2020年10月13日火曜日

桜のベッコウタケはサルノコシカケだった

10月に入って金木犀の香り。
夜は虫の声。
2020-10-03 
ふと採種用の大豆(枝豆)をみると殻がはじけていた。
地面を見て2粒だけ見つけたが、残りは鳥に食べられたのだろうか?

来年まくのに、ぎりぎりまで熟させようと思ったが、もっと早くとるべきだった。

2020-10-03
ムカゴは触るとボロボロ落ちる。

2020-10-12
人参はホウレンソウ同様、日当たりの悪いところで幼苗の根が細り枯れてしまったところがある。密集したところから間引きを兼ねて移植した。根菜の移植は根のまっすぐな成長を阻害するからタブーなのだが、どうせ間引いて捨てるのだから試しに植えてみた。

2020-10-12
小松菜は市販のものより大きくした。
炒めたが硬い。
霜に会った春先のほうが柔らかいかもしれない。

桜の根に生えていたキノコを久しぶりに見た。
褐色に変色し、傘が張っていた。
これはサルノコシカケではないか?
2020-10-13
6月に根本や地上に這う太い根に、白く、べったりと覆うように貼り付いていた。不定形の、見たこともない薄気味悪い姿に驚き、ネットで調べたらベッコウタケという悪性キノコらしかった。
このままでは桜がやられると、覆うものをしっかり取り除いたのだが、また生えて、諦めて放置していた。
ベッコウタケがサルノコシカケに変化するわけはないから、サルノコシカケの幼生期がベッコウタケそっくりということか。

ここでもう一度調べたら・・・無知であった。
サルノコシカケという和名の種は存在せず、ベッコウタケ、カワラタケ(抗がん剤クレスチンの原料)などを含む一群をサルノコシカケ科でまとめているようである。つまり最初からサルノコシカケ科ベッコウタケだったのであり、私が昔からサルノコシカケと呼んでいたものはベッコウタケだったのかもしれない。
ここも一生懸命菌体を引きはがした箇所。
感染すると根絶は無理だ。
周囲3メートルの巨木も寿命ということか。

よく見ると、周りの落ち葉が灰色から真っ白に変色している。胞子が降って傘の下の葉にたまったというより、むしろキノコの上や周囲の葉が変色している。あたかも有毒な瘴気を発生し、それに触れた葉が変色したという感じ。これは一体何か?

2020-10-13
もう伐採しなければいけないかも。
年々台風が大型化し、倒木が怖い。
昨年大きな枝(というより幹)を落としたが、景観を変えたと、文京区公園課の担当者に苦言を呈された。
しかし、いくら保護樹木といっても剪定費用の補助はわずかだし、倒木の時の補償はまったくない。都心の狭い個人宅に巨木があることに無理があった。

2011年、初めて見た時、鬱蒼とした巨木を備えた姿に家の風格を感じた。
我が家の魅力の大きな一つであったが、決断するべきかもしれない。


別ブログ

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2020年10月9日金曜日

竹下通りから表参道

10月4日、原宿、明治神宮に来た。(別ブログ)
旧駅舎の解体は始まったが、竹下通り改札口は昔のまま。
2920-10-04
といっても竹下通りに思いはない。
IKEAやユニクロなどできたが、雰囲気は変わっていない。

国土地理院公式サイトから
左上が神宮本殿、中央の十字が東郷神社

こうしてみると竹下通り入り口の下り坂は、山手線建設のため谷を埋めた土手の坂と分かる。

昭和40年の住居表示変更まで、一帯は渋谷区竹下町といった。
竹下通りの発展は私が上京した1975年、76年あたりから始まったらしい。竹の子族発祥が79年といわれる。
おそらく各店舗の寿命は短いだろうが、景色は不思議なほど変わっていない。

東郷神社入り口は、昔からクレープ店があったような気がする。
調べるとマリオンクレープは1976年公園通りのワゴンから出発、77年にまだ店舗の少なかった竹下通りに来たらしい。

はて、東郷神社に来たとき(最低3回)以外に竹下通りを歩いたことがあるだろうか?
記憶にない。

4回目?も東郷神社へバイパスし明治通りに出た。
明治通りの竹下通り出口

明治通りを南に進むと表参道にぶつかる。
2020-10-04
交差点に立つと、明治通りの先(渋谷側)にダイヤモンド社が見えた。

2007年、趣味でMiracle Medicinesの翻訳を始めたものの出版社が決まらず、焦っていたら年末にダイヤモンド社の岩佐さんの目に留まり12月28日、大勢が働く編集部を訪問した。

