2020年12月5日土曜日

パン食べ放題の銀座木村家と木村屋総本店

 来年2月に次女が結婚する。

新婦の父として衣装合わせに銀座へ出かけた。

2018年の長女のときモーニングを借りた店と同じだった。
同じ時間に何組か来ていて、父親を見ると私より若くてかっこよく、負けている。

こちらは3人目なので、とくに思い入れもないし、前の時のデータがとってあったらしく、そのままで良いと言ったら簡単に済んだ。
2019年の長男のときワイシャツ、小物など買ったのでレンタル料は3万円ほど。
2020-12-05 
ハツコ エンドウ ウェディングス
もうこういうところに来るのは最後だから1枚写真を撮った。

2020-12-05
外に出て銀座通りを南へ。
最近よく来るようになって田舎者でもだいぶ慣れてきた。
4丁目交差点に来ると木村屋がみえた。和光のとなり。
縦書き「キムラヤのパン」のロゴが垢ぬけていないが、あえて変えないのは150年の自信であろう。

11:52
屋号の文字は山岡鉄舟。
彼の書は実家に飾ってあり独特なので、言われればすぐ分かる。
掛け軸を買った弟によれば、今、書は点数が多いこと(簡単に書けるから当たり前)、飾る床の間が少なくなったこと、戦前に教育を受けた人が亡くなり読める人がほとんどいなくなったこと、同じ理由で遺品が大量に市中に出たこと、などから絵と比べると暴落のように安くなっているらしい。
二人で谷中全生庵、鉄舟の墓に行ったとき、そんなことを言っていた。
なお、鉄舟揮毫の木村家看板は震災で焼失した。

コロナだからすぐ帰る予定であったが、立ち止まってしまったので初めて入ってみた。
階段を上がると二階が喫茶
もうパンのいい匂いが階段の上まで充満している。

さらに上がり三階が洋食グリル
窓際は埋まっていたがすぐ座れた。
大体2000円前後。焼きたてパン食べ放題がうれしい。
人気メニューを半分ずつ2種類乗せたペアプレートがあり、税込み1980円。
12:01
キノコソースかけハンバーグとビーフシチュー。
パンのかごを持ったウェイトレスが頻繁に来て、いろいろ勧めてくれる。
常に皿にはパンが1個と半分乗っていた。
焼きたてのせいか、結婚式のテーブル含めたいていのレストランのパンよりうまい。

土曜とはいえコロナで雨というのに、客は多い。
食べているうちに何組もの行列が階段のほうにできているのが見えたので早めに出た。


せっかく来たので有名なあんパンを買った。

明治2年(1869)常陸牛久出身の木村安兵衛が芝日陰町(現新橋付近)に日本初のパン屋、文英堂を開業。
翌年屋号を木村屋に改める。
西洋食を取り入れた攻玉社の御用達にもなり繁盛した。
当時イーストを使ったパンは固かったが、酒種を発酵に使うことでしっとりとした食感、風味を得た。そこにまんじゅうを思わせるあんこを入れることで明治7年和洋折衷のあんぱんを開発。評判となった。

明治8年4月には、縁のあった旧幕臣、侍従を務めていた山岡鉄舟の仲介で、隅田川花見で旧水戸藩下屋敷に行幸した明治天皇、皇后にあんぱんが献上された。このあんパンは真ん中に吉野の八重桜の塩漬けを埋め込んだもので、大いに気に入られ、以後宮中御用達となったという。

12:30
ちなみに木村家は1930年「株式会社木村屋總本店」となったが、2009年「株式会社銀座木村家」を設立し、ここ銀座本店とデパートなどに入る直営店をこの会社に任せ、商標は「銀座木村家」を使っている。
いっぽう木村屋総本店は袋パン1日約30万個製造し、コンビニ、スーパーに卸しているが、こちらは「木村屋總本店」のブランドである。

銀座木村「家」と木村「屋」總本店と、字が違うのに気づいただろうか?
家だとイエを思わせるから屋のほうにしたいのだが、鉄舟の看板が家だから本店は変えられないのかもしれない。ちなみに初代安兵衛が起こしたキムラヤは、銀座木村家の公式サイトは「家」、木村屋総本店の公式サイトは「屋」になっている。


この日は雨で最高気温8度。寒くてまっすぐ帰宅。

夕方、お茶にした。
コロナは土曜なのに東京は今年最高の584人、全国の重症者は520人で最多更新。
とニュースが言っている。
16:52
左・黒ゴマクルミ・200円 右・小倉・170円
うまいが生地に比べてあんこが多く主食にならない。おやつである。この小ささがちょうどよい。

ちなみにクリームパンは中村屋が東大正門前で1904年に考案したといわれる。(別ブログ)



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