ニューシャトルの志久駅をおりて線路に沿って南へ。
駅のすぐ隣なのに原生林のよう。
中央の木にはツタのような別の木が絡まっている。
2019-04-06
1989年6月から1996年5月まで7年間この近くに住んだ。
埼玉県北足立郡伊奈町小室7022、中山住宅。
蓮田と上尾の中間にある伊奈町は、それまで聞いたこともなく、埼玉の友人も知らなかった。できて間もないモノレールのような新交通システムは30分に1本しか運転していなかった。1両に定員20人、おもちゃのような6両編成であったが空いていた。
引っ越した秋に無事、長男が生まれ、ここで家族が5人にまで増えた。
休日はよくKDDの森へピクニックにきた。
家から歩いても10分くらいだが、自転車のかごにおにぎり、飲みものを積んで。
志久の駅の南側、この道は何回通っただろう。
ピクニックだけでなく、夏はカブトムシを探しにきたり。
平塚公園に行くときも通った道。
「ゴルフ禁止 日本薬科大学」という看板。
25年前は「ゴルフ禁止 KDD」だった。
1991年11月 末の娘はまだ存在しない。
この場所はどこだろう、と探す。
どこも藪になっている。
下草を刈らないとこうなるのか。
この近くに森に囲まれたKDDの研修所があり、もとは広大な国際電電小室受信所だった。ここらはその周囲の雑木林にあたる。
よく家庭菜園にいれる落ち葉をもらいに来た。
数年前久しぶりに来たとき、この森に小さなテニスクラブができていたが、この日来ると児童デイサービスの施設に変わっていた。
このモーテルは昔からあったが、左が森であった。
リニューアルされているが、鬱蒼と木々に囲まれた昔のほうが雰囲気は良かった。
財団法人さいたま緑のトラスト協会というのがある。
平成2年から取得をはじめ、現在14か所。
その第13号地がここ、 無線山・KDDIの森 。
面積 48,096平方メートル(4.8ha)
取得経費 1億2,900万円(寄附・一部取得)
取得年度 平成26年度
私が2013年(平成25年)4月、ここに転職してから、トラスト地になり、遊歩道が整備された。
桜満開。
今はトラスト地となり、二十四時間通れるが、昔はKDDの敷地。
花見の期間だけ一般公開された。
朝9時、今日は土曜、昼の人出にそなえ出店準備。
KDDの境界石がまだある。
2019-04-06
誰もいない季節にもピクニックに来ていたくらいだから、花見ももちろん来た。
1993-04-04
私の母に抱かれているのは92年12月に生まれた娘。
そうか、彼女も26歳か。
下の写真も同じ場所
こちらはその2年後、95年4月、京都の森泰生恵美子夫妻と。
末娘は歩いている。
1995年4月
末娘は転がっている。
ここと同じ場所を今写すと
2019年4月
昔はこんな植え込みはなくて、研修所が丸見えだった。というか、この芝生は研修所の前庭のような感じだった。しかし人がいるのを見たことがない。
こっそりこの芝生でおにぎりを食べ、そのあと逆立ちの練習をしたものだった。
この日は土曜とはいえ、まだ朝だから。
KDDの研修所はそっくり日本薬科大が建物ごと購入した。
しかし道路の南側は全く使用せず、建物も修理しない。
ベランダの錆び、一階のフェンスを覆う雑草が目立つ。
花見客が集まる桜並木は道路を越えて薬科大のほうまで伸びている。
こうしてみると、桜並木はがんセンター北口からずっと続き、途中で県道が横断しているようだ。
薬科大構内の桜並木の西はゴルフ場であるが、この地図を見れば、むかしはKDDの社宅とある。
また、25年前、私が住んでいた時はKDDの研修所と思っていたが、この地図だと国際電気通信学園とある。調べると、1977年までKDD研修所、77年から88年までKDD国際電気通信学園であったらしい。
ちょうど1992年に伊奈町が全戸に配布した伊奈町パンフレットの表紙が航空写真になっている。
これをみると、無線山の名前の由来となった小室受信所の鉄塔はあるが、KDDの社宅はすでにゴルフ場になっている。
また、森に囲まれたモーテルが右に小さく屋根だけ見える。
いま廃屋のような研修所は南に植え込みがなく芝生広場と一体となっており、記憶の正しさが確かめられた。
ふたたび2019年に戻る。
薬科大構内は誰も見ない桜がいっぱいある。
正面に見える建物(研修用宿舎?)も使われていないようだ。
この日は花見(伊奈町桜まつり)にあわせ、大学が一般公開されていた。
スミレの群落があった。
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