用、大量の発熱につながっている。
そして、CO2削減より熱量削減を声高に言うべきである。またエコエコだの言わないほうがよい(たいてい自治体や消費者が「エコ」というのは新たに資源を無駄にしている)。

熱はあらゆる活動で出る。だから何もしない、何も買わない、働かない、ぜいたくしない、というのが地球にやさしいのである。
金儲け大好き人間と、金と権力が欲しい政治家には決してできないことだ。
2023₋08₋15
サツマイモは猛暑でも元気だ。
ツルがはびこり足の踏み場がない。

そこで支柱をたて、つるを立体的に這わせることにした。
こうすることで日の当たる葉の数を増やすとともに、歩く道を確保する。
蔓をめくっていると菜園に同居するヒキガエルが涼んでいた。
他の野菜が水不足で萎れているのに、サツマイモ畑の土は湿っている。

都会の暑さは道路の舗装、コンクリートビルの林立が拍車をかける。
1960年代のように緑が多ければ東京でも(少しは)涼しいはずだ。
2023₋08₋15

もう一度繰り返すと、温暖化を言うなら、「二酸化炭素」より「熱」を問題にするべきだろう。
発電を風力水力原子力のみにしてカーボンニュートラルを進めても、「熱」を放置したら温暖化は止まらない。

全てのエネルギーは、運動も、電気も、光も、音も、化学結合(食料、燃料)も、すべて熱に変換される、とは高校3年で習った。そして熱を他のエネルギーに変えるとき100%変換されないとは大学の熱力学で習う(エントロピーの増大)。つまり、熱は質の悪いエネルギーである。
熱の本質は分子の運動であり、我々の放出する熱は水や空気分子の運動として蓄えられる。地球は太陽からの輻射、宇宙への放熱という意味では開放系であるが、水と空気に関しては閉鎖系であり、我々の出す熱は確実にたまっていく。

熱力学は高校の必修にすべきである。
知識がないとテレビや新聞の言うことを鵜呑みにする。
そして大衆が思い込むとそれが「常識」「真実」となり、それに個人が異説を唱えるのは容易でない。

このブログは野菜つくりと、歴史、散歩と記憶などに限ってきた。意識的に主義主張は控え、世間の出来事とは距離をとっていた。
しかし、この暑さのせいで、日ごろから抱いている世間の常識(熱中症、エコ、SDG)に対する不満が、とうとう、あふれ出てしまった。

0 件のコメント:

コメントを投稿