2008年になりゲラができてからスケジュールがタイトだったのだろうか、郵便でやり取りする時間がなく、3月と5月に2回、埼玉からダイヤモンド社にきて、会議室で手直しした。二回とも休日だったから裏通りに面した通用口から入った。岩佐さんは夜も休日も関係ない人で、書名「新薬誕生」が決まったのも夜中12時の電話でのやり取りだった。
2020-10-04
原稿チェックの合間に外に出ておしゃれなイタリアンレストランでランチをご馳走になった。原宿でランチしたのはこの時が最初で最後である。
すなわち、原宿駅に降りたのは、ダイヤモンド社訪問の2008年5月以来、12年ぶりということになる。

目を転じて南東の角は東急プラザ

表参道は青山通りと直行するから、どうも南北に走っているイメージがある。
しかし交差する明治通りも山手線と並行だから南北である。
地図を見れば、表参道は45度より東西方向に近い。
(冬至の朝日の登る方向?)

北東の角はラフォーレ原宿
若いころ、一回くらいは行ったことがあるかもしれない。
しかし中に何があるか、今でも知らない。

表参道を青山方面に歩く。

ここでモデルや芸能人がスカウトされるのか。
今はマスクをしているからかわいい子でも分からない。
不思議と西側よりこちらの方が人が多い。

その反対側を見るとキディランド。
こんな小さかったっけ。
40年近く昔、池田さんにプレゼントを買ったかもしれない。

表参道ヒルズ
安藤忠雄が昔住んでいた長屋をイメージしたというストーリーばかり有名だが、建物としてあまり面白くない。

この建物より同潤会アパートのほうが明らかに美しかった。
古い壁、古い石段、窓の下の植え込みの緑などがケヤキ並木と一体化していた。
今は周囲との一体感がない。
彼は「風景の再生」といっていたが、成功したとは思えない。

2020-10-04
かつては同潤会アパートが表参道の景色を作り、通りに魅力を与えていたが、表参道ヒルズは景色を作るどころか、表参道になければ見向きもされないだろう。
名声だけで設計依頼するとこうなる。

2020-10-04
ヒルズの一部に同潤会アパートと同じ壁面を作り、昔の景色を再現した一角、同潤館があった。表参道ヒルズ(2006年)ができてから一度くらい来ているが、前回気づかなかった。裏を通ってしまったのかな?

なおも歩き続けるとガラス張りのビルに行列ができていた。
中は人々がゆったりとくつろいでいた。
アップルのショールームのようだ。

アニヴェルセル表参道は結婚式場

青山通りに出た。
ここに初めて立ったのは、1975年5月、六大学野球を見に来たとき。

原宿、青山には縁のない人生を送ってきた。
ここを歩く大勢の人々は何しに来るのだろう?
店だけでなく、歩いている人のファッションを眺めるのだろうか。
おしゃれに関心がある人は顔も美しい。
それを眺めるために歩くのだろうか。

私なんか、表参道が文字通り神宮に向かう並木と、少しばかり浅草や善光寺のような土産物店と茶店が並んでいた方が楽しいが。


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2020年10月7日水曜日

南豊島御料地から明治神宮へ

10月4日、明治神宮に来た。何年ぶりだろう?

 2020-10-04 13:57 神宮橋
新しくなった原宿駅(別ブログ)は表参道・神宮橋の側に移動しているが、駅と橋の周辺は相変わらず広い。

この橋は何回もわたっているが、境内に入るのは3回目かな。

13:58

13:59
入り口の一の鳥居をくぐると参道はまっすぐ北に延びる。
緩やかに下り、橋を渡る。
川の上流には御苑の菖蒲池がある。
14:01
左側は神宮御苑。
案内板を見れば中に「清正井」という井戸があるらしい。
普通の縦井戸ではなく湧水のようだ(毎分60リットル)。

明治42年(1909)練兵場まで渋谷町、御料地は代々幡村。

現在の森林や造営時の写真などから、もとは畑と山林だと思われているが、本来この地は、最初肥後加藤家の下屋敷だった(清正の子忠広は住んでいる)。加藤家改易のあと井伊家下屋敷になった。これは紀尾井町の加藤屋敷と同じである(現ホテルニューオータニ、別ブログ)。

明治になって宮内省管轄の南豊島御料地となり、その一部、大名庭園は明治26年代々木御苑として整備された。
明治天皇は1回、昭憲皇太后は9回行幸、行啓されたようだ。(明治神宮公式サイト)

