2019年4月25日木曜日

大好きな陛下に手を振る

最近、両陛下がテレビによく出る。
神武天皇陵(3・26)、伊勢神宮(4・18)、昭和天皇陵(4・23)へ退位の報告に行かれたのだが、いずれも最後の訪問ということで、沿道はいつもの訪問時より多くの人が集まった。

「もう、ほんとに30年ご苦労様でした」と涙する老婦人もいた。
この気持ちはよくわかる。

自分も道端に並んで旗を振った時のことを思い出し、アルバムを開いてみた。

1993-05-13
1993年5月、両陛下が伊奈町に来られた。
47都道府県で宿泊したことのないのは埼玉県だけというので、2泊3日の埼玉行幸啓が実現した。秩父で泊まられたあと、翌13日、伊奈町に。
埼玉県民活動総合センター(けんかつ)と伊奈学園のご視察。
この日は大宮パレスホテルに泊まられ、翌14日氷川神社と岩槻の小児医療センターを訪問され、帰京というスケジュールであったと思う。

埼玉県でも無名であった小さな小さな伊奈町は大変名誉というので、全戸に日の丸を配った。私もこれは一大事というので会社を休み息子を自転車に乗せてけんかつに行った。

5月の暑い日差しの中、なかなか陛下は到着せず、3歳半の息子は飽きて不機嫌になった。
そんななか、ようやく先導の白バイ、車の行列が来て、何台目かに両陛下。
この写真は職場の机の上に飾っていたもの

天皇陛下は歩道側に大きく身を向けて手を振ってくださった。
私は申し訳ないが、カメラのシャッターを押すことを優先した。

前後の車は県のお偉方が乗っていたのだろう、両陛下の後ろは県知事だった。彼は我々が自分を歓迎してくれてると誤解したのか、嬉しそうに手を振って通過した。しかし素晴らしい陛下のあとに、政治家のギトギトした顔は見たくなかった。

車はゆっくりとけんかつの正面玄関に回って止まり、その場所にいた民衆は旗を振り続けた。そして両陛下が車から降りると、かれらの喜びは一段を高まったことが遠くからもわかった。

その圧倒的オーラは、離れていても、瞬間であっても、何か、からだに感ずるものがあった。ああ、あの場所にいたかったな、と少し後悔した。

あれほどのオーラがありながら、親しみやすそうな雰囲気。
あの方が陛下であって嬉しい。
あの方が象徴である国に生まれて良かった。

初めて陛下を拝見したのは、この年の一般参賀。

1993-01-02
一緒に出掛けた安藤英広さんは1年上で、入社した時の先輩だったが、この数年前大阪に転勤し、正月に帰省されたのでお誘いした。
このころは今と違って外国人もおらず、少しは見やすかった。
天皇一家がバルコニーにお出ましになると、前のほうにいた人々が「天皇陛下・万歳」と叫び、我々も全員思い切り大きな声で唱和した。
(2015年12月23日、久しぶりに一般参賀したときは万歳がなかった気がする)

アルバムを見たら、1993年は皇太子が結婚されて、そのパレードもあった。
このときは上尾の山下豊春を誘った。
雨降りだったがパレートが始まると奇跡的に晴れた。
桜田門のあたり
(私の1993年前半は皇室にずいぶん関心があったようだ)

1993-06-09
上手く写真が取れなかったが、まあ、いい思い出である。

帰宅途中、彼は高崎線、私は大宮からニューシャトルだったので、大宮のマクドナルドでお茶を飲んだ。
「甲子園に出る高校は決まっているように、製薬会社も、新薬を作れる会社は決まっているような気がします」と突然彼は皇太子の結婚とは全く関係ない話を始めた。
「そこへ転職すれば、薬の作り方というのが分かりますかね?」

彼は優秀で、志も高い真面目な研究員だったが、業績査定は私同様、あるいは私以上に悪く不遇であった。しかし結局転職しなかった。

・・・・・・

その後、両陛下を拝見することはなかったが、2001年11月28日、会社の45歳研修が名張であった。休暇を取って早朝から出かけ、ひとり伊勢神宮に立ち寄った。参拝終わって駅に向かう途中、人が集まっている。聞けば両陛下が通られるという。ちょうど伊勢志摩鳥羽の行幸の途中だった。なんという偶然。

少し離れたところで立っていると、人が集まっているところでないと徐行してくれませんよと教えられ、仲間に入れてもらった。平日ということもあり全員オバサン。やがて両陛下が通られ、我々に手を振ってくれた。熱狂的な日の丸のざわめきもなく、静かなものだった。
残念なことにカメラは持っていなかった。

平成は自然災害が多かった。
被災地への慰問などのお姿をテレビで見ると、関係ないのに有り難くて涙が出てしまう。
昭和天皇、皇后には特に何の感情もわかず、涙が出ることもなかったのだが。

両陛下にはそのうちまた拝見できる機会もあるだろう、と思っていたが難しくなった。
いつまでもお元気でいてほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