2019年8月3日土曜日

東都六地蔵と光源寺大観音

団子坂を上がって白山上に出る道路は、江戸時代からある道。
左に鴎外観潮楼あと、右に駒込学園をみながら西にいけば本郷通との交差点に三井住友銀行がある。

この通りは大観音通りという。
観音などどこにでもあるから千駄木でしか通じない。
団子坂通りのほうがまだ通用するだろう。

8月3日、東大に用事があった。自転車なので遠まわり。
左の石柱は世尊院(→別ブログ
その向かい、右にちょっと見えるマンションの場所は、「青鞜」発祥の地。
平塚雷鳥の友人、物集和子の父、物集高見の屋敷だった。
その後、駒込電報電話局となる。
1978年1月谷中真島町に引っ越して、初めて部屋に電話をひいたとき、団子坂を上がってここにきた。

世尊寺入り口を少し過ぎて左側、

倒れた石柱、残った礎石、参道のような私道。
そうだ、写真をとっておこうと自転車下りる。。
奥に入ると地蔵
2013年に引っ越して初めて見たときは夕日に当たって、昭和の雰囲気だった。
公民館のような民家のような家に気が付いた。

表札に「専念精舎」「新谷」とある。
そう、ここは江戸切絵図にもある専念寺のあと。
寺らしい堂宇はなくなり、唯一残ったのがこの地蔵菩薩立像である。
駐車場やアパート経営で暮らしていらっしゃるのだろうか。

東都六地蔵の第二番という由緒あるもの。
1番  瑞泰寺 文京区向丘2
2番  専念寺 文京区千駄木1
3番  浄光寺 荒川区西日暮里3  (→諏方神社別当 
4番  心行寺 池之端から府中市紅葉丘2 に移転
5番  寛永寺福衆院 
6番  浅草寺正智院

男性がいて声をかけると栃木の鹿沼から来たとか。
「この辺りは見るものがいっぱいありますね」
と手にした観光地図には印がいっぱいついていた。
養源寺のほうから回ってこられたようだ。

・・・・

用事を済ませ、夕方ふたたび大観音通りにきたので大観音の写真を取りに寄る。

光源寺は普通のお寺と雰囲気が違う。

形も違う
浄土宗天昌山光源寺は 天正17年(1589)に神田に創建。
1648 千駄木現在地に移転
1697 約5mの十一面観音像建立
1945年5月25日、東京大空襲で焼失
1993年、御丈6m余の御像として再建された。

江戸名所図会では窓から顔を出していらっしゃる。
この堂宇は大観音の頭が天井に着かないようにという形。

裏の墓地にはいかなかったが井戸があった。


子どもが転がれるような芝生

トイレもある。
ずいぶん開放的な雰囲気の寺。
まだ来たことがないが、毎年7月にほおづき市が開かれるのも分かる気がする。

大観音通りとは、戦前、観音様が生活に密着していたころを思えば、当然の名前であろう。
毎月18日の縁日、7月9,10日の四万六千日のお祭りの賑わいなど、谷根千28号にある。

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