2023年2月25日土曜日

堀切菖蒲園の冬は何もない

最近、東京23区の地図を集め始めた。

2月21日の朝、シェア畑のアルバイトに行く途中、町屋で下車して荒川区の地図を入手した。
(別ブログ)
京成町屋駅に戻ると9:02。
京成高砂でのアルバイトは10:00からなので、途中の堀切菖蒲園で降りれば、葛飾区の地図も得られるかもしれない。
運よく各駅停車の電車は9:05に来た。
町屋を出て隅田川を渡るとすぐ足立区。ところが千住大橋駅で特急の通過待ち合わせがあり、次の京成関谷を過ぎ、荒川を渡って堀切菖蒲園駅に着いたのは9:14。 バイト時間を気にしなくてはならない。
9:16 堀切菖蒲園駅
初めて降りるが、他の京成の駅と同様、駅前広場はない。
駅の真ん前で青果店が野菜の積み下ろし、陳列をしていた。
調べておいた堀切区民事務所を急いで探す。
9:18 堀切地区センター
ここでも入って最初に目のあった職員の方から地図はすぐもらえた。

この年齢になると初めてきた場所は、ほとんどもう二度と来ないだろう。
せっかく堀切菖蒲園に降りたのだから菖蒲園に向かって歩いてみる。
道の曲がり具合から川を暗渠にした遊歩道であることがわかる。
9:21
赤札堂がある。谷中にいた学生時代、根津の赤札堂で食料品を買った。
さきほどの町屋のコモディイイダといい、京成沿線は懐かしいものが残っている。

大通りに出た。
9:22
隅田川西岸を台東、荒川区を経由し、隅田川、荒川を渡って足立区まで行く都道314号線、川の手通りというらしい。
なるほど、向こうに荒川と並行する首都高が見えた。
その前の焼肉ホルモンも目立つ。

川の手通りをわたると右手に神社がある。
堀切地区センターの東にある旧堀切村総鎮守の天祖神社の末社というか分社である。
9:23
神社の前に真新しい菖蒲七福神が並ぶ。
ふつう神社仏閣に1体ずつある古い七福神を集めて○○七福神とするのだが、ここは全員が並んで通りに向いている。
ここには大正期に埋められた毛無池があり、そこに弁財天が祀られていたらしい。それに6体を加え1994年に建立された。

七福神に向かっていくつも並ぶベンチには、老人がすることもなく座っていらした。
一人はホームレスの人に見えた。

9:24
毛無池橋
かつてこの道は川だったわけだから、ところどころ橋の跡がある。
七福神の前には魚道橋の石標があり、ほかにもあった。
9:25
暗渠道とせず、川を残したほうが景観はよかったような気もするが、これだけ宅地となっては無理だな。

9:25
「強くなりたい 子ども~大人まで」
目を引かれたが空手の塾だった。

暗渠道が荒川沿いの道路で終わってしまい、困って左を見ると堀切菖蒲園。平日朝のせいか、管理棟窓口は開いていなかった。
無料というのがうれしい。
9:28
首都高がすぐ西を通る。景観はよくない。
誰もいない。と思ったら他に一人、暇そうな若者がぼんやり歩いていた。
9:29
意外だったのは菖蒲の池は水がなくカラカラだったこと。
季節になれは咲き誇る菖蒲も今は土の中に眠っている。
番号と名前の札がさしてあり、墓地のようだ。

菖蒲のにおいは好きで、風呂に入れたくて実家の田んぼから苗を千駄木にもってきた。
しかし土地がないし湿ったところがいいだろうと、裏に植えたが日が当たらず絶えてしまった。

ところで、菖蒲園に生えているのは生物学的なショウブ(芳香あり。ショウブ科ショウブ属)ではなく、アヤメ科アヤメ属のハナショウブである。
アヤメも漢字では菖蒲と書くからややこしい。
さらに言えば「いずれがアヤメかカキツバタ」という言葉があるが、アヤメ、カキツバタ、ハナショウブはどれもアヤメ属(Iris)で種だけ違う。そして3種のうちアヤメだけ乾いたところに育つ。
花菖蒲は毎年どんどん増えるから、このように整然と並んでいるのは毎年掘り出し、増えた分は廃棄して植え替えているのだろう。
さて、窓口にあったパンフレットによると堀切菖蒲園の始まりには二人の人物が出てくる。
一人は江戸時代後期、文化年代(1804~1818)の旗本で、老中松平定信の遠縁、松平左金吾定友。自らを菖翁と称し、父の遺志を継いで60年にわたり花菖蒲の品種改良、新品種の作製に精を出した。

もう一人は同時期の堀切村の農民、小高伊左衛門。彼も花菖蒲の栽培を始め、菖翁からも苗を譲り受け、江戸時代末期に小高園を開園した。
堀切村では続いて武蔵園も開園、明治以降は吉野園、観花園、堀切園、四ツ木園、山岸菖蒲園などが開園、レジャー施設のなかった時代、江戸、東京市中から日帰りで楽しめた。

しかし第二次大戦中の食糧不足で菖蒲園は水田となり閉園、戦後は堀切園のみ復興した。
その堀切園の一部を東京都が入手、1960年に都立公園として開園した。1975年には葛飾区に移管、現在に至る。

ちなみに堀切菖蒲園駅は京成が日暮里―青砥間を開通させた1931年に開業している。
9:30
200種類、6000株ほどあるようで、すべてに番号がついている。葵祭、紅葉の滝、千歳、神代の昔、五胡の遊、とかいろいろ名がついているが、命名に基準はなさそうで、入れ替わっても誰も気づかないだろう。

あれ? 夏になって茎、葉が伸びたら名札は見えなくなるが?
9:30
管理棟の向こうのマンションは季節になると眺めがいいだろうな。
マンションの向こうは歩いてきた暗渠の遊歩道である。
以前は畑、あるいはその昔は堀切園の一部だったのだろうか。葛飾区あるいは東京都が先に買ってしまえば駅から続く遊歩道と菖蒲園が一体化して良い市民財産になったと思うのだが。

1分を争う事態だから急いで駅に戻り、9:40の電車に乗る。
わずか25分の当駅周辺滞在だったが、バイト先についたのは9:53。悠々間に合った。

葛飾区は40年くらい前、20代で埼玉県に接する水元公園に一度行ったきり、40代でダンスを始めてから亀有駅リリオに2度行ったことがあるくらい、最も知らない区の一つだった。

ようやく4年前に柴又帝釈天を歩き、一昨年は自転車でさだまさしの木根川橋、白髭神社まできた。そして昨年からバイトで葛飾区の真ん中、高砂に通うようになった。
もらった地図を眺めながら、次に歩く場所を探したい。


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