11月6日朝、恵比寿ファーマシーで用事。
終わって職場に行く前に、少し歩く。
駅から東へまっすぐ、北里大学の前を過ぎて延びる都道305号線は、新しい道。
恵比寿4丁目交差点
都道ができて分断される前は、渋谷川のほとりから、丘の上まで一本の坂道があった。
名前はビール坂。
ビール坂という歴史案内板はなかったが、「恵比寿ビール坂商店街」のプレートが入る街灯が並んでいる。
坂を上りきる。
交差点の右手前が加計塚小学校、左が日仏会館
日仏会館の方のはす向かいが恵比寿ガーデンプレイス。
なるほど、駅ではなくこちらから来れば「ガーデン」プレイスである。
これもガーデンか。
白菜は虫食い。キャベツは小さいがきれいな玉。
土壌、日当たりは千駄木菜園より良さそう。
サッポロビール本社がある。
アサヒビールはアサヒビール株式会社、
サッポロビールはサッポロビール株式会社が作っている。
キリンビール、サントリービールも会社名である。
しかしエビスビールはエビスビール株式会社ではない。
サッポロビールが作っている。
なぜか?
恵比寿という山手線の駅名にもなっているから昔は恵比寿麦酒という会社があったのではないかと当然思う。
この辺り、どうなっているのであろう。
本社の裏に回ってみる。
ベンチもおしゃれ。ガーデンに恥じず。
一番オシャレで、開放された会社ではなかろうか。
エビスビール(恵比寿麦酒)は日本麦酒醸造会社がつくり、明治時代には一流ブランドであった。長井長義邸の運動会、丹波敬三邸の園遊会でも樹下に数樽並べられている。(薬学昔々)
ところが1906年、日本麦酒(エビスビール)、大阪麦酒(アサヒビール)、札幌麦酒(サッポロビール)が合併、大日本麦酒が成立。3つのビールで市場65%を占有した。
戦時中は商標が禁止され「麦酒」に統一、各ブランドは消滅した。
戦後財閥解体のあおりを受け、日本麦酒(東日本)と朝日麦酒(大阪)に分裂。
日本麦酒はニッポンビールのブランドを採用したが低迷。
1956 北海道でサッポロビール復活、
1957 サッポロ、全国展開
1964 社名を日本麦酒からサッポロビール株式会社とした。
1971 戦後初の麦芽100%使用、エビスビールを発売するも低迷
1988 エビスが美味しんぼで登場しブームとなる
誰だか知らず。植え込みで裏の碑文は見えず
恵比寿神社
直接関係なくてもシャレのように、ちゃっかり勧進してくるというのは、
恵比寿駅ホームのメロディ「第3の男」の場合と少し似ている。
Westinホテル。1994年シンシナチで泊まったことがある。
昔、日本薬理学会のゲノム創薬関連のシンポジウムがここであった。
ひょっとして、恵比寿ガーデンプレイスはその時が最初で最後?
ここは明治20年日本麦酒の工場として出発
のちサッポロビールの工場となる。
1988年工場閉鎖
1994年、恵比寿ガーデンプレイスとして開業した。
まだ店舗が営業する前、イベント設営のスタッフのみ働いている。
20年近く前に来たとき、駅とウェスチンホテルの間に、こんな立派なものはなかった気がする。
サッポロビール本社の地下に恵比寿ビール記念館がある。
11時開館までだいぶ時間がある
ガラス越しに恵比寿2体だけ見て退散
向かいは三越
馬越恭平
三井物産に勤務し、1906年の大日本麦酒の大合併を画策し、
合併後の社長を務め「日本のビール王」とよばれた。
以前はこんなおしゃれな場所だったかな~?
地下一階レベルのイベント広場から続くレッドカーペット
せっかくなので歩いてみた。
柔らかくて気持ちよかった
サッポロビアステーション
山手線がみえる
東京都写真美術館
企画展でなければ入場無料。
平日朝ということもあって誰もいない。
恵比寿ガーデンプレイスタワーというのがあり、38,39階がレストラン街
38階にはレストランに入らなくても外がみえるラウンジがあるらしい。
エレベーターを降りると何もない
非常口のような鉄扉を開けたらレストラン街らしく、従業員が忙しく動いていた。
反対方向の鉄扉を開けると青空と絶景が現れた。
窓は一面だけだが、東半分がみえる。
北方
一番左に窓がバラバラずれている渋谷ストリームのビル。
その向こうのエンパイアステートビルはNTT代々木ビルとすると、山手線はぐるっと右にカーブしていて、エンパイアステートビルの両側の緑は代々木公園と新宿御苑か?
青山通りのAoビルが分かった。
その手前の緑は渋谷氷川神社と薩摩藩下屋敷跡?
正面。六本木ヒルズがよく見える。
手前左の緑は日赤・聖心女子大(白の口の字型ビル)、右は有栖川公園か。
東京タワーの左手前にサボテン型の元麻布ヒルズ フォレストタワーがあるから、やはり手前は有栖川公園。
それにしてもビルが多すぎ。
南側
白金自然教育園の緑が大半を占める。
その先にかすかに東大医科研の古い校舎。ここにあるはずだと思うから見える。
はるか向こうには東京湾とレインボーブリッジ
このとき兵庫からいらした老夫婦が恐る恐る鉄扉を開けて入ってこられた。
レストラン街が開く前だから大丈夫かなと心配しながら上がって来たという。
娘さんが本駒込にいるというので、文京区や神戸の地形、明石城、姫路城、などおしゃべりしたり、眼下の景色を説明したりした。
エレベーターを降りて駅に行こうとしたら11時。
そうだ!とエビスビール記念館に急いで立ち寄った。
最初は荷車でビールを運んでいたが、1901年、出荷専用として工場内に日本鉄道の貨物駅ができた。
駅名は「恵比寿停車場」である。
さらに1906年、渋谷寄りに恵比寿駅ができ、旅客営業を開始したという。
駅名から地名になったというのは豊田のようなものか。
これを見るとホームの線路は行き止まりになっている。
いかにも工場の引き込み線のようである。
新たに渋谷寄りに作った駅ではなく、古い出荷用の駅に見えるが。
とくに安いというわけではない。
再開発事業が1991年8月開始、1994年10月に竣工
敷地の半分は渋谷区恵比寿、南半分は目黒区三田らしい。
動く歩道は、昔からあった。
だんだんありがたがる年になってきた。
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