2019年11月11日月曜日

パレードに近づくことすらできず

11月10日、豪雨で延期された即位祝賀パレード。
15:00皇居出発、15:30青山御所という

この日は出勤だったので、志久13:28に出発、
走って乗り換えは3回、信濃町に14:35着。
改札内のトイレは何重も折り返す行列、尋常でない人出を思わせる。
駅を出たとたんに東外苑通りが封鎖されている。
明治記念館に用事のある人のみ、招待状などを見せて通してもらっていた。
歩道橋に上がると、かなたに権田原交差点が見えるが、立ち止まりは禁止。

2019-11-10 14:38
人波に乗って外苑の中を歩くとすぐに動けなくなった。
手荷物検査の行列らしい。
警官が「検査しても見えるところまでは行けないかもしれません」と叫んでいる。

当初の予定では見物のブースに入らず、見物の外側を逆方向に歩いて青山通り、赤坂見附、国会議事堂、桜田門、皇居へ向かうつもりだった。
途中すれ違うところでちらりとでも見れたらいいな、と。
ところが歩くことすらできない。
14:45
なんとか人込みをかき分け、検問の横を通過。
ここは外苑の中、パレードはここから見えない、ずっと外である。


外苑銀杏並木と外苑東通りのあいだのアパート。
外苑東通りは外苑と青山御所に挟まれ、脇道もないため、途中から様子をうかがうこともできない。
 あとで聞いたら、外苑東通りは自衛隊儀仗隊とボーイスカウトの人たちが多く一般の人はあまり写っていなかったとか。
14:59
まだ黄色になっていない銀杏並木から青山通りに出る

はるかむこう、パレードが右折する外苑東通りの交差点(青山一丁目)まで封鎖されている。要するに、近づけさせないという究極の警備。

15:01
向こうから歩いてくる人は、いったん入ったものの諦めた人か。そういう人は通すが、近づこうとする人は一切入れない。

仕方がないので裏道をすすむ

15:05
青山霊園側で外苑東通りに出る。
しかしパレードの進む青山通りには依然として近づけない。
テントが手荷物検査のところらしい.

「ブースに入るには手荷物検査が必要」というから、路上に出っ張った形で囲い(ブース)がつくられ、そこに入らないなら手荷物検査なしで歩けると思っていた。
しかし、パレードの沿道そのものがブースで、沿道に踏み入れるだけでも手荷物検査が必要だったのである。もちろん大多数の人はそこまでたどり着けなかった。

15:07
青山霊園側の歩道橋。
しかし警官が封鎖。
上っている人は警官が来る前に陣取ったのだろうか。

さらに裏道を東に進む。
15:13
ここも青山通り方面は人だかりで近づけず。
要するに、午後から行った人はコースに近づくことすらできないということ。
朝のニュースですでに並んでいる人がいたことを思い出す。先頭は前日に来たとか。

スマホの林を撮影。
パレードが写るわけがないから、皆もスマホの群れを撮っているのか?
はるか向こうで日の丸が振れたのが見えたがパレードは全く見えず。

15:27
何か分からないうちにパレードは通過したようで、一斉に帰る人の波が押し寄せてきた。

予定通りに(いや、コースに近づけなかったのは予想外だったが)、東に向かう。
暫く裏道を歩いた後、やはりパレードのコースを見たいと青山通りに出る。

薬研坂

15:43
青山通りに出ると赤坂見附駅に向かう人でいっぱい。
警官もいっぱい。
彼らは「赤坂見附は混雑しています。赤坂駅、溜池山王駅が比較的すいています」と叫んでいる。

赤坂駅に行く気はないけど、再び裏道に入らざるを得ない。
虎屋の手前で右折。

山脇学園の敷地に立派な武家屋敷門。
岡崎五万石、本多忠民の上屋敷の表門として1864年に建てられた。八重洲大名小路の一角、いま旧東京中央郵便局あたりにあった。その後、海軍予備校(海城)、実業家の藤山雷太の手にわたり、日比谷、白金と移転、山脇が所有して1974千葉の臨海学校へ移転保存、2016年千葉から赤坂に移したという。

そろそろいいかな、と牛鳴坂から再び青山通り。
遠回りしただけでほとんど東に進んでいなかった。
ここも警官がいっぱい。
もうパレード終わったんだから1時間くらい車道を歩かせればいいのに。

15:57
ようやく赤坂見附。10分くらいの道を30分かかった。
ところが青山通りはこの先、歩行者も通行止めだという。
なんで?

16:02
仕方がないので弁慶橋を渡る

弁慶掘
向こうの一段高くなった石垣のあたりが赤坂見附の城門跡だろうか。

16:10
青山通りから排除されたおかげで予定外の清水谷公園。
ここで朝以来ようやくトイレに入る。
大久保遭難碑に再会
 ここは1988年以来である。
上司だった長尾拓先生と一緒に、植松大輔先生とニューオータニで会食した。
植松先生はネコの脳虚血で神経細胞にCaが過剰負荷されることを分光学的に観測、発表しており、共同研究の可能性を話し合った。その後1992年、松岡雄三さんと浦和市民病院に植松先生を訪ねた。松岡さんも植松先生も亡くなってしまった。

1988年、待ち合わせがニューオータニのロビーだったから、その前に一人で清水谷公園を歩いた。

40年近く前、丸井の特売で結婚前に妻と来たこともある。

2019年ニューオータニはずいぶん建物が増えた気がする。
紀尾井坂を上がり、四谷通りに出て東へ、東へ
16:31 
半蔵門にぶつかる。満月。
三宅坂方面の内堀通りはまだ閉鎖されている。
閉鎖されているなら横断してもいい気がするが、これだけ警官が多いとなんとなく怖いので横断歩道まで遠回り。

16:36
内堀通りのランナーに追い越される。

最高裁判所
三宅坂は半蔵門から警視庁あたりまでの内堀通りを言う。

国会議事堂前

16:52 桜田門

16:53 法務省赤レンガ館と警視庁

16:55 祝田橋
ここは日露戦争後に凱旋通り(いま内堀通り)ができたとき、日比谷堀を埋めて堤防にして日比谷公園とつなげた。「祝」という文字は戦勝を祝ったわけではなく、すでに皇居外苑の場所の地名、祝田町にあった。

明治11年文部省地理局


17:00
二重橋方向。まだ広場には入れない。

17:26
新丸ビル5階 ヴァンルージュ・ヴァンブラン
まだ早い時間だったので窓際に通された。
ここは丸ビルと違って高層階レストランがないが、東京駅を見るならこのくらいの高さがよい。

19:37 東京駅が保存されて本当に良かった。
天皇制、皇居とともに日本人の財産になっている。

結局、パレードの現場にすら近づけなかった。
代わりに1993年6月、御成婚パレードの写真をのせる。
この時は午前中から並んだ気がする。
皇居前広場で手荷物検査を受けた後、桜田門のほうまで歩いてきた。




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