2020年11月11日水曜日

浅草六区のフランス座、ROX

  11月8日、浅草に来た。

2020-11-08
浅草国際通りの六区入り口で降りて六区花道通りをはいる。
歩いている人が独特の雰囲気。
正面にスカイツリー。
千駄木から都バスにしろ、台東区「めぐりん」にしろ、引っ越してから浅草はここが入り口になった。

入り口右の角近くにはデリカ「ぱくぱく」。250円の弁当が並ぶ。
いろんな種類があって根強いファンがいそうだ。
隣がつくばエクスプレスの駅出入り口。

すぐに六区ブロードウェイにぶつかる。
六辻になっている。
左手前の角はドン・キホーテ。日本とは思えないけばけばしさ。
写真交番の後ろは「まるごとにっぽん」と書いてある商業ビル。
その左(北)隣はJRAの場外馬券売り場、ウィンズ浅草。

浅草寺本堂に通じる奥山おまいり町と、六区通りの間にも細い路地がある。
六区通りでは獅子舞をやっていた。

2020-11-08
歩いてきた六区花道通りとブロードウェイの角は、浅草演芸ホールとフランス座演芸場東洋館。
前者は落語中心の寄席。都内に4つ残ったものの1つ。はとバスツアーなどにも組み込まれている。後者は漫才コントなど色物が中心。
同じ建物で、ともに東洋興業が運営している。

フランス座演芸場東洋館
ねづっち、山口君と竹田君、おぼんこぼんがでている。

ビートたけしは明大除籍後、1972年この浅草フランス座で、芸人見習いとしてエレベーターボーイを始め、屋根裏部屋で寝泊まりした。
ツービート結成後もすぐには有名にならなかったが1980年の漫才ブームでB&Bなどとともに頭角を現す。

当時のタウン情報誌がとってあった。
アングル1979年10月別冊
フランス座、浅草演芸ホールの南は松竹の映画館、演芸場が並ぶ。


1979年の記事を読めばロック座(六辻の北、ドン・キホーテの場所)、フランス座ともにストリップ劇場として書かれている。
フランス座はストリップ劇場として昭和26年(1951)に開業、永井荷風(1879 - 1959)も熱心に通ったという。

ストリップは保健学科の猫田泰敏君に教わって西川口に行った。午前中に行くとパンと牛乳がもらえてお得なので私も友人に教えてあげた。確かテアトルミュージックといった気がする。思い出して検索したらまだあって、びっくり。この寿命の長さは考えるに値する。

しかし浅草フランス座は入ったことがなく存在も知らなかった。

そのころ私は谷中に住んでいて自転車で浅草に来た。
デートなどではなく、ただ自転車で来れる繁華街ということで、(普段使う)ベルトを買った記憶がある。

谷中にいた1978年から80年というのはインベーダーゲームやパックマンが流行ったころで、チェーン店のマイアミはもちろん、根津千駄木あたりの喫茶店のテーブルもゲームができる仕様になっていた。
研究室の高木重和先輩、合田幸広君などは金持ちで、相当投資したらしくなかなかの腕前だった。私も女性の前ではカッコいいところを見せたい。そこで空いている午前中にひとり自転車で浅草まで練習に来た。ここはいろんな機種があるからいつか女性と来る時に備えて慣れておきたかったのであるが、資金がなくなり大して上達しなかった。


ブロードウェイを南下する。
劇場や映画館をもっていた松竹が撤退した後、ニューオータニグループが再開発、1986年に商業施設、浅草ROXを開業した。
ブロードウェイの西に本館(国際通りにも面す)、2G、東にROX3G、ROX DOMEがある。
浅草ROX本館
開業当初は上層階にテレビ収録スタジオがあり、「ねるとん紅鯨団」や「天才・たけしの元気が出るテレビ」(不定期)がここで収録されていた。
笑っていいともの新宿アルタみたいだが、当時はもっと華やかだったのだろうか。いまやお年寄りがすることもなく座っているという浅草らしい風景。

このあたりは浅草でも一番の繁華街。

1965年
浅草というのは昔はたいそうな場所だった。
もともと寺社は繁華街の核であったが寛永寺や増上寺は庶民の行き先ではない。
その点浅草寺は武士も庶民も集まった。門前町がさかえ、蔵前商人の店と吉原に挟まれ、芝居小屋も移転してきて、江戸で最も人・物・金が集まったらしい。

明治以降も日本橋あたりの商家に丁稚としてはたらく若者は休みの日は浅草に来た。
テレビのない時代、娯楽といえば繁華街を歩くのと映画くらいしかなかったから、みな浅草に集まった。

しかし関東大震災以降に始まった東京の西への広がりは、昭和の戦後になると拍車がかかる。
西に住む彼らは池袋、新宿、渋谷のターミナルで止まってしまう。
浅草は遠い。
高度成長期にテレビが普及すると浅草の映画館もかつての魅力はなく、あか抜けない町として寂れていった。


ちなみに、ROX、ロック座のもとになった六区というのは、元々1884年(明治17)から始まった浅草公園の整備における区画番号の第六区画による。
1907(明治40) 東京案内下巻より
一区、二区が境内、三区伝法院、四区瓢箪池、五区花屋敷など。
昔からの歓楽街は六区に入った。

ブロードウェイを南下、新仲見世通りを横断して浅草通りに出る。

浅草通りは六区と違い、普通の商店街。
美味しそうな店が並ぶ。
うなぎ一寅
食べていないが、あまりにも安くて写す。
通りのむこうに伝法院がみえた。
オレンジ通りという両側の案内に加え、道路まで色を塗る必要はないと思うが。


このあと雷門から浅草寺境内をあるき、花屋敷に回った。(別ブログ)


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