2021年2月17日水曜日

虎ノ門1新橋から鞆絵小学校跡、虎ノ門パストラル跡まで歩く

2月14日 虎ノ門に行くため新橋駅にやってきた。

南の烏森口のほうは港区立生涯学習センター(桜田小学校跡)の体育館に何回かダンスの練習に来たが、北の日比谷口はあまり来ない。第一ホテルのダンスパーティに何回か来たくらい。

2021-02-14 9:01  日比谷口
ニュースでサラリーマンにインタビューするときは決まってここ日比谷口。
千駄木から虎ノ門に行くには地下鉄で霞が関のほうが便利なのだが、テレビに出るところは久しぶりに見ておきたかった。 
コロナで日曜の朝、人はいない。

広場はガラガラだったが、右のほうの喫煙所は満員だった。
駅前のニュー新橋ビルは、ニューという言葉が似あう1971年竣工。
格子のような外観の4階までは各種店舗が入居、真ん中の5-9階はオフィス、10,11階は住居という。


駅前の道を南に歩き、飲食店がならぶ路地を覗くと烏森神社。
創建940年というが、一般にはこのあたり日比谷の入り江だったとされる。
この小ささなら埋め立てられた後に移転してきたのかもしれない。
今日は忙しいので素通り。

椎名誠「新橋烏森口青春篇」を思い出す。
彼は23歳で小さな業界新聞社に編集者として入社した。
出版社といえど業界専門誌なら神田神保町より会社がひしめく新橋のほうが便利だろう。
霞が関など監督官庁も近いし。

9:04
日曜朝だから人はいないが、この飲み屋の密度はすごい。
こんな路地がいくつもある。
多くの店がやっていけるというのは、新橋を利用するサラリーマンがいかに多いか、いかに多くのひとが飲んで帰るかを示している。
新橋の会社員は、飲むのも仕事の一部なのかもしれない。

9:05
烏森通りを西にいくと鳩が3羽、ごみを漁っていた。
烏森というので探したらカラスも1羽いた(向こう側の樹木の下)。

9:10 西新橋交差点。
烏森通りを南北に切る道路は301号線・愛宕下通り、日比谷公園の西を通り祝田橋にいく。
ここから西が住居表示でいう港区虎ノ門。
向こうに赤白のアンテナがあるビルは警視庁ではなく、中央合同庁舎5号館。

北西の角、砂場と書かれた木造家屋が工事フェンスで囲まれていた。
解体されてビルになるのだろうか。
と思って帰宅後調べたら、通りの拡張に伴い、登録有形文化財の店舗(大正12年築)は後方に数メートル移動するらしく、現在仮店舗で営業中。


交差点を渡り烏森通りは虎ノ門ヒルズの北縁を通る。
ヒルズ・ビジネスタワーのすぐ向かいに片岡電気工業。
そうか、家は虎ノ門と仰っていたけどこんなところにあったのか。
森美術館のチケットをもらったこともある。
9:12
2004年春から2010年夏まで競技会で組んだ。
彼女は趣味が登山で、ご主人とともに港区山岳会の役員をされていて、ダンスよりそちらを優先、ヒマラヤ散策はじめしょっちゅう国内外に出かけていた。冬山から顔が凍傷になって帰還されたこともあった。
私も本業の他に京都でのシミレーションプロジェクトや歴史散策、2007年からは翻訳に夢中になり、ダンスは二の次だった。
熱心な先生と、競技会でのライバルに負けたくないという気持ちだけで続いていたから、練習をさぼることは罪悪感があったが、互いに相手が用事があるというと喜んだ。そういう薄い関係だから続いたともいえる。しかしお孫さんができて引退され、音信絶えて久しい。元気でいらっしゃるかな。

9:14
左(手前)からビジネスタワー、森タワー、レジデンシャルタワー

今日の用事はここ虎ノ門ヒルズなのだが、15分くらい時間があるので素通りして、桜田通りを南下する。
9:18
桜田通りをふりかえる。右、虎ノ門ヒルズ。
特許庁前で外堀通りから分かれた計画道路は、マッカーサー道路とも環二通りともいい、豊洲、有明まで行く。左からきて虎ノ門ヒルズから新橋方面はトンネルだが、まだ工事中。


9:20 港区立鞆絵小学校跡地
1870(明治3)年に仮小学校第一校として増上寺の子院・源流院で開校。同年設立された文部省により、日本初の公立認可小学校となったという。(鞆絵は町名の巴を嘉字に変えた)
1991年廃校、桜小学校、桜田小学校と統合、御成門小学校となった。

跡地は気象庁・港区立教育センターの合同庁舎。区立みなと科学館が併設。
できたばかりで、いまグーグル航空写真を見れば建設中である。

1975年 区分地図(国際地学協会)
私が東京に来た頃の地図を見たら、虎ノ門という住所はない。
一帯は芝西久保○○町といったようだ。

虎ノ門は江戸城外堀の門で、外堀の一部であった溜池の少し東にあった。
虎というのは西を守る白虎からというが、どう見ても城の南である。切絵図は江戸前の海を下に書くが、それでも南は南だ。
陰陽五行説の風水で江戸は北に山(富士、秩父)、南に海、西に道(東海道)、東に川(神田川、荒川など)があるとされたから90度ずれている。

その虎ノ門の東、外堀(汐留川)に橋が架かっていて「新シ橋」と書いてある。それが新橋の由来かと思ったが、もっと下流の東海道にかかっていた「芝口御門橋」が新橋と言われたようである。

上の地図で虎ノ門一帯の芝西久保というのは愛宕山の西、麻布台地との間の窪地ということだろう。1977年に地名整理され、銀座線虎ノ門駅(1938)付近の芝虎ノ門町の名が全体に広がった。

1975年の地図ではもちろん鞆絵小学校(芝西久保巴町)があり、その南に農林年金会館がある。

9:21
その農林年金会館跡地は森ビルの神谷町トラストタワーになっていた。
竣工2020年で、やはりグーグル航空写真では工事中。

ここには2009年9月まで虎ノ門パストラルがあった。

1968(昭和43)年に農林漁業団体職員共済組合が保有する宿泊宴会施設「東京農林年金会館」としてスタート。

私が結婚した1984(昭和59)年、新館ができて虎ノ門パストラルとして改名。結婚式場としても人気があり、私も広告を見た記憶がある。1986年には年間婚礼組数3,030組で日本一だったという。

1995年 ミリオンマップ(東京地図出版)
農林年金会館は本館、新館と2棟見える。

虎ノ門は今までの人生で全く縁がなく、来たのはたった1回だけ。

それが1997年、虎ノ門パストラルだった。

(続く)


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