8月末からの長雨が終わり、10月4日、御殿場線に乗って沼津にきた。
2026-10-04 10:12
沼津駅南口
沼津市は人口 17万9千人 (2025)。
最盛期は1990-95年の21万6千人か。
江戸時代は沼津藩の藩庁所在地であり、東海道の宿場町でもあった。品川を1つ目とすれば、8番目の大磯、小田原、箱根、三島ときて12番目である。
1876年(明治9年)の静岡県成立以降は、静岡、浜松と並ぶ拠点都市として発展してきた。市政施行も両市に次いで1923年。しかし近年は人口減少が続き、富士市(24万人)に抜かれた。5位は磐田市(16万)。
拠点性は薄れつつあるが、それでも施行時特例市であり、静岡県東部総合庁舎が置かれ、スルガ銀行と静岡中央銀行の2行が本店を置いている。
沼津は伊豆と駿河との境目の駿河側に位置するが、伊豆側の三島市(10万3千人)と市街地が連続している。また、裾野市、駿東郡の清水町、長泉町とも市街地が連続し、都市圏を形成している。もちろん伊豆半島の付け根だからそちらとの関係も深い。
10:13
沼津駅
行きたいところは千本松原と旧沼津御用邸公園。
駅から離れているので歩きは無理だ。
レンタサイクルを借りることにした。
沼津は全国展開するハローサイクリングのステーションがある。
2026年7月時点で29都道府県260の自治体で14,660カ所以上にステーションがあり、どこで借りてどこで返してもよい。沼津は三島とともに展開する加盟店のハレノヒサイクルが何か所かあり、15分120円だから1時間で480円。
前日にアプリをダウンロードしユーザー登録しておいた。
駅のすぐそばのステーションに行く。
普通の駅前自転車置き場の一角にハローサイクリングがあった。
スマホで空き自転車の番号が出るが、置いてある自転車の番号と違う。
ステーションが違うのではないか、とグーグル地図で現在地を見たり、隣の商業施設「イーラde」の住所を調べたりした。今までは有人の貸し出し所で借りてきたが、無人は初めてなので勝手が分からない。
10:25
結局スマホに表示される番号の自転車も何台かあり、ステーションの住所も正しそうなので1台を借りる。スマホで操作すると鍵が開いた。しかし自転車には鍵がないから閉め方、開け方が分からない。
しかし、ともかく借りてしまったので乗ってみた。
電動自転車は初めて。走り始めてから電動でないことに気が付き、見ればハンドルに小さな液晶パネルがあった。よく文字が見えないが、スイッチを押すと電動になったか、ぐんと加速された。
サドルなど調整しないまま走り始めてしまったため、乗り心地も悪いし、液晶パネルもよく見えない。しかしとりあえず走るのでどんどんペダルをこいでしまう。
10:31
沼津仲見世商店街というアーケードがある。
時間は早いが、シャッターの降りている店が多い。
駅前から真っすぐ南下する大通り(さんさん通り)と東西に走る旧国一通りとの、一番繁華な交差点の角に公園があった。
スマホの地図を見れば中央公園、沼津城址である。
予定では、お城は駅の近くだから自転車を返してから帰りの電車待ちの間に見ようと思っていたが、はからずも出くわしてしまった。
しかし城跡らしき遺物は何もない。
10:37
中央公園と私のレンタサイクル
中央公園は東のほうが狩野川に向かって下り坂になっていて、何か城の遺構があるかもしれないと思ったが、これから海のほうに行かねばならない。帰って来てから見ればよいと思い、この公園の探索はしなかった。
駅前から南に延びる大通り(さんさん通り)に戻って南下していくと、御成橋通りにぶつかる。御成橋とは皇族が沼津駅から御用邸に行くとき渡った橋だろう。
この交差点を右折して西に向かう。
10:44
御成橋通り。
沼津は道が広い。
1945年7月17日未明の沼津大空襲と関係があるか?
