2026年4月25日土曜日

お花茶屋の曳舟川遊歩道と葛飾区立博物館

葛飾区のお花茶屋で降りた。

50年前東京に出てきたころ、地図を見ていて京成電鉄の堀切菖蒲園とお花茶屋の2駅が目についた。いい名前だと思っていたが、行く機会はまったくなかった。葛飾区というのは4年前定年退職して京成高砂で畑のアルバイトをするまで50年間ほとんど縁がなかった。区の北の端にある常磐線の金町と亀有に1度ずつ降りただけ。

もっとも、よく考えたら江戸川、足立、墨田区などもあまり行ったことがない。錦糸町、葛西などにダンスで行ったことがある程度。練馬、杉並、中野など西のほうも詳しくない。
散歩好きでないと、用事があって出かけたときにその周辺を歩く程度になってしまう。つまり都心部しか行かないものだ。

さて、京成高砂に行くようになって早4年。
途中の青砥、堀切菖蒲園に降りてみたので、4月8日、お花茶屋にも降りてみた。もちろん用事はない。
12:29
京成電鉄 お花茶屋駅
変わった駅名だ。将軍吉宗が鷹狩りに来たとき腹痛を起こし、お花という娘のいる茶屋に立ち寄ったという伝説だが、一次資料はないらしい。実際に茶屋はあったとしても吉宗、お花は後世の物語のたぐいだろう。ずっと地名ではなかったが昭和6年(1931)に京成の駅名となって一気に知名度が上がり、1960年の住居表示で初めて行政の定める地名となった。
12:30
お花茶屋駅
ほかの京成の駅と同じく、駅前広場はない。
広場はないが、少し東に行くと広々したところに出た。
電車から見える公園のようなものがある。
12:31
近年、日常的に通ることがなくなった踏切。
京成は、新幹線や京急・関西の私鉄などと同じく国際標準である1435mm(標準軌)を使っている。いっぽうJR在来線や普通の私鉄は1067mm(狭軌)である。
(ちなみに古い地下鉄銀座線、丸ノ内線も広い標準軌である。この2線が周辺他社線に乗り入れていないというのは地理的制約以外に線路幅の違いもあるかもしれない)

それにしてもこの広い道路は葛飾区らしくない。
幹線道路というわけでもなく交通量も多くない。というか、ほとんど車が通らない。
これは川を暗渠にしたのではないかと思った。
そのうち中央分離帯が遊歩道になり、その両側が車道になっていて、ますます川の跡という思いを強くした。

歩いていると案内板があって「ああ、そうか」と気が付いた。
12:35
「曳舟川親水公園」
ああ、そうか。
以前、墨田区の曳舟川の跡を自転車で走ったことがあったが、ずいぶん離れているから、川筋が頭の中でつながらなかった。

曳舟川は埼玉八潮の中川・古綾瀬川から浅草の対岸、本所の北十間川(隅田川)まで続いていた運河である。岸から馬や人力で船を引っ張ったからこの名があり、両側に道があったから川の跡は単なる水路、川より広い。
明治11年
左に北千住、隅田川、南千住。右側の斜めにまっすぐ伸びているのが曳舟川。
ほかの蛇行する河川とちがい、人工的な直線が目立つ。

曳舟川は、幕府が本所開拓に伴う上水として、万治2年(1659)に開削したもの。当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれた。その後、享保7年(1722)に上水としては廃止されたが、運河として農産物の運搬に使われた。

曳舟川とその道筋は1913年から1930年すなわち大正昭和にわたって掘削された荒川放水路によって分断された。この川幅は当時としては破格に広く、曳舟川は墨田区と葛飾区で分かれその一体性はなくなった。私が気付かなかったのはそのせいもある。
12:38
遊歩道はますます公園らしくなり、細長い池があった。
しかしビオトープというわけでもなく花菖蒲の池というわけでもなさそうだ。
「たんぼ」だった。
12:39
「お米カレンダー」
田起こしから田植え、稲刈り、脱穀まで一年の作業が看板に書いてある。
都会に住む子供たちに郷土の歴史の一つとして教えているのだろうか。

亀有上水は飲み水としての役割が終わった後も利根川から取水する葛西用水の末端として水田に潅水した。昔は見渡す限り水田だったのだろうか。

浅草の向こう、つまり隅田川の対岸の向島(現・墨田区)は、昭和7年になって東京市に編入されるまで南葛飾郡の田舎だった。風光明媚という言葉があったほどだ。しかし、さらにその外側、荒川放水路の対岸の現・葛飾区などは同じ南葛飾郡でも、もっと田舎だった。

ちょうど「田んぼ」の斜め向かいに区立博物館があった。
12:40
「葛飾区郷土と天文の博物館」

入場料は大人100円。自動券売機の前に立つと係の女性がさっときて、プラネタリウムをご覧にならないならこちらのボタンです、と親切に画面のタッチする場所を指示してくれた。こちらはそこまで耄碌していないが。
展示は二階のほうになります、と言われたが逆らって一階から見た。
12:42
といっても1階は葛飾区内の寺社、すなわちご利益マップくらい。
柴又帝釈天しか知らないが題経寺として出ているのでぱっと見つからなかった。

12:43
1階ロビー
訪問客は私だけ。

二階に上がる。
展示室は1フロアだけのようだ。
12:43
白を基調に明るくきれい。
縄文時代から始まるかと思ったら、葛飾区あたりが陸地化されたのは弥生時代末期らしい。古墳時代になると青砥、立石、柴又あたりに古墳が作られた。
12:44
古代国家の時代