フォレストテラス明治神宮
美味しそうなランチが1400~2300円。

14:05
全国から奉納された酒樽。
中身は空にしないと積み上げられないだろう。

反対側は奉納ワイン樽

14:08
ここでようやく参道が曲がる。
大きなパネルで神宮の歴史を説明している。
大正9年(1920)の鎮座祭と100年後の初詣のようす。


14:09
曲がり角の大鳥居。
直径1.2メートル、日本一という。
初代大鳥居は台湾(当時は国内)から奉納された樹齢1200年の大ヒノキであったが、1966年落雷で破損した。立て直すにあたって代りの大木を探すも、もはや国内にはなかった。
しかし材木商の篤志家、川島康資氏が台湾に何度も行って探し、とうとう阿里山連山、標高3300メートルの奥地で樹齢1500年の大ヒノキを発見した。
だがどうやって運び出すかが問題となる。
ここで日本の皇室を好きな現地の人々が、明治神宮と靖国神社に奉納すると聞いて大いに協力した。道なき断崖に道をつけ、山を切り開き、特別に作られたトラックで運び出しに成功したという。(神宮公式サイト、Q&A12)
たしかに皇居一般参賀でお会いした台湾の人々は皇室が好きだった。
破損した初代大鳥居は1976年大宮氷川神社で再び建てられた。

14:11
かつては森と参道しかなかったが、いまは明治天皇、昭憲皇太后の一生をパネルで展示している。100年記念によるものなのか、恒久的な展示なのか不明。
絵画は神宮外苑の絵画館(別ブログ)のものが多い。

14:15
明治45年天皇が崩御されたとき御陵が京都伏見になったため、東京にも記念となる施設が欲しいと、神宮造営が決まった。
参道のパネルは、いくつもあった候補地からの選定、全国から集まった青年団による勤労奉仕のようす、いっさい手を加えなくとも持続可能な原生林となるための人工林の設計、など興味深い展示が続く。

参道は一直線でなく、二回直角に曲がって本殿に向かう。
御苑を含めた境内の設計も十分検討されたものだろう。
1921(大正10頃)
神宮のほか表参道、外苑ができている。
表参道は冬至に朝陽が上る方角になるよう設計されたとどこかで読んで信じていた。しかし、明治42年の地図を見れば、すでに細い道路が一部にあった。

14:19
本殿前、三の鳥居

14:20

14:21
けっこう二礼二拍一礼でお参りしている人がいる。
私は1991年、仙台の東照宮で初めてこの方式を知ったのだが、当時は神社もお寺も同じように手を合わせるだけだった。最近の寺社ブームによるのか、だいぶ普及したようだが、私はあまりやらない。
パンパンパン・パーン、パン(信州中野の宴会の手締め)の感じがいいが、やるわけにはいかない。

14:23 夫婦楠?
明治神宮はおみくじがないそうだ。

14:25
西参道に出る。

14:31
本殿西側を北に歩くと急に開けた。

14:33
皆のんびり寝転んでいる。
新宿のビルが見えた。

北の低地(川)をわたると至誠館という武道館あり。

2005年、代々木オリンピック青少年センターでダンス練習会のあと、参宮橋から明治神宮に入り、この前を通っている。
14:37 宝物殿は工事中
近代和風建築として国の重要文化財になっている。

14:38
植え込みの間から中を覗くと、工事用資材が置かれ草が伸びていた。


14:39 北池
2005年、この池を見ながら歩いて東側を南下、原宿駅から帰った。

14:43
害虫捕獲装置?
虫に食われ、木くずが根元に降りかかっている木が何本かあった。
我が家のカミキリムシに食われたイチジクのようだった。

さまざまな植物、動物、すべて自然のままに放置しているのだから虫に食われるのは仕方がないのだが、虫を食うべき鳥たちが街中の生ごみのほうを好んで虫が増えたのかもしれない。人間の捨てたゴミで食物連鎖が崩れたなら、ある程度の干渉は必要だろう。

ところで哺乳動物はいるのだろうか?
畑に作った森林だから、都市ネズミか逃がしたペットくらいしかいないと思うのだが、狸がいるらしい。

14:50 北参道から出た。
神宮の北池から出る川(低地)は、ここで山手線をくぐり、新宿御苑を源流とする穏田川に合流、明治通りに沿って南下、神宮御苑南池から竹下通りを通る低地もここに合流する。

結局、最初に来たのはいつだったか、とうとう思い出せなかった。

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