2021年3月21日日曜日

本駒込、千駄木でキャッチボールできる公園

夕方、息子が珍しく来たのでキャッチボールをせがんだ。
64歳、どのくらいの球が投げられるか?
体力チェックとして、年に一回の健康診断より重要。

ボール遊びができる金網のある公園に行く。
昨年キャッチボールした都立駒込病院の公園にいったら網の中が子どもたちでいっぱい。
少し先の動坂公園も混んでいたので神明公園に行く。

2021‐03‐21 神明公園
稲荷坂の途中、1977年21歳、この坂の下のアパートに住んでいた。
部屋に電話がなかったので、夜、ここの公衆電話を使っていた。
いろんな思い出がある。
あれだけ電話をかけに来たのに、公園の中に入るのは初めて。

中学生が三角ベースをやっていた。
しかしわれわれが入っていくと場所を空けてくれ、そのうちいなくなった。

大人になった息子に相手してもらうのは、2017年3月、2020年1月以来、3回目。
まあまあ投げられた。

息子は小学4年の時ソフトボールチームに入った。人がいなくて1年生の次女まで入れたという弱小チームであったため、ショートの息子のところに球が飛ばないとアウトをとれなかった。彼はとても熱心だったので近くの土屋公園などで練習に付き合ってやったが、いまや立場は逆転、私が頼み、彼が本気で投げられたら怖くて受けられない。

あまり調子に乗って肩が上がらなくなると困るので適当にやめた。
2021‐03‐21 17:07
帰路、動坂公園に立ち寄る。

1977年は、毎朝この脇を自転車で通学した。

動坂公園の金網の中はバスケットのゴールもあるのでいつも混んでいる。
しかしみな帰ったのか誰もいなかった。
向こうに本駒込図書館、勤労福祉会館のビルが見えた。

息子は中学、高校と6年間軟式野球部に入った。
しかし都会の学校はグラウンドが狭い。
グランドの使えない日は皆でこのあたりの公園で練習したという。
彼らはキャッチボールのできる(金網のある)公園をすべて把握していた。

不思議なことに金網のある公園は千駄木、根津になく、本駒込の駒込病院付近に集中している。神明、動坂、駒込の3つにはあるが、少し北の富士前公園、神明北公園に金網はない。

昔のように小学校のグランドを開放すればいいのに、責任を強く求められる現代は、役所、当局は「自分からは何もしない」傾向になる。

道路を渡り、最初に寄った駒込病院の公園をのぞいた。
2021‐03‐21 17:14
ここは旧駒込動坂町であり、かつ動坂に面している。また動坂遺跡の場所でもあるのに、「動坂公園」の名は隣に取られた。
その代わりについたのがもっと大きな名前「駒込公園」。
かつては駒込病院の敷地内だったしね。
今「駒込」というと山手線の駅の周りを思うが、昔は東大の北側から始まる本郷区の広い範囲、すなわち今の千駄木も向丘も駒込だった。これは文京区大塚と大塚駅の関係に似ている。

縄文時代の動坂遺跡
弥生時代を経て、山林から畑になり、江戸時代は鷹匠屋敷、明治になって避病院となる。
すなわち伝染病の隔離施設である。薬がなかった時代は隔離しかなかった。

その隔離病院は都立駒込病院となり、がんと伝染病を専門とする拠点病院。
敷地の一部は駒込公園と、都営バスのロータリーとなり、駒込遺跡の記念モニュメントも置かれている。

駒込公園はトイレがあるので、横の道にタクシーがよく休憩している。
桜は我が家の木よりだいぶ咲いていた。
ここもあんなに混んでいたのに誰もいなかった。
このあたりの子供は良い子で5時になったらきちんと帰るのかな?
と思ったら、網の中の使用は17時までと書いてあった。

3つの公園の敷地は以前何だったのだろう?
国土地理院1945-50
左に稲荷坂、右に動坂、不忍通り。
上に都電車庫、下に駒込病院と天祖神社。
神明公園の場所は緑が多いが、公園とか工場とかではない。
動坂公園も一つの区画ではなく、一般の住宅地のように見える。

先月結婚した次女の夫は野球が好きなようだ。
彼と次女を呼べば4人になるからノック、守備練習ができるな、
と息子と話しながら帰ってきた。
「本当は孫とやりたいんだけど」とは言わなかった。


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