2021年2月16日火曜日

畑の造成、コロナ禍の結婚式

南の塀に沿って、オクラ、キャベツ、ニンジンなど育ててきたが今一つ。

生垣の日陰になるからではないか?

そこで庭の中央を縦断している通路を、塀際の日陰に移し、野菜畑を日当り良い場所に平行移動させる。

移動距離は30センチ程度だから農家には笑われそうだが、都会では大きい。

植わっている小松菜、ニンジンなどが片付く3月末くらいにやろうと思っていたが、毎日眺めていると我慢できなくなり、スコップを手にした。収穫より種まき、種まきより計画・場所作りが好きな私。

まず新しい通路の予定地にあるフキとコゴミをどうするか。

もう植える場所がないのだが、捨てるのに忍びなく、草も生えぬ軒下や日陰をみつけ、実験的に移植した。枯れるならしょうがない。

つぎに穴掘り。

「千駄木菜園」は2013年以来耕していく過程で小石や瓦礫がいっぱい出て、その処理に困り、ビニール袋に入れて通路の敷石の下に埋めている。通路を移設するなら、この小石袋も移動する。

2021-02-13
スコップで穴を掘り、小石袋を埋める。
土の置き場がないので少しずつ掘り、埋めていく。
すぐ汗だくになり手のひらにまめができてしまった。
明日は次女の結婚式。
花嫁と一緒にバージンロードを歩くようだが、
ばんそうこうは内側だから分からないし、手指、爪の汚れも目立たないだろう。

娘は昨年3月に入籍、コロナの第一波のさなか桜が咲いたころ家を出た。
そのうち感染もおさまるだろう、と1年後の2月に式を挙げる計画で準備を進めてきた。生い立ちビデオだけでなく、入り口の飾りや、髪飾り、ブーケなども手作り。カメラマン、ウェディングケーキも自分で手配し、リモートでコーディネーターと打ち合わせを重ねた。
お気に入りのドレスはレンタルでなく、白と青と、2着を買った。

しかし12月に第3波が来て年が明けると東京の新規感染者が3日連続2000人を超えた。
先方からは断りにくいだろうと恩師、上司、遠方の人にはこちらから声をかけ断ったという。
妻の姉たちは二人とも90代の親がいるため辞退、9人いるいとこたちも子供が小さかったり、会社の宴会自粛指導などもありキャンセルが続いた。小学校の先生をしている二人も職業柄出られないという。長野の弟の会社は東京に行った人は自動的に二週間出社停止らしい。浦和の妹は基礎疾患をもっている夫のためにパートを辞めたほど神経質だったが、二人とも出てくれるといっていた。しかし、どんどん親戚のキャンセルが続いたのでこちらから何度も「本当に無理しなくていいよ」と言ったら月曜に断ってきた。さらには新婦のたった一人の姉である長女まで欠席、夫だけ出てくれるという。
感染に対する心配、自粛順守の気持ちというのは、人それぞれずいぶん差があることを今回改めて知った。

欠席者が増え、延期、中止も頭をよぎる。いつも元気な娘も
「こんなに少なくなったら結婚式する意味あるのかなぁ・・・」
と妻と電話しているのを聞いて可哀想だった。

スコップもつ手の豆はつぶれ、腰が痛くなってきたころ、
妻が美容院に行ってくるから、と庭に顔を出す。
私も田端のチョットカットに行こうと穴掘りは中断する。

その夜、大きな地震。

長く揺れが続くあいだ、東京が被災したら結婚式はどうなるだろうと思ったが、収まった。

翌2月14日、良く晴れて暖かい。

私が最年長。新婦両親、新郎の両親・叔母夫婦の、たった6人以外全員若者。きょうだい除けば全員友人という珍しい結婚式。8人座れるテーブルに4,5人。会場スタッフがとても多かった。

無事終わり、彼らが2泊しているという、見たこともない超豪華な部屋で一休みした。

今は宿泊客もいないから、すごい部屋にアップグレードしてくれたようだ。

景色を見て待っていると二人が帰ってきたが、あまり話すこともなく別れた。

虎ノ門からタクシー、皇居前広場を通り千駄木まで3460円。

六本木より安くて東日本橋より高い。

結婚式の帰りだけの贅沢だが、これで3人の子育て終わり。

まだ明るかったので着替えて一人、菜園改造の続きを再開した。

2021-02-14 17:12
最後の小石袋を入れて土をかぶせる。

それにしてもあの部屋はすごかったな。
48階だったか、大きく広い窓が足もとまでガラスだから景色が素晴らしく、西と北、二面、飽きずに東京を眺めていた。
披露宴で使った巨大なチョコレートケーキも運び込まれてきて、こっそり少しかじった。あれどうしたのだろう、と今更ながら心配する。
17:12
左にあった通路の敷石を右の生垣のほうに移す。

長女はセレモニー的なものはあまりやらず、バージンロードは新郎と一緒に歩いたし、披露宴最後の花束贈呈でもメッセージ朗読はなかった。
だから花嫁の父として一緒に花道を歩くのは今回が初めてで、ちょっと感動した。

宴も終わりに近づき、両家両親が出口前で並び、花束贈呈のとき。
娘が感謝の言葉を述べるらしい。
「手紙を読むのは嫌だったので」というから朗読無しかと思ったら、
「一生懸命暗記してきました」という。
なんだやるのかい。向こうの離れたテーブルからこちらを見て話しかけてくるのだが、手紙のほうが様になるな、なんて思っていたら、不覚にも涙が込み上げてきた。まずいな、と思っているうちにカメラマンがそばに来た。手で拭きたいけど、拭けば気づかれてしまう。客人は花嫁のほうを見ているが、中にはこちらを見たものもいる。年を取ると君たちも涙もろくなるのだぞ。
カメラマンはこんなみっともないものを撮るのだろうか、写さないで欲しいな、なんて考えているうちに、涙も収まり、近づいてきた娘から妻は花束、私は我々二人の似顔絵の刺繍をもらった。

2021-02-14 17:23
結婚式の余韻に浸りながら、生垣のそば(左)に新しい通路が完成。

テーブルにあったネームカードの裏に一人一人メッセージが書いてあった。
私のは
「今日は一緒にまじめに歩いてくれたでしょうか? 心配です。」
で始まり、最後は私のことではなく、
「お母さんを長生きさせてね」
で終わっていた。
「また野菜もらえるのを楽しみにしています」
とも書いてあった。
通路の移設で日当たりも改善されたし、ますます畑仕事に力が入るではないか。


20200220 庭を畑にする歴史

20190707 息子の結婚式でスピーチ

20180321 六本木の陸軍跡地、ミッドタウンと国立新美術館

千駄木菜園 (総合)目次


0 件のコメント:

コメントを投稿