2018年1月10日水曜日

文京区立中学校 通学区と生徒数一覧

区立小学校について書いたので、今回は中学。
歴史や通学区だけでなく、人気について書く。

はて、人気といっても区立中学に差があるか?
そもそも今の中学というのは戦前はなかった。
6年の尋常小学校を出たら高等小学校(2年)にいくか、旧制中学(5年)にいくかどちらか。つまり、今の大学までの道筋は、
小学校6-旧制中学5-旧制高校3-大学3
旧制中学は戦後高校になり、旧制高校は大学に吸収された。
だから今の中学校は戦後一斉に生まれたもので、誠之小学校や府立五中(現小石川)のような伝統とか歴史はない。

それでも人気度には差がある。
文京区はどこでも好きな中学に行ける。
一応、通学区があり、学区内なら無条件で入れるが、学区外の人は、そこが定員以上になると抽選となる。(学校選択制度)
H29年度は第六、第九、茗台、音羽に抽選があった。
下の表を見ると1学年3クラス98~110人を限度とするように見える。

人気の高いのは六中である。誠之を背中に、本郷通りに面している。
都立高に学校群制度のあるころ、誠之ー六中ー小石川―東大というコースが知られていた。
現在でも復活日比谷高校に最も合格者を出す中学として知られ、HPをみると東大の学生が勉強を見てくれる六中応援塾というのもあるらしい。

ま、とにかく生徒数をみる。

文京区立中学校生徒数一覧(平成29年5月1日現在、区のHPから)
学校名1年2年3年合計学級数
123
第一中483940127211 
第三中596759185222
第六中109113116338333
第八中  27382691111
第九中99108111318333
第十中676775209222
文林中25142867111
茗台中987959236322
本郷台中615255168222
音羽中110105108323333
合計7036826772,062222020

文京区の区立中学は、一中、六中など数字校と文林中など固有名とがある。その理由は設立時期である。

一中から十中までは戦後すぐ、昭和22、23年にできた。
文林は、昭和35年、区立11中として設立、すぐ現校名に変更。
茗台も、昭和35年、区立12中として設立、すぐに現校名に。
本郷台は第2と第4が平成10年に合併、
音羽は第5と第7が平成21年に合併してできた。

さて、家に一番近いのは文林中学。
名前は「文」京区千駄木「林」町からとったものだろう。

林町は、安田銀行、川崎銀行、岡本銀行の頭取や重役の邸が多かった。また藤堂、大給、松平の大名華族、越後の豪農市島家、明治憲法をつくった伊東巳代治、
学者では、島薗順雄(東大・生化学)、桑田熊蔵(中央大教授、貴族院議員)、渡辺渡(帝大工学部長)、三上参次(歴史)、広文庫の物集高見など。
高村豊周、光太郎。建築家中条精一郎は宮本百合子の父。金持ちばかりでなく、若き日の北原白秋(正確には動坂町)、池田満寿夫、吉本隆明、川端康成、中曽根康弘などもいた。

道路を挟んで別棟は千駄木小学校と同じ敷地にある。

この藤堂子爵の屋敷あとにできたのが文林中学。
できたときは校名からして期待されていただろう。名門中学になる素質はあったのだが、隣接する人気の千駄木小学校の子供たちにも見放され、いまや各学年1クラス、2年生14人って、島の学校みたい。

でもひろびろしていて静かで、こどもがいたら入れるんだけどなぁ。
千駄木幼稚園も隣接しているから3歳から15歳まで一貫教育もできる。上手くやれば昔の田舎のようにガキ大将から幼児まで一緒になった遊びもできて、大きな可能性がある。

学区マップhttp://school.mapexpert.net/より



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