2020年1月27日月曜日

西日暮里、道灌山通りの変わりよう

不忍通りの道灌山交差点の三つ角から西日暮里駅へいたる道灌山通り。
2020-01-26 日曜くもり

サイクルスポットという自転車屋がある。
7年前に引っ越してきたときは妻も子どもたちも自転車で通ったから4台は必要で、ここで買ったり修理したりした。空気入れも買ったが、無料のポンプで空気を入れさせてもらった。
その並びはカラキモーターズという自動車屋、麻雀クラブぽん太(空いているのは見たことがない)、散髪(昨年?閉店)、もがみ(おにぎり)、岩崎青果(生花)店と続く。
岩崎青果店まで来たら、荷物を出している。
聞けば、マンションが建つので閉店するという。
えーっ、また、景色が変わってしまうのか・・・
写真を撮ってもいいか聞いて、撮らせてもらった。

今月いっぱいで立ち退くという。
マンションは1年前から話があり、12階建て、サイクルスポットまでの敷地に建つらしい。
隣のもがみのシャッターに張り紙。
読めば、マンション建設が決まり、12/14を最後に移転するという。
数日前に閉まっているのに気づき、? と思ったがそんな前から閉店していたのか。
この景色がなくなってしまうというので、ぐるっと回って写真を撮った。

道灌山通りの一本裏は古い家が並ぶ。

車も入れないような路地
この左側が壊されマンションになる。

岩崎青果店だけでなく他の家も窓を開けて引越しの片付けをしていた。

この辺りは都道・補助92号線の建設に合わせ再開発が予定されていたが、道灌山通りの南、西日暮里3丁目から谷中、上野に至る部分は計画が白紙になった。

しかし、荒川区はまだ区画整理だけでもやりたいらしい。
北区(田端)は補助92号線に合わせて区画整理した。荒川区も対抗意識があるのかな?
住民が反対していたら、不便なのは住民だから区画整理などやらなければいいのに、お役所というのはとにかく仕事を作りたがる。

ぐるっと解体予定地をまわって再び岩崎青果店に戻ってきた。
壊す前に、と写真を撮らせてもらっていると奥さんがいろいろ教えてくださった。

78年前、ここで親が青果店を開いたという。1942年か。
以前は三河島の方で戦争中は疎開していたそうだ。

店はもっとずっと広かったのだけど、地下鉄ができるとき(千代田線西日暮里が1969年、山手線の駅が1971年開業)、道灌山通りを二倍に広げたの。南側に広げたから、うちは全部削られて、店だけ残して自宅は富士見坂の上に行った。景色はいいけどね。

(片側3車線もある道灌山通りの中央分離線あたりを指さし)あそこに交番があったの。渡辺町駐在所と言ってね。公園もあって、自動車屋さん(カラキモータース?)の工場もあった。道路の向こう側の渡辺町のほうには風呂屋もあって、そこで盆踊りなんかよくしたわ。
なるほど、大きく削られた結果、間口は店舗3軒分くらいあるが、奥行きがほとんどない。
狭いところは畳1畳くらいしかないのでは。

ほとんどお客はいないような感じだが、ここは六阿弥陀道との角にあり、青雲寺、修性院など近くに寺も多い。年に二回、お彼岸のときだけは花が売れる。
日暮里で練習して夜、前を通ると、そのころだけは21時、22時でも大人数でお墓参りの花束を作っているのに出くわす。
5月は野菜の苗も売っているがホームセンターより高い。
バナナ一皿が安く売っていたこともあったが、買ったことはなかった。

少し西の方、三菱地所ザ・パークハウス谷中道灌山レジデンスあたりにあった花屋さんが5,6年前につぶれたことを思いだし聞いてみた。
「あの、失礼ですけど、ここらで八百屋さんとか花屋さんとかやっていけるんですか?」
「花が好きだからやってるの。家賃を払うんじゃやっていけないけどね」

東京なんて5年も経てばどんどん変わるわよ、
という話をもっと聞きたかったが、ダンスの練習に向かった。
途中、開成の前を通る。
校舎建て替えの工事も進んでいる。
地下鉄ができたころは開成も道路側に小さなグランドがあったから、こんな景色だったのかもしれない。(別ブログ)

・・・・
この日の練習が終わって暗くなり、再び前を通ると、粗大ごみの搬出はまだ続いていた。
お皿など「ご自由にどうぞ」という紙が貼ってあった。
棚をみていると、
「これなんかしっかりしてるわよ」
外の物置に入れれば園芸用品の整理に使えるかもしれない。
昭和20年代、30年代のものだろうか。
すべて消えてしまうなら、せめてこれだけでも、当時のほこりも汚れも落とさず、私が保存してあげようか。

道灌山通り 昭和38年 goo地図から
上に開成、右に前田家墓所(現、西日暮里公園)
道路の拡張はサイクルスポットのすぐ西まで完成している。

今回壊される一角は、家が三列見える。
道路側から二列目の一部まで削られたのが分かる。
岩崎青果店の前は公園のようで木が2本ある。
その向かい渡辺町側(現、西日暮里4丁目)に確かに銭湯の煙突とその影が見える。

翌朝、再び写真を撮ろうと思って来た。
2020-01-27 7:50
今月いっぱいで壊されマンションが建つという一角は、不思議とビルがない。

ちょうど向かいの、通りの北側、中里たばこ店あたりもそこだけビルがない。
補助92号線の計画のため、都がマンション建設を許さなかったのだろうか。通りの南側は計画が白紙になったから建てられるようになったのだろうか?

西日暮里駅の東側、餃子の王将あたりは中国人が買ったよ。ホテルにでもするんじゃないの? 他にあそこの○○あたりも中国人が買った。中国人は皆金持ちだからね・・・
と前日、岩崎青果店の奥さんが言われたことを思いだした。
「東京は5年も経てば変わるからね」

 
20170923 開成の文化祭と校舎の変遷
20181021 道灌山通り、よみせ通り、ヘビ道

千駄木菜園 総目次

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