2020年1月4日土曜日

ゆかしの杜、国立公衆衛生院

12月15日、暖かい。
目黒駅、白金にやってきた。
駅東口に出てすぐ、かつて北の目黒通りに面して海軍大学校があった。
2019-12-15
戦後、建物は国立予防衛生研究所が使用したが、1999年(平成11年)取り壊され、URのマンションになった。
私は1979年ころ予研に来たことを先のブログに書いた。

古いものがどんどん壊される中、残ったものもある。
目黒通りをそのまま数分歩くと左手に重厚な建物。
港区の施設「ゆかしの杜」
関東大震災のあと本郷の東大構内をはじめ、次々とつくられた内田祥三設計の建物。
同時に作られた隣の東大医科学研究所と兄弟のように建っている。

2019-12-15 正面玄関
まず目黒通り側に「入口はあちらです」と案内するガードマンがいらっしゃる。言われなくともわかる。正面に来ると玄関石段の上に、やはりガードマンがいて挨拶してくださる。いくら港区が金持ちとはいえ、無駄だろう。

「ゆかしの杜」港区指定文化財・旧公衆衛生院 とある。

1923年(大正12)の関東大震災のあと、米国ロックフェラー財団による復興援助の一部として作られた。
公衆衛生の向上を目的とする調査研究機関として、1935年着工、1938年竣工。
設計者・内田祥三は麻布笄町(こうがいちょう)の自邸(戦後、ソ連大使館として使われたあと消失)から渋谷川と広尾の谷を隔てて白金台に立つこの建物を眺め、気に入っていたという。

映画のロケにも使われるのだろうか。
手すりが邪魔だが。

透明フェンスは大理石の保護というわけではなく転落防止のようだ。
普通の建物なのだから、いたずらして落ちたら自己責任だろう。
雰囲気を損ねる、残念なお役所仕事である。

院長室

初代院長は、東京帝大名誉教授(医学部・薬理)の林春雄。たしか医学部一号館の階段踊り場に銅像があった。
発足時の教授は、
野辺地慶三(疫学部長)
斎藤潔(小児衛生部長、第三代公衆衛生院長)
石川知福(労働衛生学部長)
川上理一(衛生統計学部長)があたった。

国立公衆衛生院は2002年(平成14年)、国立医療・病院管理研究所(新宿戸山)、国立感染症研究所口腔科学部の一部と合併、国立保健医療科学院に改組し、和光市に移転した。

空いた建物を2009年(平成21)港区が国から取得したわけである。
耐震化とバリアフリー化をおこない、2018年3月竣工、4月に
・白金台・区民協働スペース 6階
・がん在宅緩和ケア 支援センター 5階
・子育てひろば あっぴぃ白金台 1階
・乳幼児一時預かり あっぴぃ白金台 1階
・みなと保育サポート 白金台  1階
・白金台学童クラブ 6階
・白金台駅 自転車駐車場 屋外
が開設され、
11月に郷土歴史館がオープンした。
旧講堂。
誰もいないと思ったら巡回の人がゆっくり歩いてきた。

港区は良いものを買いましたね、と言うと
「有効利用を考えているのですが、なかなか使い道がなくて」。
消防法?で今はホールとしては使えないという。
しかし、もっと危ないビルはいくらでもあるだろう。
お役所仕事同士では法律が勝つ。


確かに広さに持て余し気味のようだ。
見学するだけの講堂まで含めても、使われている部分はごく一部。
未使用の白い部分が目立つ。
車いす専用リフトがあった。
一般用のエレベーターもあるようだが、ゆっくり階段を上がった方が気持ちいい。
がん在宅緩和ケア 支援センター

様々な施設が入居したが、大部分は空き家のままである。
広くテナントを募集し、家賃収入を得ることは難しいだろうか?
オフィス、ショップ、大型書店、
貸しギャラリーなど。
相乗効果で人が集まり新しい区民の拠点となるだけでなく修繕費もでるかもしれない。



この建物の正式名称は、「郷土歴史館等複合施設・ゆかしの杜」という。
複合施設であるがメインは博物館。
クジラの模型から都電の資料まで、古代から現代まで、品川から浜松町、赤坂、麻布まで、港区の郷土博物館である。

港区によるホテル経営も面白いが、初期投資が莫大だから難しい。

地下の床にはプリズムガラスが埋め込まれている。
戦前の電気事情では明るさが足りず、窓の外の庇をガラスにして(下の写真)外光を取り入れ反射させていた。

今はスペースとコストばかりが優先されるが、戦前は貧しかったにもかかわらず、当時の粋を集めて一番いいものを作った。どちらが豊かだったか分からない。


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