2020年11月9日月曜日

三社祭は浅草寺ではなく三社明神

 11月8日、外国人観光客のいなくなった浅草に来てみた。
谷中墓地からコミニティバス「めぐりん」にのって100円。
雷門前の浅草文化観光センター
隈研吾?
高いところが好きなのでまた上がってみる。

2020-10-08
ここは2016年7月にも上がっている。
4年前はアサヒビールのオブジェ(觔斗雲、ウンコ、聖火の炎?)が見えたのに、見えなくなってしまった。
2016-07-03

2020-11-08
仲見世方面
2016-07-03 
わずか4年しかたっていないのに新しいビルができている。
同じ日曜日、同じ13時ころであるが、雷門前、仲見世の人出をみると、4年前はインバウンドもまだ大したことがなかったせいか、コロナ後の今と同じくらい。
いかに観光業が五輪期待と政策によって急激に拡大し急激に萎んだかがわかる。

2016-07-03

浅草文化観光センターにはイベントホールなどもある。

2階から。
オリンピックのマラソンが開かれていたら特別席になっていただろう。
コースは札幌に行ったが、もはや五輪開催自体も疑わしい。


筋斗雲が見えた

1982年7月10日、池田万里子さんとほおづき市に来た。
たしか前の年から運行し始めたばかりの二階建てバスに上野から乗ってきたのではなかったか。すごい人込みで疲れた。路上でライチが売っていて、初めて見て、初めて食べた。


2020-11-08
人力車のお兄さんはイケメンぞろいであった。
乗るのは女性ばかりかな。

1992年11月23日、CNS部門は社内旅行の代わりにはとバスツアー。
雷門で記念写真を撮って釜めしを食べ、皇居、東京タワーなどを回った。

着物の人が多い。
これだけ人がいれば自治体が先頭になって(税金を使って)無理やり外国人を呼ぶ必要はないではないか。無理に入れようとすれば今回のようなことがあると損害も大きい。

左手、伝法院と仲見世の間に浅草寺幼稚園があるらしい。

自動販売機もおしゃれ

伝法院 浅草寺本坊。

この奥から非公開の伝法院庭園の池がかすかに見えた。

宝蔵門(仁王門)
小舟町の大提灯は江戸時代に日本橋小舟町の町人が寄進して以来続いているという。

本堂がみえた

五重塔跡
戦前までは上野寛永寺、谷中天王寺、芝増上寺の塔とともに江戸四塔として親しまれた。
いま残るのは上野だけ。
江戸初期には本堂の東に五重塔、西に三重塔があったらしいが、焼失。家光の時代、慶安元年(1648)に五重塔だけ再建された。

浅草寺五重塔は明治44年に国宝に指定されたが空襲で焼失。
1973年、反対の西側に再建された。

頼朝以来という大銀杏。
空襲で燃えたが枯れなかった。

二天門は持国天と増長天が左右に祀られているから。

門のすぐ向こうに東京都立産業貿易センター 台東館がみえた。
ここでダンスの競技会がしばしば行われる。
2012年2月、2016年5月、7月と3回来ているが、境内の見物は一度もしなかった。

あらためて1992年以来の本堂を見ると観音堂と書いてある。
本尊が観音様なのだから当然といえば当然だが、境内に薬師堂、地蔵堂、不動堂などある中で観音堂だけ立派すぎる。普通の寺は本堂に金龍山など山号、寺号が書いてあって観音堂など端にある。

1907(明治40) 東京案内下巻より

本堂東に浅草神社がある。
ちょうど神前結婚式の行列。

この神社の御祭神は、隅田川で観音像を引き上げた漁師の檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟とその主人の土師真中知(はじのまなかち)
ここから神社を三社権現社、三社明神社、三社様となった。
(しかしそれなら三社でなく三者のほうが分かりやすいが)

寺院には盂蘭盆会や縁日はあるが、祭礼は神社のもの。
浅草の三社祭はどこの神社かと思っていたらここにあった。
そして三つの社でなくて三社様だった。

境内図には英語、中国語、ハングルが併記。
こんな必要あるか?
日本に来た時くらい日本語を勉強すればいいのだ。


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