2019年9月22日日曜日

上野公園6 江戸の坂

上野の山は彰義隊の前後で大きく違う。
上野駅の開業でも大きく変わった。
鉄道以前は、東の山下には多くの塔頭があり、降りていく坂道があった。
嘉永4年 尾張屋版
絵図右下にシナノ坂。
斜めになっていても急だから階段だったようだ。
もちろん現存しない。
中ほどに屏風坂。
これは御本防(現国立博物館)の前の道だから、いま両大師橋の下あたり。
その南に車坂。
凌雲院(現東京文化会館)の前から降りているから、今のパンダ橋あたり。
この坂は途中から二つに分かれていて、南側のはいまの不忍口から公園口改札まで上がってくる車道だろうか。
車坂という名前でありながら絵図は階段である。
2018-12-23 南の車坂

西郷さんの下の3153の南に石段がある。
昔、似顔絵を描く人がたくさん座っていた石段。
ここは江戸時代から坂道だっただろう。あがると新黒門があった。

本来の黒門は、御成門と並んでもう少し西にあった。
黒門を入ってまっすぐ行けば吉祥閣だが、右手の坂上に清水(きよみず)堂があった。

2018-12-05
弁天島から清水堂への石段
きよみず坂は、この石段ではなく、この上の黒門内から堂に上がる階段を言う。

左下に清水堂
今回は関係ないが、絵図の右に半分切れて浄名律院。4万8千地蔵の浄名院である。
いまは離れてしまい、とても寛永寺36坊の一つとは思えない。

また中央上、護国院の門を寛永寺の清水(しみず)門といった。
池之端・清水坂(しみず坂)の由来か。

池と山の間は動物園通りという。
忍坂、しのぶ坂というらしい。
上野公園、韻松亭前に上がる坂道。
江戸絵図でも近い場所に坂がある。

2018-12-05 五条天神
江戸時代、この地に牛頭天王、忍岡稲荷(絵図はイナリ)があった。
五条天神社はもとは上野の山にあったが、江戸時代に下谷(今のアメ横あたり)に移り、1928(昭和3)に現在地に遷座した。

花園稲荷から忍坂上に登る坂は、江戸絵図にもあり、いま稲荷坂という。

梅川亭に行く、精養軒うらの坂道
名はないので、精養軒裏坂とする。

2018-12-05 東照宮の鳥居。
上がると右に梅川亭。
2016年、長女と彼に結婚前の挨拶を受けた。
うなぎはうまかった。

参照
上野駅2 駅舎と外観
上野公園1 聚楽第と映画館あと
上野公園2 昭和38年の広小路
上野公園3 清水堂と彰義隊墓所
上野桜木~平櫛田中、浄名院、寛永寺


千駄木菜園 総目次

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