2019年9月6日金曜日

大崎駅とコレステロール低下薬

9月1日、いつも使う日暮里のダンス練習場が休みなので、品川保健センターのパーティ会場で軽く体を動かすことにした。
京急新馬場駅・徒歩4分とあるが、山手線大崎から山手通り、目黒川に沿って15分歩くことにした。

大崎駅の特徴は商店街や一般住宅がないこと。
2019-09-01
2011年12月から12年5月にかけて、五反田駅との中間にある品川区総合体育館で何回か練習した。当時は川越線指扇に住んでいたが、埼京線直通快速に乗れば1時間で大崎に着いた。
すでにその時この駅はオフィスだかマンションだか、ビルが立ち並んでいた。
おそらく駅の周りは隣の五反田や品川と違って工場などが多かったのだろう。それらが移転、再開発が容易だったと思われる。
今や品川の隣接駅として近代的に大発展している。

環状6号線山手通りは、池袋から新宿、渋谷と山手線の外側を南下してくるが、大崎駅で線路を越えて山手線の内側に入る。

大崎駅前でもう1つ思い出すのは遠藤章氏のスタチン発見物語である。
2003年から2011年まで売り上げ世界一(年間100億ドル以上)を誇ったファイザーのアトルバスタチンはじめ、世界中の製薬会社が競って開発したコレステロール低下薬の元祖はここ、大崎で生まれた。

三共の遠藤は、1973年カビ培養液からコレステロール合成阻害物質ML-236B(コンパクチン)をみつけた。試験管内では効いたが、実際ラットに投与すると効かず、上層部からプロジェクトの中止を言い渡された。しかし彼はあきらめきれなかった。
2019-09-01
川の悪臭には、わずかに海の成分が混じっていた。

以下、少々長いが引用する。「心臓」 37巻 8号( 2005)

遠藤: 発酵研は(中央研も)JR大崎駅から徒歩10分の,目黒川沿いにありました.周辺は大中小の工場が多く,殺風景でしたが,大崎駅近くには飲み屋が数軒ありました.
私は帰宅途中に,時々その一軒で一杯やっていました.

1976年 1 月初旬,真冬の寒い夜でしたが,そこで中央研究所の北野訓敏博士(獣医学)に偶然会いました. 1 週間後にもう一度会ったのです.その時の会話から,北野博士がニワトリ(産卵鶏)で農薬の実験をしていること, 2 月中旬に実験が終わること,実験が終わればニワトリを処分する予定であることなどを知ったのです.

そこで,私はML-236Bの現状を話した後で,「ニワトリを処分する前にML-236Bを飲ませてみてくれないか」と頼んだところ,二つ返事でOKが得られたのです.酒の席だったので,簡単に話が決まりました(笑).

ニワトリの実験を頼んだ理由は,何でもいいからラット以外の動物で一度は実験してみたかったのに加え,北野博士のメンドリがかなり高齢であったこと,メンドリはコレステロールを大量に含む卵を毎日産むので,卵を産まないオンドリよりもコレステロールを大量に合成(生産)しているに違いなく,血中コレステロールが高い可能性があること,したがってオンドリには効かなくても,メンドリには効く可能性があると推測したことなどです.
 私は発酵研,彼は中央研ですから,普通なら,私が発酵研所長の許可を得てから,発酵研所長が中央研所長に依頼し,中央研所長が北野博士に指示を出すというルートを通るのですが,それをやらないで二人でやってしまおうということになったのです.
(以上引用おわり)

国土地理院地図1979-83
中央下に三共。新幹線と東海道線と目黒川に挟まれている。
左が大崎駅、右に品川神社、中央上部が御殿山の住宅街

ビボ(ラット)で効かなければ仕方がない。
試験管内で抑制するものならいくらでもある。濃度を自由に上げられるからだ。
そこで効いても、肝心の動物で効かねばたいていの人は諦める。
遠藤先生も北野氏に会わなかったら諦めていただろう。

その飲み屋はまだあるのだろうか?
三共の研究者の間で聖地のようになっていれば面白いな。
しかしそんなことはないだろう。
研究というものは長いスパンでいくつもの関門があり、多くの人の手を経る。
ドラマのように、たった一つの運命の店で決まるわけではない。

駅からここまで来る途中、それらしき飲み屋は見つからなかった。
山手通り沿いは新しいビルが多く、駅に近い魚民、くろ〇は今の人たちが使っているかもしれない。古い店としては(営業しているか不明だが)鮮魚店、クリーニング店くらい。つまり今の山手通り沿いにはなかった。

三共は2005年第一製薬と合併し第一三共株式会社となる。

三共中央研究所は、品川研究開発センター(第一製薬の研究所は葛西研究開発センター)となった。
80年代から新幹線で出張するたび左側に三共の研究所を見てきたが、ずいぶん近代的なビルに変わっている。

三共の発酵研は、遠藤先生が1979年に農工大に転出したが、その後、妻の卒研を指導された秋山敏行先生が入られた。「アマゾンや東南アジアに植物採集に行くときは貯め込んだスーパーのレジ袋をいっぱい持っていくんだよ」と85年ころ仰った。
カビ抽出液からPDE阻害物質をとり、血管拡張、しもやけの薬を探している研究者もいた。
自由な基礎研究をさせる懐の深い会社だった。

2005年第一と合併、2008年ランバクシー買収も失敗、2009年承認の期待された抗血小板薬プラスグレルも大型化せず、ながらく武田、アステラスに遅れた感があった。
しかし、ここへきて抗体―薬物複合体DS-8201で息をふきかえし株価を大いに上げた。シャイアー買収前の武田やアステラスより時価総額ではるかに上回る。

武田が変わってしまった以上、第一三共には頑張ってほしい。

・・・・
2019-10-28追記
2019-10-26
日本薬史学会出席のため早朝の新幹線にのる。
何回も見て来たけど、これが見納めかもしれない、と写真をとる。
1980年代だったか、初めて車窓からみた工場、研究所の建物はもう残っていないように見える。

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