2019年11月6日水曜日

久しぶりの名古屋城



10月27日、薬史学会の帰り、名古屋城を一目見たくなった。
犬山から浅間町まで名鉄と地下鉄で37分、730円。
堀が広い。さすがは天下普請。

名古屋は京、大阪と比べてあまり来ていない。
人生を振り返るのがこのブログの目的の一つなので、数えてみた。
泊まったのは4回。すべて学会。

1.1982年 8/30-9/1 BMS談話会 愛知会館 
2.1985年 10/17-18 薬物活性シンポジウム 名古屋市公会堂
3.1988年 7/25-28 Symposium ”Ca binding protein” ホテルナゴヤキャッスル
4.1995年 3/30-31 日本生理学会 名古屋大学 

井上勲氏(1988)、森村浩三氏(2007)の結婚式にもお呼ばれしたけど町には出なかった。
南から西の丸正門に向かうときの外堀

1.初めて名古屋に来た1982年は入社二年目、代謝研にいたとき。
初めての宿泊学会出張だった。
BMSとは、Biological Mass Spectrometryのこと。
LC/MSの試作機が出てきたころである。
三浦さん、仲村さん、古内さん、河野さん、菅原さん、鈴木利一さんら、薬物代謝、質量分析の先輩のうち誰か3人と来た。
田辺製薬・発酵研にいらした鈴木真言先生がこの分野の権威の一人で、帰京する日の朝、みんなで名城大学の先生の研究室を訪問した。
覚えているのは、研究室の廊下の眼下に、無数の墓石が並ぶ、見たこともないほど広大な墓地(八事霊園)と、そのあと、近くの食堂で食べたきしめんだけ。

2.次に来たのは1985年。
会場・名古屋市公会堂のあった鶴舞公園をうっすら覚えている。
武田の脳ミトコンドリア代謝賦活剤CV-2619 idebenone、三共の放線菌由来、赤血球変形能増強物質griseolic acidに感銘を受けた。
薬物代謝から薬効薬理に転向したくなった学会である。

結婚1年後で、まだ子供はいなかったので、妻の友人夫妻と4人で2泊3日の京都旅行を計画。ちょうど学会と連続したので、東京からくる3人と京都駅で待ち合わせするため、名古屋でさらに1泊することになった。
探したホテルは駅の裏口ともいえる西口。住所が中村で、ああ秀吉の出た村はここか、と思った。部屋に風呂がなく最上階に大浴場があった記憶がある。

金シャチ横丁・義直ゾーン

二の丸のほうに金シャチ横丁・宗春ゾーンがあるらしい。
しかしそれなら、簡単に義直横丁、宗春横丁で良いではないか?
宗春は吉宗と同時代(宗は偏諱)。城下の規制緩和で民衆に人気があった。

フードフェスのようにテイクアウトしても食べられる。

西の丸と二の丸の間で外堀が中に入っている

二の丸大手二の門
とても美しい姿勢の女性が歩いてきた。

中に愛知県体育館
さすが名古屋城は広い。

二の丸にあった第六連隊記念碑
名古屋の第三師団隷下の歩兵連隊は、
創設時に第6(名古屋)、第7(金沢)、第18(豊橋)、第19(名古屋)で、
1945年は第6、第34(静岡)、第68(岐阜)である

本丸御殿、天守閣のある西の丸、本丸へは入場料を払わないといけない。
昔は天守閣に入らなければ、そばまで行けたような気がするのだが、記憶違いか。
今回はここでUターン。

3.1988年 7/25-28 Symposium ”Ca binding protein” ホテルナゴヤキャッスル

この年、薬物代謝から生理・薬理に転向し、6月、会社に帰ってきた。
長尾研に配属され、上司に勧められて参加。
興味はCaチャネル方面だったが、calmodulin, calcineurin, calpainなどCa結合タンパクの話が中心で、機能・細胞生理学よりタンパク構造など生化学的な演題が多く、あまり面白くなかった。
会場のホテルは堀の真ん前
1階ロビーは改装されたが、単純な形なのでなんとなく記憶はある。

4.1995年 3/30-31 日本生理学会 名古屋大学 

東山キャンパスはまだ建設途中に見えるほど、空き地が多く広々していた。
地下鉄名古屋大学駅はなく、本山駅から歩いていると、シンシナチから一時帰国された若森実さんに出くわした。

磁気センサーSQUIDやMRIなどで、非侵襲的、リアルタイムでの脳機能の観測が注目された頃である。
しかし、気功師が念ずると暗箱中の光電管の暗電流が減少したという、だれも信じないような発表(昭和大・瀬戸氏)があったのもこの学会である。

宿は熱田神宮のそばだった。
学会終了後急いで神宮に行くと、玉砂利の端を歩く女性が鳥居のたびに礼をしていた。30代前半だろうか。ついていくと、水で浄めた後、本殿の前、参拝場所のやはり端に立つ。紺のカーディガンを脱ぎ、きれいにたたんで置いたあと祝詞を上げ始めた。
終わって帰ろうとするところを話しかけ、東門を出て少し下がった土の道に並ぶ茶店の一軒であんみつを食べた。

「何年か前、月一回、京都の○○先生の古事記の勉強会に通っていたんです。それ以来、毎日仕事が終わったら来ています。いったん始めたらこの習慣をやめるきっかけが見つからくて・・・・なんとなく何年も祝詞を続けているんです」と静かに笑った。

名刺を交換したが、何の発展もなかった。

名古屋駅の前はビルがすごい。


富士と愛鷹山
こんなにすそ野が広いとは知らなかった。

最後に来た1995年春はまだ38歳。
熱田神宮に寄るべきだったかな。
あの茶店はまだあるだろうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