2020年6月13日土曜日

安藤坂、区立三中の三井家、萩の舎

6月4日、三百坂から伝通院を回って帰るに寄り道して安藤坂を下ることにした。

別ブログ
20200608 伝通院。於大の方から堺屋太一まで
20200607 井上哲次郎旧宅、無量院、処静院など
20200606 三百坂と陽だまりの樹

2020-06-04
安藤坂は伝通院山門からまっすぐ参道のようになっている。

春日通を渡って山門(昔は中門)を見る。
昔はここに山門があった。

富坂下に文京区役所がみえる

安藤坂を下る

坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があった。
飛騨守は紀州田辺藩3万8千石の大名であったが、紀伊徳川家の付家老であった。
尾張家に対する犬山藩成瀬家と同じである。
(別ブログ)

坂の東に神社の参道のような雰囲気


杉並木を入っていったら文京区立三中だった。
新制中学というのは戦後出来たから、ここは戦前何だったか?
地図には三井邸とある。
江戸時代以来の三井11家のうち、北家(惣領家)・伊皿子家・新町家・室町家・南家・小石川家の6家が本家といわれた。その小石川家であろう。
日本女子大を設立した、「あさが来た」広岡浅子の実家である。

明治42年
ちなみに江戸時代は大野英三郎という旗本屋敷だった。

昭和7年
三井邸の南は小石川区役所だった。
いま、特別養護老人ホームになっている。
ちなみに本郷区役所は龍岡門を出て左角、関電工があったところである。
両区ともお城に近い南に偏っている。明治初めは市域も狭いから仕方がないか。

三中の門柱から入るとすぐ正面玄関。
生徒もいないし教室やグランドが見えないから、中学校と思えない。
何か三井家の名残がないか探したかったが、不法侵入者としてとがめられそうで早々に退散した。

安藤坂には萩の舎があった。
現春日1-9-27
中島歌子が主宰した歌塾である。
彼女は水戸藩士の妻であったが、夫が天狗党に加わって自害、その後明治になって歌塾を開いた。梨本宮妃、鍋島侯爵夫人、前田侯爵夫人など上流階級の人ばかり門人千人といわれたが、いまは樋口一葉が通ったことで知られる。
一葉が入門したころは東京府役人であった父も健在であったが、間もなく死去、樋口家も没落した。毎月9の日が例会、土曜日が稽古日だったというが、彼女は来ていく着物にも困るなか、菊坂から雨でも雪でも坂の多い道を通った。

歌会?遠足?で植物園に行くときなど、伝通院の境内を突っ切って崖を飛び降りた(森まゆみ「一葉の四季」)など、このあたりを舞台にしたエピソードは、先月と今回、2回ばかり歩いて土地勘として実感できた。


安藤坂の交差点はこのカーブした下のほうである。
すなわちこのカーブこそ安藤坂なのだが、昔はこの道はなかった。
江戸時代は写真左にみえる牛天神の西参道入り口までしかなかったし、
明治になってもまっすぐ水道通りに降りる坂(写真左)が安藤坂だった。
しかし市電を通すにあたり斜度が急なため、西に斜めの道を開きカーブさせたのである。

goo地図 明治40年

別ブログ
20191123 犬山城と付家老・成瀬家

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