8月3日、猛暑日。 医図書で調べもの。
飽きたので『陽だまりの樹』を読む。
公立図書館にあれば人々が群がるだろうが、ここでは装飾品の置物のようだ。
手に取る人は誰もいない。ソファでゆっくり読む。
散歩に出る。
どんどん古いものを壊していく東大にあって、ここだけは昔と変わらない。
グランドに金網ができたことで、物干し場になった。
この日は35度。
理学部化学教室。40年前と変わらない。
博物館のような建物がまだ使われているのだろうか、と下を覗くと大小多数のエアコン室外機が動いていた。そのうち半分以上は外国人観光客。
観光でなく住んでいる者もいるだろう。
起伏ある敷地に歴史ある建物と大きな樹木。
池も庭園もレストランもある。
近くの上野公園ほど混雑していない。無料。
よく考えれば東京でも魅力的な観光スポットだ。
日本人は大学と思っているが、彼らにとってはネットで紹介される東京名所なのだろう。
男は小太り、Tシャツ、半ズボン、袈裟掛けショルダーバック、一見して日本人とは違うが、外見より考え方の違いの方が大きい。
三四郎池に下りていく石段で腰をおろして涼んでいる。
邪魔だと思ったが、ベンチにしか座らない日本人より柔軟、合理的と感心する。
移民国家に舵を切ったから、この国はどんどん変わっていくだろう。
外国人ばかりと思ったら、日本の高校生の集団。
引率の先生もいた。修学旅行の季節?
と思ったら、建物内のカードリーダーのあるゲートのギリギリまで入って中のベンチで休憩している人々がいた。なかなか日本人ではできない。
でも私も外国に行ったら大学に行って、こういう建物に入るだろう。
2017年 5 月、北側広場の地下に完成した別館は地下 4 層から成り、地下 2 階から地下 4 階には300万冊の蔵書を保存できる自動書庫が導入された。
蔵書を移したことで、図書館本体は少し昔の余裕を取り戻したかもしれない。
この日は薬学部で午後から日本薬史学会柴田フォーラム。
まだ少し時間があったのでうろうろした。
正面玄関の自動販売機は、39年前、反対側(手前)にあった。
池田さんは17時すぎると不忍池を経て上野駅から帰っていた。
私は自転車で谷中に帰る。そこで、あるとき偶然を装って池之端門で追いつき、上野公園を一緒に歩こうと企んだ。
夕方、彼女が隣の実験室から帰るのをみて、こちらも頃合いを見計らって追いかけた。
ところが1階まで来ると、ここで彼女がパックの牛乳を買って立ち飲みしていた。
私は話しかける用件も勇気もなく、計画がとん挫した記憶がある。
そのあとすごすごと帰ったか、実験室に戻ったか。
左奥、かつての事務室は講義室になっていた。
自分が過ごした4階にあがる。
かつては廊下を歩けば物理分析、薬化学、生薬天然物の順に並んでいたが、その廊下が行き止まり、なくなっていた。
1フロアを1講座にしたのか、廊下を実験室にしてしまったようだ。
4階の東端。
便所は懐かしい。エレベーターは乗った記憶がない。
左の入り口は低温室、コピー機置き場を経て教授室につながっていた。
この踊り場には野球の道具が置かれていて、素振りなどの練習もここだった。
3年間過ごしたかつての生薬1研は、閉じられた廊下の手前だったのでガラス越しに見えた。狭く仕切られていた。
2019年8月
かつての廊下
見物を終え、薬史学会の会場に急いだ。
自転車で帰ろうとしたら偶然竹島氏に遭遇。
京都から筋肉関係の班会議でいらしたらしい。
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