2021年3月5日金曜日

上野公園9 韻松亭から精養軒、梅川亭を歩く

3月2日朝、湯島へ仕事に行ったらシフトが変更になり私は不要になっているという。

そんな連絡はなかった。

がっかりしたが怒りはわかず。

老人力か。

上野駅に行こうとしたらヨドバシカメラがあった。アメ横をうろうろして時間をつぶし9:30開店と同時に入る。リモートワークが続きそうなのでパソコンを買う。

店を出たら雨が上がっていた。

荷物が増えたので埼玉の職場に行くのはやめ、千駄木へ歩いて帰るのに上野公園を通る。

上野駅から不忍池は1000回とはいかなくても数百回は歩いて(通過して)いるが、最近は年に数回かな。

2021-03-02 10:48
韻松亭
ランチメニューが大きく出ていた。
以前はこんなに派手な看板はなかった。客が少ないのだろうか。

明治8年(1875)創業、145年。
上野公園開業式は明治9年5月だが実際の公園利用はそれ以前からあり、明治4年には茶屋280件あったという(武江年表)。
明治政府は正式開園にあたり江戸時代からの茶店を撤去し、新たに新規の茶屋を認定し開業させた。築地の精養軒や浅草八百善(のち桜雲台)も開業式に合わせて上野に進出。韻松亭もそのころ来たのだろう。

以前にも書いたが、明治25年、27年の日本薬学会会員名簿を見ると、平野一貫と伊藤修郎の住所は、「下谷区上野公園地韻松亭」となっている。

妻は埼玉にいるとき息子の学校の母親会の集まりで韻松亭で食べたという。
いっぽう私は何十年も前を通るだけで、入ったことがなかった。
しかし2013年8月27日、ファルマシアOBの佐藤真喜子さんが企画をしてくださり、滝沢博正氏、小尾紀行氏と四人で食事した。終わってからゆっくり歩いて帰った。転居して4か月、大好きな上野公園の近くに来たことを実感した。

その後、2018年息子が結婚前に彼女の両親に挨拶するとき、ここでご馳走になったらしい。
韻松亭・玄関前の道
あたかもここから精養軒の敷地であるかのような看板(右)。
しかし土地は東京都と寛永寺、借りている事業者との間で入り組んでいるはず。

10:48 鐘楼
韻松亭のすぐ横に、奥に押しやられた寛永寺の飛び地がある。
韻松亭は漠然と風に鳴る松の意味かと思っていたが、「鐘は上野か浅草か」と唱えられたこの鐘が「松に響く」さまを愛でた、当時の博物館館長、町田久成が付けたという。彼は他の多くの茶屋の名付け親でもあるらしい。

道を挟んで鐘の反対側に小山がある。
何度もここを通っているが立ち寄ったことはなかった。
10:49
この小さな高台に1631年釈迦如来の大仏が立てられた。
当初は漆喰だったが、1655~60年頃、6メートルの銅仏になり、
1698年には大仏殿が作られた。
いま、このパゴダの中には薬師如来があるらしい。

明治6年になって大仏殿が解体され露天となり、さらに関東大震災で頭が落ちてしまった。
胴体は戦時中に供出してしまったため頭だけ残り、しかし頭だけなら「これ以上落ちない」ということで受験生の絵馬が多い。

大仏殿跡の西は精養軒。

東大に近く、大人数の洋風会食ができたから、当初から学会の親睦会やら留学の歓送迎会などに使われ、明治時代の学会誌にもよく出てくる。しかし今は普通のレストラン。

平日の11時前だが、客の出入りがほとんどない。

一階のカフェラン・ランドーレは、いつ見てもおばさんのグループが行列(椅子待ち)だったが、この日は午前ということもあり誰もいない。季節のプレートランチが2680円か、と入り口の看板を見ていたらドアマンの人に「お食事ですか」と声をかけられた。

10:56
まだ腹は減っていないので、コロナで客の入りはどうですか?と世間話をした。
精養軒のメインレストランであるグリルフクシマは休業中。
特別な会食くらいはやっているらしい。
宅急便の人が小荷物を持ってきてドアマンの服装の彼(写真右)がサインして受け取っていた。

学生時代、屋上のビアガーデンに来た。
高木重和さんは覚えているが、他に人がいたかどうか、一回か複数回か記憶にない。

二度目に入ったのは1983年、池田さんと結婚式場探しで見学に来た。

三回目はその33年後、2016年5月7日、長女が付き合っているという人を私と妻に引き合わせた。一階のカフェラン、窓際の席で池を見下ろしながらのお茶だった。
彼は出向先の九大から連休で帰京したらしく、博多駅で買ったのだろうか、お菓子の手土産をくれた。
10:58 うなぎの伊豆栄梅川亭
その長女と彼と次に会ったのが、精養軒半年後の11月19日、ここ梅川亭。
二人が結婚するという報告だった。
お開きのとき仲居さんに「おともはどうされますか」と聞かれ、分からず恥をかいた。
タクシーを呼ぶかどうかという意味だったが、上野駅はすぐ近く。
彼らは駅に向かい、私は妻を誘って家まで歩いた。

次に梅川亭に来るのはいつだろう?

さて2021年のこの日は、このあと新鶯亭の前で初対面の女将と立ち話を1時間以上して、2016年と同じように東京都美術館、芸大横を抜け、谷中三崎坂をおり、千駄木団子坂を上がって帰宅した。


(追記 2021‐06‐25)
以前書いた後半部を切り取って別ブログ(上野公園10)とした。

別ブログ

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