2017年12月11日月曜日

妙義坂と霜降銀座、田端銀座

文京グリーンコートから帰るのに霜降り商店街に寄ろうとした。
本郷通りは駒込駅をすぎると、緩やかな下り坂。
妙義坂という。
この坂がカーブしたあたりで写真を一枚。
ここに東大薬学第一講座、丹波敬三教授の邸宅があった。敷地3000坪。園遊会の様子を薬学昔々に書いた。いまは跡形もない。
坂の名前は近くの妙義神社からとられている。




日本武尊が陣を敷いたというが、ちかくの飛鳥山や田端の台地とちがって、ここは特に見晴らしがいいわけではなく、伝承が本物なら移転してきたのではないか?

神社のすぐ東が坂になっている。
妙義神社坂とも名づけるか。

ここを妙義坂と名付けるのなら分かるが、本郷通りの坂は結構遠い。
それだけ昔は本郷通り(日光御成り街道)のまわりに坂名になるようなものが何もなかったのだろう。

坂を上がると中央聖書教会。
教会も日本アッセンブリーズ・オブ・ゴット教団についても何も知らず。

本郷通りの妙義坂は、下って谷田川(下流は藍染川となり不忍池に入る)を渡る。
その端を霜降り橋といった(信号機名になっている)。谷田川はもちろん暗渠になっていて、その上が商店街になった。
4年ほど前初めてきたとき、東京にこんなところがあるのかと思うような狭いところに小さな店が並んでいたが、この日は、店がずいぶん少なくなった気がした。

この店は例外である。
ほとんどの店に人はおらず、中ほどにあったスーパー「さかがみ」に集まっていた。八百屋さんは安いが、主婦はぼんやり棚を見て献立を考えながら皆そろえられる大型店舗に行ってしまうのだろう。

この店が流行っていたころの商店街は賑やかだっただろう。
4年前はすでにこんな感じだったが。

シャッター街が増えるというのは商店街の衰退を示す決まり文句となっているが、ここではそこを通り過ぎて、上写真の右側のように一般住宅になっているところも多い。

帰りは谷田川暗渠沿いに田端まで行くことにした。
駒込駅の東側でガードをくぐる。
ここには谷田川にかかっていた橋の欄干の名残がある。

田端銀座は霜降り銀座よりさらにさびれていた。
車道との交点に八百屋さんがある。
霜降り銀座「スターフルーツ」で白菜4分の1が150円、スーパー「さかがみ」はさらに小さくて188円。
しかしここでは一玉380円だった。
老夫婦の我が家でひとつは大きいので、半分のはないですかと聞くと、切ってくれた。サランラップに包んでくれて190円。
嬉しくてたぶん家にあるだろうネギも買った。
安いのはありがたいが店は苦しいだろうなと思う。
応援したくなる。

1977年本駒込(図書館と洋服カツロの中間あたり)にいたとき、田端銀座の路上でキャベツを買ったことがある。すごく安かっただけでなく、なぜか灰皿を一つおまけで一緒の袋に入れてくれたから覚えている。

谷田川暗渠はずっとつづき、千駄木、谷中の境で蛇道となる。
蛇道のわきに78年から3年間住んだ。
晴れてはいたが寒くなったのでそこまでは行かず、谷田橋交差点から動坂を上がって帰宅した。


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