沼津は海軍工廠と大小軍需工場があったから130機のB29に襲われ、市街の89%が破壊された。
海が近くなって下り坂になった。
10:46
右、乗運寺
バス停の名前になっている。若山牧水の墓があるらしいが通過。
松林が増えてくる。
10:47
道の分かれ目に沼津公園とかいた石柱がある。
左:千本浜道、右:千本松原通り。
似たような名前でどっち行ったらいいか分からずスマホ地図を見る。
松原はここから西に広がっている。
千本松原通りは松原の北(陸)側を西に向かう。
海に向かう千本浜道にいった。
(ちなみに沼津公園は千本浜公園の旧称)
10:49
駿河の松原と言えば西の清水港の入り江の外側にある三保の松原が有名である。羽衣伝説をもち、日本新三景(1915年、大沼、三保松原、耶馬溪)、日本三大松原(三保松原、唐津・虹の松原、気比の松原)のひとつとされ、1922年(大正11年)、天橋立とともに日本初の名勝に指定された。
近年でも世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産にもなっている。総延長 7 kmで、5万4000本。
いっぽう、こちら千本松原は沼津市の狩野川河口から富士市の田子の浦港まで、駿河湾に沿って約15km続き、千本どころか、30万本あるという。
10:50
沼津の浜の地図があった。
左へ行くと沼津港、沼津御用邸などがあるが、千本松原はここから西のほうらしい。堤防に若いカップルが座る背中が見えた。
午前中から仲良し。
上がって海を見ようと思ったが、遠慮して西のほうに自転車を走らせた。
10:51
車がいっぱい止まっている。
山梨、春日部ナンバーの車もある。
堤防に上がって海を見たくて自転車を止めたがカギの掛け方が分からない。
というか、手でレバーを動かせば掛けられそうだが、開け方が分からない。
開けられなかったら困るので掛けられない。
(今考えたら公式サイトを見ればいいのだが、頭が回らなかった)
目の付くところに自転車を置いて急いで堤防にあがった。
10:53
松原の向こうに富士が見えた。
静岡県の富士山は対称な円錐でないが、愛鷹山で下が隠れてちょうどよい。
目を海に転ずる。
10:53
浜辺で散歩する人々。
駿河湾は沼津の南で東に大きく食い込んでいるため(内浦湾、江浦湾)、南の正面に伊豆の山々が見える。
近所の人がショッピングモールとかテーマパークでなく、こういうところに来て日曜の朝を過ごせるというのは贅沢だと思った。
沼津はお城を失ったが、いい財産を持っている。
10:53
ところで千本松原は30万本あるのになぜ千本か。1580年武田勝頼と北条氏政が沼津で対陣した。勝頼は1575年の長篠敗戦後、信長が西方の本願寺、毛利などに向かっていたこともあり、上杉、北条と同盟、敵対を繰り返しながら武田軍再建を目指していた。(武田滅亡は1982年)。
沼津の戦いでは武田水軍と北条水軍も参加した。
このとき武田側は北条水軍がよりどころにするであろう沼津の松原を伐採した。
その後、松がなくなり、田畑は海からの風害、塩害を受けるようになった。農民は不作に苦しみ、それを見かねて何とかという僧が松を一本一本お経を読みながら植え始めた。最初は枯れてしまったが、しかし5年の歳月をかけて1000本の松を植え、ようやく根付いたという。それが千本松原の名前の由来らしい。
自転車を押したまま松林に入ってみた。
昼は地面が暖められるから海風となるが、夜は逆に陸風となる。
しかし、海風は時に台風などで強まるし、また塩害で海側の枝が枯れ、陸側の枝が増えバランスが傾くのだろう。
最初に植えられて450年くらいたつが、そのころの松はない。樹齢100~300年の老木がわずかにあり、多くは戦後植えられた30~80年のものらしい。松くい虫などで年々枯れるため、毎年植林され10年以内の若木も多く育っているという。
10:56
井上靖文学碑
「千個の海のかけらが千本の松の間に挟まっていた。
