2019年6月22日土曜日

アメ横は外国人街

6月18日、京都の森夫妻が上京して会食となる。
上野の伊勢ろくはアメ横の横
19時集合に少し間があったので歩く。
2019-06-18 18:42
3153は足場を組んだ工事中みたいなデザイン

舳先のようなビックカメラの場所は、長い間カバン屋だった。
3153の場所にあった聚楽第は、じゅらくとなってガード下に残る。

あんみつのみはしは創業昭和23年。
広小路から寛永寺黒門に至る参道を、不忍池のほうからの川が横切っていて、橋が3つかかっていた。もちろん戦後は橋などなかったが上野三橋町という町名は残った。
40年前、あんみつを1回くらい食べた気がする。

永藤は洋食屋だった気がするのだが、記憶違いのようで、しゃれたパーラーをもつパン屋だったようである。

広小路からアメ横に入る。
このあたり、黒人が普通に座っていたり立ち話をしていたり、アメリカの街角のようだ。
この通りだったか、1980年に池田さんと入った寿司屋があった気がするのだが。


アメ横に入ると完全に異国である。
ケバブを焼いている人も呼び込みの人もあちらの人。
客は外国人観光客が多い。

あまちゃんロケ地にもなったアメ横センタービル
中が迷路のような老朽化したビルであったが、81年に壊して83年にオープンした。

最もアメ横らしい魚屋。
2013年、千駄木に来た年の土用、妻が自転車でウナギを買いに来たのはここだろうか。

かつては年末だけでなく普段も日本人が買い物に来る通りだったが、今は観光地。

この豆菓子の店で買ったことがある。
2011年4月、湯島の中古物件を見た帰り、ここを通った。
いろんな豆菓子ー袋500円。
店員さんと目があったら
「兄さん、買っていかない? 3袋で千円!」
一山1000円に弱い私。
どうしようかなと思う間もなく、
「よし、おまけで一袋つけるよ!」
やった! 
買おうとしたら、さらに間髪入れず、
「だめ? じゃあこれでどうだ!」
彼は左手に重ねた豆菓子の山に、右手で大きなアクションで一袋を重ねた。
え?
「まだだめ? じゃあ、これならどうだ!」
と、さらに派手な動きで重ねる
こちらは申し訳ない気持ちで、「もういいです、買います」
まるでわんこそばを断るように慌てて彼の動きを止めた。
7袋を1000円で買った。
ここは立ち止まると(損はしないが)買わざるを得なくなる。

・・・・
ふたたびアメ横センタービルまで戻ってくると異臭がする。
正体はわかっている。
地下の食品売り場だ。
18:53
ここは従業員も客も言葉も品物も、すべて日本ではない。

今日は人がいない。
以前来たときは歩けないほど客でごった返していた。
初めてだったからショックを受けた。
日本人が経営していたらもう少し臭いに気を配ったのではあるまいか。
これだけ在留アジア人が増えているのである。

地上に出るとホッとする。
しかし外国人観光客にとってはエキサイティングな楽しい街だろう。
私も海外の市場は好きだから、中国やベトナムでこういう所があれば行くだろう。
しかし昔の思い出があるアメ横がこんな風になってしまうと複雑な気持ちになる。

1981年、このあたりのスポーツ用具店でグローブを買った。
田辺の野球同好会に入った時、私としては珍しくRawlingsの高いものを奮発した。

就職しても、大宮寮に住んでいたから大学も近い上野はよく来た。
靴も買った気がする。
池田さんも取手だったし。

79年か80年、渋谷氏と入ったとんかつ屋を探したがなかった。
あのころはもっと静かで、それほど客が入らない店でもやっていけた。

18:58
にきにきにきにき、二木の菓子
研究室の旅行は毎年夏に伊豆の式根島か神津島、新島へ行った。
出発前日、宿で食べる菓子は幹事長の高木さんとここに買いに来た。
実験を指導されていた嶋田先輩に「お菓子買いに行ってきます」と断ると、
「おかし町か?」と言われた。
この辺りは御徒町のほうが近い。
摩利支天 徳大寺は電車からも見える。
門の前に座り込んでいる人々は中国語だった。

お菓子も爆買いするのかな。
日本人も昔からここではいっぱい買ったけど。

ガード下の店は昔とあまり変わらない。

19:02
うろうろしてたら7時過ぎてしまった。遅刻だ。急ぐ。

・・・・
伊勢ろくの焼き鳥はうまかった。
22時近く、外に出る。
店の多くは閉まっていたが、外国人観光客はまだうろうろしていた。
路上に椅子を並べた飲み屋があちこちできていた。

写真を撮ろうとしたらスマホを忘れてきたことに気づく。
あ、と思ったらすぐ後ろから
店員さんが持って追いかけてきてくれた。

アメ横のアーチ看板を背景に、4人で自撮りした。

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