2017年12月5日火曜日

第98 コレラ菌を飲んだペッテンコーファー

薬学雑誌 1893年度(明治26年) p200-201

ガンジスデルタでの伝染性風土病であったコレラが世界的に大流行するようになったのは,19世紀に入ってからである。意外に新しい。

1854年,まだ瘴気説が主流のころ,イギリスのジョン・スノウは悪臭ではなく飲み水から(肺ではなく腸から)うつることを示した.1883年にはロベルト・コッホ率いるドイツチームが流行地エジプトで患者の小腸内容物からコンマ型の細菌を発見,翌年にはガンジスデルタの患者からも発見した.

ところが動物に感染しなかったことなどから,これを病原菌と信じない人々もいた.有名なのはミュンヘン大学の衛生学者マックス・フォン・ペッテンコーファー(1818– 1901)である.東大初代衛生学教授の緒方正規や、鴎外森林太郎、坪井次郎、緒方銈次郎(洪庵の孫)も留学,師事した世界的権威である.

有機化学が未発達で抗生物質もなかった時代,伝染病にかかったら終わりであるから、予防につながる衛生学は医学の最も重要な分野の一つであった.
ペッテンコーファーは、1892年10月、コッホの用意したコレラ菌培養液を飲んで発症しなかったことで反論した。

このあたり、よく雑学本には,面白おかしく書いてある.
当時はどのように書かれたのだろう。薬学雑誌の記事を見つけた.

「仏国のボセフォンテーンは,さきに許多のコムマバチルスを含むコレラ患者下瀉物を丸として服用するもコレラに罹ることなかりしか,今またミュンヘンのフォン・ペッテンコーフェルは10月7日コレラ菌の純培養液を嚥下し(胃液を中和したるも発症せず,略),x(病菌),y(時と所の素因),z(人の感受性)中,yを最も大切と論決せり」.

一流の科学者らしく,実験は綿密に計画されている.
発症量をはるかに超える生菌を確認し,胃酸の影響をなくすため重曹を飲み,期間中の糞便は細菌検査に回された.
彼は水様の下痢を起こしたものの脱水症状(これこそコレラの特徴とされた)を起こさなかった.

ペッテンコーファーはもともと,疫学調査の結果からコレラはヒトの糞便を通して広まり,病原体は腸管内部に存在するという仮説をもっていた.ただしそれ単独では発症せず,土壌に存在している何らかの腐敗物質と混ざり合うことで,発病すると考えた。
この学説は瘴気説に近く,伝染性粒子の存在を認めた上で環境汚染こそが病因とする「複合病因説」と呼ばれた.薬誌にある「yを最も大切」としたのは,こういうことである.そして衛生学の権威らしく,下水道の整備を説いた.

彼は,感染防止には下水より上水の整備が重要としたスノウ,コレラ菌を発見したコッホとの論争に相次いで敗れ,教科書的には知名度がいまひとつ高くない.しかし抗生物質登場以前に,疫病の流行を最小限に食い止める衛生学を確立した功績は大きい.

このエピソードは Mary Dobson著 Diseases (小林力訳)にも書いてある。



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