2021年2月10日水曜日

サクラの剪定9年目、家の風格より菜園優先

 2月6日、風もなく絶好の剪定日和。

我が家の幹回り3メートル、文京区保護樹木は、一昨年の台風以来、倒木という可能性もでてきた。ひとたび頭によぎると恐ろしくなる。

以前から毎年低くしてきたが、当局の樹形を変えないで下さいという指示に逆らって、昨年からより大胆な低木化を急いでいる。

矮小化そのものは2013年から今年で9回目。

2021-02-06
8年間で年々樹高が低くなり、枝量も減ってきて、費用も下がってきた。
昨年は3人来られて115,000円。今年は2人で92,500円。

2021-02-07
これ以上下げると枝葉が少なくなって枯れるので、このあたりが限界かな。

昨年の切り口(中央)より小さいが、痛々しい。
しかし今年も気がかりの大仕事が終わったような安堵も感じる。

・・・・・
心配は倒木の他に根っこの伸展もある。
桜は(ほかの広葉樹もそうかもしれないが)枝の張る範囲まで根を広げるという。
本来この桜の枝は、敷地内は庭だけでなく二階の屋根を覆い、外は道路を越えて隣家の屋根まで達していた。

2011年頃
樹木のトンネルのような道路も楽しいが、アスファルトは根で盛り上げられてヒビ割れ、その先は隣家に向かっている。敷地内ではところどころ根が地上を這い、我が家の土台は間違いなく圧迫されている。いつか基礎が割れて家が傾いたら、と考えるとぞっとする。
木を小さくしたいというのは根を大人しくさせる目的もある。
2021-02-07
チェーンソーの木くずをかぶったフキノトウをとりながら、ふとみると、地上に出ていた桜の根が枯れていた。近年この桜もサルノコシカケの寄生が目立つことから老いによるものかもしれないが、枝が少なくなったことによる自己の整理縮小の結果ならいいな。

桜が早く終わり、ハナミズキもついでに切ってもらった。
剪定というより元々低かった丸太のような幹を、チェーンソーで少し輪切りにしただけ。
自分でもできるが、チェーンソーだとあっという間。
左は山茶花。

それにしても庭は明るくなった。
同じ場所の昔の写真がある
2011-07-24
引っ越す前、やっと足を踏み入れたが、薄暗くて自動的にフラッシュが光るほど。

2017-06-24
4年前、左 山茶花、右 ハナミズキ
当初から見るとかなり小さくなっている。

家の風格、品の良さは広さとか豪華さではなく、古い木があるかどうかではないか、
と思うことがある。
そう思っているからこそ、身分不相応で、役にも立たない大木を維持してきた。
ザクロ2本、モミジ、シュロなどは切ったが、残りの木は家の一部と考え、見栄で残している。

しかし、近年家の外観よりも家庭菜園のほうに興味が行ってしまい、野菜に日陰を作る山茶花、金木犀は年々小さくしてしまった。

2021-02-07
いま金木犀は高さ2メートルにも満たない幹だけ残る。
俯角は違うが、同じアングルの昔写真がある。
2012-10-15 
この金木犀、かつては庭と平屋部分の屋根を覆い、二階ベランダから手が届きそうなところまで来ていたとは信じられない。ハナミズキの枝もベランダにかかっている。
2012-10-15
当時、ハナミズキは二階の屋根を越え、ジャングル形成に一役買っていた。

ここは次女の部屋の前だったので、ふと机から顔を上げたときハナミズキの緑が目に入るよう、高さを整えて小さくしてあげた。ところが彼女はほとんど自室におらず、昨年結婚して出て行った。もはや、この木は野菜作りに邪魔でしかない。
毎年小さくしてきたが昨年一気に切り、いまや撮ろうとすれば相当下を見なくてはならない。

2021-02-07
俯角はうんと深くなっている。

大木がなくなっただけでなく、狭い庭を精一杯使った家庭菜園の猥雑さにより、
いっそう家の風格、上品さが損なわれていることに気づいた。
でも、家や庭は、見るものより、使うもの。
素人老人の野菜作りは文字通りのライフワークになろう。

こうやって子供たちのいなくなった二階から下を見ていると、敷石の配置や作付け部分のデザインについて、どんどんアイデアが湧いてくる。


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