2019年8月4日日曜日

朝倉響子邸などが消えた

5月3日、東大に用事。
自転車なので保健所通りでなく、林町の路地を南下。
ぽっかりと空き地になっていてビックリ。
この辺り道が細いせいもあり、小さな家が多いのだが、珍しく一軒、邸宅があった。
千駄木5丁目30番地
毎回のことながら写真を撮っておかなかった。

ひょっとしたら、とグーグルを見たら広角レンズだが残っていた。

ついでに昨年こわされた高村光雲旧宅(→別ブログ)も発見。
グーグル航空写真、viewも年代別に見られればいいのに。

団子坂上に出て藪下道をとおると鴎外旧宅のとなりも工事中
2019-08-03
ここは豪邸が二軒並んでいて、北側はまだ新しく、南側は早川という表札だった。
どちらかは浅草の方の洋品店の社長の家と伺ったが不確かな情報。

2018年3月、早川邸

敷地は二軒で3000平米もあったか。
とくに早川邸は樹木で家が見えないほどの豪邸だったが、地下1階、地上4階のマンションになるらしい。

すぐ南の石垣にも異変。
藪下通りの雰囲気を最後まで残していた石垣の上の家がない。
(手前の家はだいぶ前に撤去されていたが)
樹木もなくなりずいぶん明るくなった。

地下一階、地上5階、賃貸し19戸らしい。

石垣の上は何もない。

ここは以前たまたま写真に撮ってある。
2018-10-14
 朝倉文雄の次女、彫刻家・朝倉響子氏(1925年- 2016年5月30日)の邸宅であった。
亡くなられて3年。
この1軒が賃貸し19戸になってしまうのか・・・
辛うじて表札に朝倉と読める。
藪下道に下りる。
永井荷風が東京で一番風情があると言った道は、1980年代までそっくり残っていたと思う。
1977年、毎日実習帰りに國枝卓氏と歌謡曲を歌いながら坂道を上がったときは、その美しさ、有り難さに気づかなかったが、今でも左側の鬱蒼とした木々と石垣、右側のレンガ塀は忘れられない。

日本医大も解剖実習室、霊安室のある東北の建物を建て替える。
それに先立ちサクラが切られていた。

千駄木の家を買って7年、引っ越して6年。
その間、ひっそりとした古い豪邸が壊されるたび、いくつの風景が消えていったか?
残念この上ない。

参照


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