2022年1月1日土曜日

豊島区の高校訪問と日大芸術学部

11月29日、豊島区を歩いた。

千駄木に引っ越して9年、すなわち大学に転職して9年。
そのあいだに文京区と豊島区はほぼ歩いた。
文京区は地元ということもあるが、区内と周辺の坂道を、無名のものも含め200以上をすべて上り下りするという(個人的)大プロジェクトのためだった。

豊島区は、高校の進路指導の先生に大学案内を届けるため、2013年以来年に2回、歩いてきた。私は豊島区担当として、池袋周辺の豊島岡女子や巣鴨、北は淑徳巣鴨、豊島学院、東は本郷、十文字、南は学習院、川村、そして西は千早、豊島まで。通信制の飛鳥未来などをいれると17校。
これらの間を9年間歩き回った。
文京区と比べると河川が上流のため坂は緩い

要するに営業マンのようなもの。
少子化で受験者数が年々減るなかの企業努力というものだ。

しかし高校の先生も忙しいだろう。
大学案内のパンフレットなどもらわなくてもネットで分かる。
だから卒業生の情報を持っていく。成績、出席状況だけでなく、わざわざ休み時間の学生に会って話をして、高校の先生に近況をフィードバックしてあげる。高校の先生というのは大学よりも生徒をよく見ているから、数年たっても覚えていて懐かしがってくれる先生もいる。喜ばれるとこちらもうれしい。

それでも先生は忙しいし、面倒だろうからか、なかなか会ってもらえない。
こちらも無理には会わない。
好意的な淑徳巣鴨、豊島学院のほか、個人的に親しい城西のS先生、十文字のM先生、豊南のN先生は、いつも時間をとってくれる。大学案内はあまりせず、卒業生の動向を報告した後は、薬学部全体、薬剤師や薬局をとりまく問題点、さらには製薬業界について話すと喜ばれた。
しかし、仲良くなった巣鴨のA先生、文京高校のO先生は進路担当から外れたり、転勤されたりしてしまい、これらの高校の先生には会えなくなってしまった。

この日は、仲良しの先生がいる豊南、城西を訪ねた後、最後は都立豊島高校。ここを卒業した在校生はいないから、大学案内だけでよい。
以前進路指導の担当だったF先生は私の訪問を楽しみにされていたふしがあり、大学案内はそっちのけで、がん、抗がん剤や遺伝子の話、健康談義など、いつも長時間おしゃべりした。しかし、そのF先生も定年退職され、新しい担当の方には会ってもらえない。
この日もパンフレットを受付に置いて立ち去った。

豊島高校は豊島区の最北西端にあり、道路の反対側は板橋区。すぐ西に行くと練馬区。
このあたりは豊島区と言っても郊外で、池袋はもちろん、駒込・巣鴨や、目白・雑司ヶ谷あたりとは同じ区と思えないほど、雰囲気が違う。
豊島区は狭いが23区の中でも多様性に富んだ区で、歩いて楽しかった。

ここに来るのも最後と思い、最寄りの千川駅には行かず西に歩いた。
数年前に1度歩いたので2回目の道である。
暗渠となった浅い低地を渡ると練馬区小竹、すぐ日大芸術学部が左にある。

2021‐11‐29
日大芸術学部江古田大ホール
まだ新しい。
コロナ下ということもあり部外者の入構は難しい。

1921年(大正10年)、日大法文学部に美学科ができ、
1937年、法文学部芸術学科(文芸学・演劇美学・映画美学・美術史・音楽美学)となり、1939年、戦前に江古田校舎へ移転。
というから思ったより古い。

1989年に所沢キャンパスができ、二分されていたが、
2010年から江古田が整備され、
2019年には所沢がなくなって全学年がここで学んでいる。

写真、映画、美術、音楽、文芸、演劇、放送、デザインの全8学科。
1学年の定員は900人ほど、大学院も入れれば4000人くらいがここで学ぶ。
芸術学部だけでこの人数はすごい。切磋琢磨すれば才能ある人もいっぱい出るだろう。

三谷幸喜、宮藤官九郎、篠山紀信、松崎しげる、よしもとばなな、林真理子、爆笑問題、真田広之、 、。丹下健三も帝大建築学科を二度受験失敗した時、映画学科に1年在籍した。

医学部や理学部、薬学部、法学部や文学部は、自分で好きなことをやりたいというより、偏差値との相談、将来の仕事などを考えて決めるところだろう。また、同じ芸術の音大は、子どものころから親に言われて習ってきたことの延長である。ふつうの高校生が自分の好きなこと、趣味を実現しよう、夢をかなえようと進学するところでない。そういう意味で江古田の「総合大学」は特殊な気がする。
2021‐11‐29
キャンパスのすぐ近く、西武池袋線、江古田駅周辺はもっと栄えていると思った。
飲み屋で若者たちが芸術論を戦わせるような、イメージからして下北沢のような街を想像していたのだが、驚くほど店も少ない。
あれだけの多彩な才能をはぐくんだ街に思えなかった。
昔を知らないが、今はキャンパス内にも学生のたむろする場所が増えて、学生街は消えたのだろうか?
2021‐11‐29
キャンパスと道路を挟んで古書店がポツンと1軒あった。
明治の教科書など渋い品ぞろえ。
欲しくなったが買うわけにいかない。終活を始め、本を捨てているところだから。
日大の学生は誰も来ず、客はいなかった。

江古田から電車に乗る前に、前回と同じように、駅前の浅間神社に立ち寄った。
ここには江戸七富士のひとつ、江古田富士がある。
(別ブログ)
江古田浅間神社

日大芸術学部と今の6年制薬学部の学生は両極端な気がする。
前者は入学しても将来が決まっているわけではない。後者は全員薬剤師を目指し、受かれば全員就職する。しかし前者には夢がある。後者の、既定路線に乗ることに夢はない。

高校時代までマンガを描き続け、あるいは映画を見続け、受験勉強も(今は少子化だし、難関大学と比べたら)大してせずに、そのまま好きなことを将来まで続けようとしている。遊びと仕事が一緒になっている。薬剤師の勉強はどう見ても楽しくないし、遊びでもない。

日大芸術学部は、志願者、入学者を増やそうと高校訪問などしないだろう。
才能が不十分だった学生の就職をどう世話するか、大学、教員の苦労はあるだろうが、学生も親も世間も芸術で食べていくことの難しさは納得しているから、双方それほど深刻にはならず、楽しい学生生活を送るだろう。

そんなことを考えながら、ガラガラの電車で池袋に戻った。

この翌日、11月30日、3月で退職することが正式に決まり、本当に豊島区を歩き回るのはこれが最後となった。4月からは向いていなかった教育からも離れる。


別ブログ



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