律令時代になると国―郡―里(時代が下ると郷)という行政区分ができた。
(武蔵国はのちに東海道になるが、はじめは東山道だった。西からくる海の道は武蔵に行かず船で安房、上総に行ってしまったのだろう)

葛飾区のあたりは下総国葛飾郡である。

平安時代末期、下総国葛飾郡の南西部、すなわち葛西地方は秩父氏の一族豊島氏の庶流が葛西庄(葛西御厨)を領有して葛西氏の祖となった。葛西氏は鎌倉幕府初期の有力御家人だったが、奥州にうつった。

やがて鎌倉幕府が倒れ足利氏が室町幕府をひらくが、政治の中心は関東から京都に移る。
12:46
鎌倉公方と上杉氏

足利幕府は鎌倉政権が倒れた後の関東10か国を統治する機関として鎌倉府をおいた。その長官として足利一族から鎌倉公方を出し、関東管領に補佐させた。管領職は上杉氏が世襲した。上杉氏は山内、扇谷、宅間、犬懸の4家に分かれ、葛飾郡の鎌倉に最も近い南西部すなわち葛西は、山内上杉氏の所領だった。

徳川家康が江戸にくるまで関東の出来事は日本史を変えることがあまりなく、我々が習う日本史は京都中心の西日本のことばかり。
まあ、仕方がないともいえるが、関東の寺社や街道などを思うときに基礎知識の不足を痛感する。この区立博物館は割ときれいにそのあたりをまとめて展示している。

12:47
戦国時代のかつしか

室町時代が進み15世紀中ごろ、鎌倉公方・足利成氏は、幕府・上杉氏と対立した。その結果、享徳の乱によって相模国鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となった。この乱は28年続き、関東はほぼ旧利根川を境として二分され、戦国時代の幕開けとなる。扇谷上杉氏の家宰・太田道灌が上杉方として活躍するのはこの乱である。
葛西は水運が重要であった当時、古河など内陸と海の中継点として要衝であり、上杉方の最前線だった。
12:47
戦国時代のかつしか
16世紀になると伊豆の北条早雲が相模の上杉領に侵入し、やがて葛西も北条氏に飲み込まれる。ここでようやく関東も日本史の舞台となり、北条が秀吉の小田原征伐で滅び、家康が関東に入り、以後幕末まで続く。
12:48
河川と用水
関東の歴史で面白いのは河川の変遷である。
こういう地図を見ると見入ってしまう。
関東の水を集めた利根川は下流で分かれ、西は古墨田川、中は中川、東は江戸川として東京湾に流れ込み、葛飾区のあたりはそのど真ん中である。葛飾だけでなく江戸の町の東部も洪水の脅威があったから家康関東入府いらい工事をはじめ、1654年、利根川を関宿で東の常陸川につなげ銚子に出すという現在の川筋になった。

船の模型があった。
曳舟川の船かと思ったら違った。
12:48
肥船(こえぶね、葛西船)。1/2模型。
昭和30年代後半まで使われたという。神田川和泉橋など東京市内各地で積まれた糞尿は葛飾だけでなく、江戸近郊全体の農村部に運んでいた。明治5年で1564艘あったという。これは川船全体の4分の1にあたった。(地田修一、屎尿・下水研究会)
https://sinyoken.sakura.ne.jp/caffee/cakyoudosisiryou.htm

いま東京23区は、どの区も同じ都会だが、昔は江戸とその周辺でずいぶん様子に差があった。板橋区博物館でも感じたが、葛飾区も武家屋敷、町人地などを経ず、明治以後いきなり田園地帯から住宅、町工場が建てられた。江戸、明治の日本史、文学史で習う人名は出てこず、その分、庶民の歴史展示が充実している。
12:49
葛飾区の空襲。
疎開児童の三食。
区内対象児童の3分の1は新潟県に疎開したという。
12:49
誰もいないはずのフロアの奥のほうから声が聞こえてきた。
暗い空間に昔の区内の家屋が再現されていた。

12:50
声の主はテレビだった。
葛飾区の一般家庭が再現されている。
ちゃぶ台、黒電話、ほうき。こういう展示は葛飾に限らず、どこでも昭和が多い。

テレビ放送は1953年に始まり、東京で普及率が50%を超えたのは昭和34~35年(1959~1960)という(全国平均はこれより2年あと)。
12:51
こちらは町工場のようす。

これで一通り見た。
文京区のふるさと歴史館ほど展示品はないが、そのぶん分かりやすくて良かった。

3階は天文関係のようだ。
ここも私一人。
12:52
プラネタリウム以外に簡単な展示があるがすぐ降りた。

12:53
2階の踊り場に守衛さんが立っている。
退屈だろう。

一階に降りるとカウンターに女性の職員が3人、暇そうにしていた。
そこで葛飾区は天文、宇宙と関係あるのかと聞いてみた。
彼女らは顔を見合わせ、その中の一人が奥のほうをうかがう様子を見せた。誰か上司がいるのだろうか。しかし昼休みで出払っているのか、わかりません、と答えられた。

プラネタリウムと郷土資料館を同じ敷地、建物に作ることはよくあることだ。でもそれなら表札を2つ作ると思うのだ。「郷土と天文の博物館」とわざわざ名付けたのは葛飾区が何か天文関係で得意なものがあるのかと思いまして。
と、質問した理由とお礼を言って、外に出た。

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