2019年3月31日日曜日

伊賀上野から亀山を通る

明日香から奈良駅までKに送ってもらった。
普通なら京都に出て新幹線だが、初めて関西本線に乗ってみる。
16:20奈良駅発。
エスカレーターは左を空ける関西式

京都府加茂駅で乗り換え、16:44発。
木津川に沿って山に入っていく。
関西本線は加茂までが大和路線という。
途中の木津駅から京都に行く奈良線の方が乗客は多い。

関西本線に乗ろうと思ったのは、一番はこの日に乗らないと一生のらない気がしたから。
関東にない地形を見たかったこともある。

田辺の研修寮が名張にあって、2,3度行った。
研修はあまりいい思い出ではないが、珍しい地形で驚いた。
朝、寮の裏を散歩して畑が続く平地だと思ったら突然崖があって下を川が流れていた。
研修中窓から見える山も、畑の向こうに突然立ち上がっている。

伊賀、大和というのは宇陀とか室生、赤目など、こういう地形が多い。
忍者や修験者が崖の上で修業するのにふさわしい。

どうしてこういう地形ができるかというと、柱状節理的な地質に川があると、柱を一本一本はがすように浸食して屏風のようになるから。
すなわち火山活動で出たマグマが冷えて固まるとき、垂直方向は重力で切れ目なく縮んでいくが、水平方向は圧縮力がないから亀裂が入り、柱状の節理、つまり崖構造となる。

近鉄で名張を通ることも考えたが、それは次回にして、渓谷だけでなく伊賀盆地の真ん中を通ってみたかった。
確かに渓谷美はあるが、断崖はあまりない。
まったく調査せずに乗り込んでしまったから仕方ない。
客はほとんどおらず、外もほとんど人家はない。

やがて山から離れて伊賀の景色が開けた。
甲府盆地や信州の盆地と雰囲気が違う。

電車は伊賀上野どまり。
17:19着。
こんなところまで外国人観光客が来るのか。
まあ忍者好きそうだもんな。

駅から正面に小さく伊賀上野城が見える。
次の上り(東行き)は17:50
25分しかない。城まではいけない。
タクシーを頼めば往復はできるだろうが、タクシーもいない。
リックに残っていた菓子パンを食べた。
ぼーっと駅前広場の看板を見たら
「芭蕉翁のふるさと 伊賀市 上野公園へ2.4km」
とあった。(拡大すれば読める)

千駄木の家から上野公園までも2.3kmである(29分、大噴水)

ようやく電車が来たがあたりは暗くなり、あまりよく見えない。
しかし名張で思ったより伊賀の国は広かった。
律令制での一国であるから当然と言えば当然だが・・・。
伊賀上野の藤堂家は32万石、しかし伊勢の津が本拠地で伊賀国内は10万石だった。

2004年の平成大合併で上野を中心とする伊賀市ができ、伊賀の国は伊賀市と名張市だけとなって町、村がなくなった。

暗くてよく見えなかったせいもあるが、これだけの平地にほとんど工場などがないのは、東海道線、名神などが通らず、企業進出がなかったことを示す。

乗った電車は亀山どまり。18:32着。
名古屋行きは19:13分発。
この間に亀山城を見てみたい。
しっかり地図を見ないまま駅を出てしまい道に迷う。
城は丘の上だろうと上がるも、崖で行き止まり。
明かりがほとんどない町だった。
面白いことに、どの家も平屋で門がある。
士族の住む地区が今も続いているようだ。
亀山というとシャープの液晶工場を連想し、もっと都会あるいは工場地帯かと思っていたが、東海道の宿場町そのものだった。
びっくりするほど古い町が残っている。
明るいときに来るべきだった。
亀山城
時計を持っておらず、しばしばスマホの電源を入れるが、電池も心配。

駅に到着。
見まわしたら、亀山駅ぶらりマップがあった。
これがあったらもう少し見られた。
最近、事を急いで失敗することが多い。

亀山19:13発、名古屋20:29着。
急いで新幹線ホームに行ったら東京行きが止まっていて急いで飛び乗った。
これも急いで失敗したかもしれないと、ドアが閉まってから東京行きを何度も確認した。
自由席まで歩いて行ったらがらがらに空いていた。
この日は大阪をでて橿原神宮、飛鳥歴史公園、と忙しく楽しい一日だった。

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