2020年11月21日土曜日

日比谷公園の松本楼は松本さんではない


11月9日、日比谷公園に来た

2020-11-09 13:34
公園入口に日比谷御門跡(別ブログ)

大名小路と外桜田との間の濠が池になっている。
日比谷公園は霞が関方面から有楽町駅へ帰るときに2,3度通り抜けたくらい。
思い出は何もない。

旧日比谷公園事務所
明治43年(1910)に建てられた東京都指定有形文化財
公園に合わせて作ったバンガロー風。
1964年公園資料館になったが、いまはフェリーチェガーデンという結婚式場になっている。

日比谷サロー(茶楼)。旧公園事務所の隣。
1949年創業のガーデンレストランはclosed。
コロナかと思ったら月曜定休

2020-11-09 13:45
広場(第一花壇)にロボット草刈り機が動いていた。
カメラを向けていたら、あたかも私に気付いたかのようにトコトコとこちらにやってきた。
なんとなくかわいい。
そのうちペットはすべてロボットになるのではなかろうか。
AI搭載なら9割がたの人はロボットを選ぶのではないか?

草地広場
フェンスに囲まれ遊具がある。ここは昔から子供たちの遊び場だったようだ。
戦前はちいさな動物園や浅いプールがあったらしい。

噴水広場
噴水の向こう、出口の脇に日比谷花壇がみえる。
日比谷花壇は、葛飾の造園業者・芳梅園が1950年に日比谷公園に出店したのが始まり。近年は造園から花束小売店、ギフトまで幅広く展開している。


13:55 日比谷野外音楽堂。
有名な野音。一度くらい入ってみたいものだ。

公園の面積は16.2ヘクタール。かつては「日比谷公園何個分」と、広さの尺度とされたらしいが、いまは東京ドーム何個分か。ちなみに東京ドームは敷地が4.7haでグラウンドが1.3haである。

日比谷公園は東大農学部教授の本多静六が設計した。
明治神宮、小諸懐古園(別ブログ)は知っていたが、子供のころよく行った須坂臥龍公園も彼の設計とは知らなかった。

しかし大建築と違って、日比谷公園のような平地を公園にするだけなら、設計は東京市の職員でも誰でもよかった気もする。通路をどこにするか、噴水の場所をどこにするか、誰が考えても同じ。植える木も東京にある木なら何でもいいだろう。と今の人は思う。

しかし広い一等地で初めての洋風公園、力が入った。西洋公園など見たこともない人が多かったに違いない。おそらくわが国最初の林学博士、ドイツ留学で西洋の公園にも詳しい権威者に頼めば文句は出ないということか。

松本楼
この日は昼に銀座でクレープを食べただけだったので何か食べなくてはならない。
日比谷図書館など回ってきたら(別ブログ)午後もいい時間。
外からみたらおしゃれなテラス席が空いていた。

松本楼は工学部2号館の店に入ったことがある。
2011年5月27日、千駄木の家を見つける2か月前、CBI学会シンポジウム(イオンチャネル)。終わって食事しようと思った京都の森さんが帰ってしまった。このまま埼玉まで帰るのは寂しいので4年生になった息子と入学したばかりの次女(学園祭の準備で来ていた)の携帯を呼び出した。
軽い気持ちで呼んだものの、成長した彼らとそれまで食事したことがなかった。妻がおらずどんな話をすればいいのか、父親らしく振舞えるかどうか、少し緊張してぎこちなかったかもしれない。教室のような部屋を改装した松本楼で食べたのはハヤシライスだったか、オムライスかカレーだったか。当然味も記憶にない。
あれから9年。
私はまさかの千駄木引っ越しと転職、子供たちは結婚して出て行った。
2020-11-09 14:57
9年ぶりに何を食べようか迷ったら、カレーとハヤシライスのハーフnハーフがあった。
1300円。少ししょっぱかった。老舗の味だろうか。
たまたまか、顎が疲れるほど牛肉がごろごろ入っていた。

この日は少し寒くて店員が親切にひざ掛けをお貸ししましょうかと言ったが遠慮した。
かばんを置いた隣の椅子に雀が飛んできた。
家の菜園では種まきしたところで土遊びする邪魔者だがここだと可愛い。

大木の立つ森から店のほうに目を向けたら庇のたれに
HIBIYA MATSUMOTORO SINCE 1903
と書いてある。
1904年2月、日露戦争の開戦劈頭のちょうちん行列、翌年ポーツマス講和条約反対の暴動などはできたばかりの日比谷公園が舞台だった。松本楼はそれらを見たということか。
すると松本楼は最初から公園にあった?

ここにあった日比谷練兵場が1888年青山に移転した後、1893年東京市が軍から払い下げを受けた。当初から公園になることが決まっていたが、着工は1902年、1903年6月に開園した。

明治45年最新番地入東京市全図(1912)
現在もある帝国劇場の左に警視庁が見える。
ちなみに住居表示では日比谷公園はあるが「日比谷」はない


松本楼というからには松本何某が創業したかと思っていたが、開園時に銀座で食堂を経営していた小坂梅吉が落札、日比谷松本楼として開店したのが始り。
漱石や高村光太郎、孫文にも愛されたハイカラな店。

1973年に始まった9月25日の10円カレーは、昭和天皇の病状が悪化した1988年をのぞきずっと続いていたが、今年コロナで32年ぶりに中止されたという。

結局松本の由来は分からない。

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