2020年12月27日日曜日

文京、豊島、北区の境。散髪ちょっとカット

 12月23日、テレワーク。

今日こそ散髪、と再び坂を下りる。
2020-12-23 11:01
不忍通りをこえてすぐ、田端駅前通りに面したチョットカット。
年配の男性お二人がやっている。
最近はいつもここ。

駅のQBカットは便利だけれども、コンパクトにデザインされた無機質な部屋の端で男が無言で列を作って待ち、機械的に毛を切ってもらうのは人間らしくない。
昔の肩もみまでしてくれて3500円もした床屋に行く気はしないけれども、もう少しゆるいところに行きたい。
西日暮里駅のガード下、ドンジャンという散髪屋は1200円、店主に覇気がなく、古くて汚い店だが、美味しんぼ、島耕作などの漫画を読んで待つのもよい。しかし休みの時が多く、このところ、こちらのチョットカットばかり。

この日は珍しく先客がいたので漫画を読む。
11:05
QBカットが1050円、1200円と値上げしているのに、チョットカットは自動券売機を更新する費用がないのか1000円のまま。
ユニークなのは、刈った髪の毛をバキュームで吸い取るのに家庭用掃除機の先端を外して使っていること。当初は道具台の棚の上に木箱を据え、そこに掃除機本体を入れ穴からホースだけ出していたようだが、髪を捨てるたびに頭上の箱から出すのが面倒になったのか、いまや本体を箱の上におき白い紙をかぶせて隠している。(写真)
しかし腕は確かで丁寧。
お二人とも老齢だがいつまでも元気でいて欲しい。

月曜定休。火曜も休みの週がある。
10時開店。休日は9時から。

11:43 
散髪が終わって、どこを回って帰るか。
左が文京区本駒込4-44、右が北区田端2-1
先日に続き、すこし北(西)のほうへ区界(くざかい)を歩いてみる。

11:46 
左文京区、右北区。
谷田川はここと平行にもっと右のほう、いまの谷田川通りを流れていた。
すぐそばに谷田橋という交差点がある。
この道が境となったのは谷田川の西にもう一本川があったのか、あるいは田端の農民の土地が谷田川の西まで伸びていたのか、不明。
11:47
左の本駒込4丁目はもと本郷区動坂町、ちなみに先へいって5丁目は本郷区神明町

11:49
区界の道はここで不忍通りと接触するほど近くなる。

1977年に本駒込図書館の裏あたりに住んでいた時、通学は山のほうに上がっていったから不忍通りはほとんど通らなかった。しかしこの新旧の道路が接するという変わった光景はうっすら覚えていた。43年前の根津あたりで飲んで大通りを自転車で帰り気まぐれで裏道に入った夜ではなかったか。

上の写真で右のホンダショウルームのあたり(現田端3丁目2番)に佐多稲子(1904-1998)がかつて住んでいたらしい。大正15年一家で移り住んだ。 
彼女は写真左の本駒込図書館(もと都電車庫)の並びにあったカフェー紅緑で女給をしていて、近くに住んでいた驢馬の同人、堀辰雄ら多くの田端文化人と出会い、作家となった。
田端文士村 田端図書館・内藤淳一郎氏作成

1995

不忍通りは団子坂下まで来たのが明治32年、新道といった。

動坂下まで伸びたのが明治43年夏。
大正3年 市電を通すため幅を6間から12間に拡張、
市電は上野から動坂まで大正6年7月27日に開通。
同じ年の6月に本郷通りを駒込富士前まで市電が来ているが、不忍通りが神明坂を上がって本郷通とつながったのは大正11年(1922)という。

2020-12-23 11:52
区界の道は不忍通りから離れしばらくいくと田端銀座商店街。
といっても多くの店は廃業した感じ。

2013年に千駄木に越してきてからも懐かしくて、通りの左(南西)にあった「肉の彦坂」でとんかつなど買ったことがある。この日は時間が早かったのか閉まっていた。

11:57
田端銀座はここで東を通っていた谷田川通り(谷田橋通り)と交差する。
この角にいい八百屋さんがあり、2017年、霜降り銀座からの散歩帰りに白菜を買った。
しかし残念なことに廃業されたようだ。
古い店というイメージがあったがビルがま新しい。
まさか廃業されてから建て替えたのではないだろうな、と裏に回ったら、
「定礎 平成十年四月十四日 澤田孝治 八十八才」とパネルがあった。
そうか、この新しい建物だったのか。

田端銀座は谷田川通を越えてさらに伸びている。
かつてはここに橋があっただろう。
角の栄屋食品はかつての賑わいを保っている。

1977年、本駒込のアパートから電車に乗るときはアザレア通りを歩き駒込駅東口だった。ある時なにか気配を感じてその方向に歩いたら田端銀座だった。商店街からはずれた住宅街の路上でキャベツが売っていたほど人出があった。
ここから先は両側とも北区田端。

文京区との境は横切っている谷田川通まで。
12:00
谷田川通は新しく、左の旧道が文京区、北区の境。
すなわち中央の細長い駐車場や、正面、茶色の建物はは北区になる。
新しい通りをつくるとき、曲がっている谷田川(下の1929年地図)から少しずれ北区側を通ったせいかもしれない。

1929(昭和4)
このときすでに田端銀座はあるが、まだ谷田川通はできていない。
伝中裏は北豊島郡巣鴨町の小字。
いま豊島区の範囲は地図の伝中裏よりもう少し東に入っているようだ。

左、文京区本駒込、右、北区田端

12:02
左、文京区本駒込5-54-5
右手前の赤い家、北区田端
そのとなり、阪神のような板塀の家は豊島区駒込1-18-5
ここは道路の3つ角の手前が3区の境になっている。


12:04
中央肌色の家まで豊島区駒込1-18-5
この家と手前の白い家(角の黄色と黒の板塀)は仲良く外に寒暖計をかけていた。
その向こうは北区田端3-6-9

写真左上に看板だけ見える、豊島区最東端の望月不動産の手前を左に二軒いくと、アザレア通りに出た。
1977年はもちろん、最近も気まぐれで駒込駅で降りたときに歩く道。

12:15 
アザレア通りと八幡坂通りの交差点
左にいくと道は左に曲がりながら不忍通り神明坂の途中に出、その手前で右折すれば木戸孝允別邸跡。
写真をまっすぐアザレア通りを行くと駒込駅東口改札をとおり駒込銀座につながる。
そして再び谷田川通にでて暗渠道となり妙義坂下から霜降り銀座商店街になる。

2020-12-23
3区境界点に近い望月不動産。

この日もそうだが、散髪に行って手鏡を後ろにあてられ、出来栄えの確認を求められるたび、毛の少なさと老いを実感する。
今の家はもと2世帯住宅をリフォームしたから老夫婦二人には広すぎるくらい。
もし私のほうが長生きしたら家は子どもにあげて一人アパートに移ろうかな。
このあたり懐かしいし、千駄木より安くて暮らしやすそうだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