2020年12月22日火曜日

北千住3 日光、水戸街道の分岐点

12月14日、ほぼ初めての北千住駅に降りた。

千住は日光奥州街道に沿った宿場町。

 

江戸情報復元地図(朝日新聞社)

町は街道の両側に一皮で、家々は間口一間、細長い短冊のような敷地が並び、その外は田んぼだったという。その田んぼとの境が細い裏通りとなり、いまも街道筋に並行している。

その東の裏通りを北へ歩く。

この裏通りの東(線路側)は再開発され丸井など入るミルディス1番館、2番館となったが、西側は飲食店、住宅が並ぶ。

西を覗くと街道へ出る細い道が何本もある。
どれも細い。
建て替えたら幅4メートルになるようセットバックするはずだが、建て替えていないのだろうか? あるいは2メートルなくて再建築できないのかもしれない。

2020-12-14
幅1間とは江戸時代と同じ。

奥へ入っていく。

両側の家は外に水道と流しがある。
昔は井戸だっただろう。
これほど都心に近いところに昭和30年代のような景色があると思わなかった。
道路拡張(=建て替え)がないとこういうものも残る。

行き止まりと思ったら軒下が通れる。
換気扇からラーメン屋のような臭いと熱気が吐き出されていた。

繁華街である旧街道筋、宿場町通りにでると、麺や・音。
昼時なのか有名店なのか人が並んでいた。

すぐにまた東に入る細道がある。
私は細い道が好きだ。
宿場町通りは帰りに見ることにして、また横に入ってみる。
「毎日通り飲食店街」というらしい。
向こうに見えるはミルディス2番館。
古いものと新しいものが近い。

何だか分からない店。
住居なら売り上げなくてもよい。

キムチ用か白菜が干してある。
言うまでもないが、毎日通り飲食店街という道路である。
昭和30年代。

再び東の裏通りに出たので、北に歩く。
長円寺、氷川神社の前をいき荒川放水路の堤防にぶつかるところに名倉医院がある。
江戸時代、関東一円から患者が集まった骨接ぎの名医。
(別ブログ)
名倉医院本院
一見の価値あり。
患者になる価値あり?

堤防、名倉医院でUターンし、宿場町通りを南に戻ってくると、
すぐ日光街道戸街道の分岐点がある。
北へ 旧日光道中、東へ 旧水戸佐倉道

水戸はまだしも佐倉はもっと南、すなわちJR総武線あたりを通ったほうが近そうだが、江戸開府より前は利根川、荒川が流れ込み東京湾と一体となった湿地帯であり、通れなかったのである。

ちなみに日本橋から1つ目の宿場が千住。

日光街道は
1. 千住宿
2. 草加宿、
3. 越ヶ谷宿、
4. 粕壁宿、
5. 杉戸宿、
6. 幸手宿(本郷追分からの日光御成街道と合流)
7. 栗橋宿、
8. 中田宿、
9. 古河宿、
10. 野木宿、
11. 間々田宿
12. 小山宿(壬生道が分岐)
13. 新田宿
14. 小金井宿、
15. 石橋宿
16. 雀宮宿、
17. 宇都宮宿(奥州街道が分岐)

一方、水戸街道は
1.千住宿、
2.新宿(にいじゅく、ここで佐倉道が分離)
葛飾区の中川を渡ったあたりだが、明治の常磐線敷設のとき住民が反対したため、駅は北方の田んぼだった亀有、金町にできた。もしニイジュクにできていたら今都庁、歌舞伎町のある副都心は角筈とか淀橋といった名前になっていたかもしれない。
3.松戸宿
4.小金宿
5.我孫子宿
6.取手宿
7.藤代宿 
8.若柴宿
9.牛久宿
10.荒川沖宿
11.中村宿
12.土浦宿
13.中貫宿
14.稲吉宿
15.府中宿(石岡)
805年、武蔵から下総国府を経て常陸までのびた東海道の終点。
16.竹原宿
17.片倉宿
18.小幡宿
19.長岡宿
20.水戸宿


私は水戸が江戸五街道の一つと習った気がするが、いまは奥州街道が入る。しかし水戸街道も五街道と同じく道中奉行の管轄下に置かれていた。

明治以降は、水戸街道と磐城街道をまとめて陸前浜街道と呼ぶよう明治政府から通達が出された(後で示す明治11年の地図はそれを反映している)

・・・・・

日光街道と水戸佐倉道の交差点、西南の角に日本民家がある。
築80年の板垣邸を改装、
和食レストランとして今年の11月にオープンした。
和食 板垣
平日昼であるが予約で満席だった。

さらに南へ宿場町通りをぶらぶら歩く。

左、そばの中川屋、右、ふくよかサイズ・ヤマダヤ

道幅は四間(7.2メートル)、江戸時代と変わらないという。
すぐ西に並行して国道4号があるから旧道の街並みが残ったのだろう。
横山家住宅
お客をへりくだって迎えるということで、道路から一段低くなっている。
もっとも千住は田んぼの真ん中の低地で、街道は堤のように少し高くなり、両側の町は田んぼに向かって下がっていたという。
横山家は地漉紙問屋で、逃げてきた彰義隊が切りつけた柱などもあるらしい。

左、絵馬屋(吉田屋)、右、横山家
写真の街灯に宿場通り商店街とあるが、宿場「町」通り商店街が正しいらしい。
大量に作ってしまったからそのままにしたのだろうか?
あるいはまだ気が付いてなかったりして。

八百倉商店という八百屋があり泥付き深谷ネギを買った。
江戸時代、千住はネギが特産で、千住大橋のそばにはやっちゃばがあったが、そこまで行く予定はなく、ここで買う。6,7本で220円。
目的は鍋で食べるより、むしろ根を数センチ埋めて苗にすること。
昨年から育てているネギの成長が今一つなので。


千住ほんちょう公園
案内図があった。地図を持っていないので暗記する。
この公園はミルディス通りまで伸びて細長い。
家屋が密集していたはずだがどういう経緯でできたのだろう?
裏通りまで細長い1軒だったのだろうか。

公園の南隣は、いまやホームセンターに押されすっかり見なくなった金物屋。
織畑商店まつもとや
懐かしい箒が一番目立つ。


こちらは保存住宅かと見まがうほどの店舗の中は今の洋服が売っている。

江戸時代からあるような乾物屋の奥に店主だろうか、年配の女性が座ってらした。
のどかな街である。

明治11年

1995
25年前の地図をみると、歩いてきた道は昔は中央線中野みたいにサンロードといったようだ。しかし、いまは宿場町通りという。やっとカタカナの田舎臭さに気がつかれたか。
ん?
ひょっとして日光街道の翻訳か? なかなか洒落ている。


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