少年の日、私は毎日それを一つずつ食べて育った」
井上靖(1907-1991)は北海道旭川生まれだが父は軍医で転勤が多かった。そのため、曾祖父の妾・かの(戸籍上は祖母)とともに両親の出身地である伊豆湯ヶ島で育った。沼津中学から四高理科、九州帝大法科に進むも中退、京都帝大哲学科を卒業後毎日新聞大阪に入社した。部下に後の山崎豊子がいた。彼は天平の甍や風林火山などが有名だが、10代から死ぬまで詩を書き続けた詩人でもあった。
この森の中には多くの記念碑がありそうだが、散策路を自転車で走ることをはばかれ、かといって歩き回るには広大で、あきらめて外に出た。
再び自転車にまたがった。
千本浜道は東へ曲がったところから「文学の道」と名を変えている。
東に向かって走った。左側はまだ松林が残る。
11:03
恋人と語らいながら歩けば楽しいだろう。
沼津市民は良いものを持っている。
11:04
このあたり豪邸、別荘が並んでいる。
大磯を出た列車が国府津から御殿場を回って海の近くに出てきたところが沼津である。
しかも国府津と違って、商業地でありながら風光明媚な松林がある。
政財界、文化人が多く別邸を構えた。
11:06
沼津市立若山牧水記念館
牧水(1885-1928)は今の日向市出身、延岡中学をでて上京、早稲田に入った。
牧水の妻は信州塩尻出身の太田水穂(松本出身の窪田空穂と混同してしまう)の親族、歌人の太田喜志子である。
牧水は歌人であるが、子供向けの童謡や詩もつくり、子供向け雑誌「金の星」の中心執筆陣の一人だった。「金の星」は千駄木の我が家のすぐそばにあった。
牧水は1920年(大正9年)千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住した。静岡県が千本松原の伐採を計画したとき、反対運動の先頭に立ち計画を断念させた。しかし長年の大量飲酒による急性胃腸炎と肝硬変を併発して死去した。享年43。
写真だけ取って自転車をしばらく走らせると、バス停から歩いてきた老夫婦に牧水記念館はどこでしょうか、と聞かれた。
夫婦で詩や歌が趣味というのは上品な人生を送ってこられたのだろう。私と10年と違わないはずだが、たしかに団塊の世代のほうが詩や短歌になじんでいたような気がする。
よく考えたら私は若山牧水の名は知っていても、歌は知らない。
白鳥は悲しからずや空の青、海の青にも染まらず漂ふ
が国語の教科書にあった気がするが、鑑賞する力がない。
ただひたすら自転車をこぐ。
サドルの高さがあわず、角度も前に傾いて尻が前に滑りそうで、電動自転車と言っても結構疲れる。
松林が切れ、広い道に出ると沼津漁港だった。
11:13
沼津漁港
ここにハローサイクリング(ハレノヒ)のステーションがあった。ここならカギをかけて開かなくなってもステーションまで持ち上げて歩く必要はないため、後ろ車輪のカギをかけてみた。
スマホの画面をみると「開錠」のボタンがあり、押すと開いた。
安心して少し走ってからまたカギをかけてみた。
また開いた。
11:19
沼津漁港は漁船が並ぶ港というより築地のようなグルメ観光地だった。
大型バスが何台も並ぶ広い駐車場があり、県内、全国から客が来るようだ。
11:19
沼津みなと新鮮館
海鮮専門のレストランや土産物屋が入るショッピングモールで観光案内所もある。
中は撮影禁止だった。
テレビでも放映されるスポットなのだろう。
11:21
築地の場外市場のように、沼津も港の市場の周辺に海鮮を食べさす食堂が林立する。
自転車のカギをスマホで開けてまた走り出す。
今になってレンタサイクルに慣れ、橋があって上り坂でもらくちんの電動自転車を使いこなす。
狩野川にかかる港大橋をわたる。
11:25
港大橋から上流方向
沼津駅方面の向こうに愛宕山と富士山が見えた。
これから沼津御用邸公園にいく。
(続く)
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