2023年2月27日月曜日

佐倉道の小岩市川の渡しと墨田区役所

最近、東京23区の無料地図を集め始め、2月21日、葛飾シェア畑でアルバイトの日に城東4区を回ることにした。
10時からのバイトの前に町屋で荒川区の、堀切で葛飾区の地図を入手。
3時間働いて午後から江戸川区、墨田区の地図を求める。

京成電鉄の都内乗り降り自由「下町日和きっぷ」510円を買ったので、江戸川駅に向かった。
2023‐02‐21 13:41
江戸川駅
初めて降りる。
13:43
駅から南に歩くとすぐに御番所町跡の説明版
ここは千住から新宿(にいじゅく)、小岩を通って佐倉までいく佐倉道が通っていた。
房総の大名の参勤交代道でもあり、五街道に匹敵する重要な道とされていた。
以前、北千住の日光街道にある分岐点で石柱を見たけれど、日本橋からはだいぶ北に膨らむ遠回りである。幕府が東日本諸国からの流入を千住に絞りたかったのか、よく分からない。
しかし、成田参詣を含め、庶民は船で行徳まで行くか浅草橋から東に向かう元佐倉道を使った。参勤交代も帰国は元佐倉道を使ったらしい。

ここは北西からの佐倉道と南西からの元佐倉道の合流点である。
ここで江戸川を対岸の市川にわたるため、関所もあったらしい。
御番所町とは関所の周辺の町ということである。
すぐ西には北上する岩槻街道も通っていた。
川を前にした交通の要衝だから料理屋を兼ねた旅館が並び町になった。
右上が伊予田村(小岩)の佐倉道合流点、手前が市川である。
(佐倉学入門講座2019 蕨由美氏のサイトから)

この角から東を見ると、すぐ近くに江戸川の堤防が見えた。
中世のころは北から利根川はじめ、東京湾に流れこむ川の流路は一定しなかったが、(関所がここということは)江戸初期の利根川東遷以降の川筋は今と同じだったようだ。
13:45 江戸川
名前からして対岸千葉の人が付けた川名だろうか。
あるいは両岸流域の人が、下流に江戸があるとして付けたのか。

対岸は市川の国府台。茶色いビルは和洋女子大のようだ。あのあたりは東京医科歯科大や千葉商科大学もある。2013年11月、国府台の体育館でダンスの競技会があり、休み時間に医科歯科大のキャンパスを歩いた。

写真の鉄橋は京成本線。
昔は橋がなく、代わりに小岩・市川の渡しがあったとはなかなか想像できない。
明治38年(1905)に江戸川橋が架けられるまで、渡船は続けられた。
13:47 日蓮宗 晴立山 本藏寺
御番所町跡の説明版のすぐそばに六地蔵があった。
東京23区とは思えない景色。

南に歩くとすぐ東に向かう国道14号にぶつかる。
この国道は日本橋から出て浅草橋で6号(水戸街道)から分かれ東に向かう。すなわち元佐倉道に近いが、佐倉には行かず、途中で南下して佐倉藩の外港であった千葉市で終わる。
13:52
本蔵寺から4分、300メートル、「一里塚」の交差点

13:52
通り過ぎた総武線ガード下に「小岩の一里塚」跡の説明版があった。
ここは岩槻街道との分岐点でもあったらしい。
ちなみにここから西北の水戸街道新宿まで4.9キロ、千住まで11.7キロメートルである。

一里塚交差点からサンロードという商店街みたいな名前の道を西に歩くと目的地の江戸川区役所小岩事務所があった。

中に入ると確定申告やマイナカード申請のため区民が大勢うろうろしている。
ロビーで彼らの間を歩き案内している役所の人がいたので、
「江戸川区全体の一枚地図が欲しいのですが・・・」というと
「地図だけお渡しするわけにいかないのですが、この中に入っています」とすぐ出してくれた。電話帳のような「暮らしの便利帳」に「資源とゴミの出し方ルール」「江戸川区水害ハザードマップ」と一緒に地図が挟まっていて、転入者に渡すものだった。ハザードマップの表紙には「ここにいてはダメです」と書いてあった。
14:01
区民事務所をあとに、京成小岩駅に速足で向かう。

14:13
京成小岩駅。
バスが止まっていて、京成線では珍しく広場があった。

ちょうど来た電車が青砥経由の押上行きだった。
京成小岩を出るとすぐ葛飾区に入り、立石、四つ木を過ぎて荒川を渡ると墨田区。八広、曳舟、押上と名前がよい。

墨田区の地図がもらえるところを京成線沿線で探すと、墨田区役所が京成終点の押上から遠くない。
14:30
押上駅到着
京成の他の駅と違って、ここは都心の地下鉄と同じ景色。
乗ってきた電車は西馬込にいく都営浅草線に乗り入れている。
14:31
押上駅
14:35
地上に出ればスカイツリーが見えるはずと探すも見えず。
真上のビルに隠れていた。

14:36
北十間川にそって西に歩く。

墨田区役所はさすがに立派だった。
郡部の荒川、葛飾、江戸川と違い、明治22年から東京市本所区であった風格があった。
14:55
地図をもらった後、裏の隅田川沿いに勝海舟像があったことを思い出したが、風が冷たかったので行かず。吾妻橋からアサヒビール、区役所一帯は二、三度きたことがある。

14:57
区役所前の枕橋から。
左は浅草から来る東武伊勢崎線。あ、スカイツリー線というのかな?
14:59
区立隅田公園
北十間川の北側は水戸家下屋敷だった。
関東大震災のあと昭和6年に開園した。
川を挟んで区役所とつながっていて、防災拠点として理想的である。

この日はバイトの前後で荒川、葛飾、江戸川、墨田、4区の地図を入手した。
効率よかったが、そのぶん、どの区もほんのわずか歩いただけ。
しかし、地図集めがなかったら行かなかったところばかり(墨田区役所ソラマチ周辺以外)。行かなかったら家でごろごろしていただけだから、良い一日だった。


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